きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.9.15(
)

 3連休のド真ん中ですが、ちょっと出勤しました。関連会社でトラブルがあって、製品の造り直しをしてもらいました。その評価を本日中にやろうということになって、関連会社の人にはサンプルを持ってきてもらったり、私の部下にはその評価のために出勤してもらったりで、私が家でノンビリするわけにもいかなくなったのです。新幹線小田原駅でサンプルを受取り、事前の準備は私がやるということで出勤してもらいました。
 評価結果は私の自宅にFaxで送ってもらい、造り直し製品の可否を判断して、関連会社や弊社の関連部門に通知したりで、家に居ながらにして仕事は進みましたけど、こんなことはこれからどんどんあるんだろうなと、ちょっと覚悟しましたね。新職場は私の判断で関連部門が動くというおもしろ味はありますけど、会社も家も区別が無くなるんだろうなあ。まあ、今までが会社と家の区別がはっきりしていて恵まれた方でしたので、会社勤めの最後の7年ぐらいはそういう生活も止むを得ないと思っています。世の中は、実はそういう人の方が多いのではないかという気がしています。やっと人並みになった^_^;



詩誌RIVIERE64号
riviere_64
2002.9.15 大阪府堺市 横田英子氏発行 500円

 浦島のおとこ/河井 洋

おとこは最寄の駅と自宅との
たった十三分の道のりを迷ってしまった
しろうとが趣味で始めた花やさんの前を過ぎた
と そこまでは憶えている
アパートとマーケット、小学校、続く名ばかりの戸建の家並

おとこは始めてこの地にきた日を億えている
もう一つの最寄の駅からは遠くに今は「記念」と二文字が追記された
大きな病院の看板が見えること
パチンコ屋はどこにでもあるから目印にはならないが
駅がそのあたりにあるとの見当にはなる

不思議と人に出会わなかった
出会ったとしても
子供がおおきくなってから移って来たこの地はしょせん
他人のまち

もしもし、今、私、まいごになっています。
見渡しても見覚えのある家も大きな木も遠くのネオンもありません
魅力的な竜宮城も無いようです
あれば酔って、醒めれば人の町に帰れるとおもいますが

大きな更地の端にこの電話ボックスがあります

 現実と非現実の世界が綯交ぜになった、不思議な作品だと思います。現実があって、非現実(とも言えないかもしれませんが)に向って、そしてまた現実に戻ってくる。最後は現実とも非現実ともつかない「大きな更地の端」の「電話ボックス」へと収斂していって、構成上もおもしろいと思いました。こういうことって、意外とあるんですよね。私はときどき方角が90度ズレることがあるんですけど、そんなときに似たような感覚にとらわれます。
 「浦島のおとこ」というタイトルは、平面の「まいご」のみならず時間の「まいご」としても考えられ、なかなか凝った仕掛けと言うこともできるでしょう。「醒めれば人の町に帰れる」ことが本当に必要か、そんなことも考えさせられる佳作だと思いました。



詩誌『燦α』17号
san_alpha_17
2002.10.16 埼玉県さいたま市
燦詩文会・二瓶徹氏発行 非売品

 或る夢/坂尻晃毅

夢を見た。
経験したこともない空襲の夢を。

映像の中の私は六歳? 七歳? いや、正確な年齢な
どはどうでもいい。とにかく私はまだ幼い子供で、空
襲の意味など分かりもせず、降り注ぐ弾の雨を懸命に
避けながら、ただひたすら泳ぐように逃げ惑っている。
私を先導しながら一緒に逃げている大人の女は誰だろ
う。私は女の後姿しか知らず、顔を見たことがない。
わかっているのは、その女が私の母ではない、という
ことだ。母は倒れてきた柱の下敷きになり、逃げろ、
と私に向かって絶叫し、呆然としたまま動く事ができ
ないでいる私の目の前で、黒焦げになりながら死んで
いった。映像の中の子供はそのことを覚えており、瓦
礫と焔と死体のあいだを背中しか知らぬ女と必死に走
りながら、母を見殺しにしたという、眼球を抉られる
ような恐怖と罪悪感に苛まれている。私が女の背中に、
もう疲れて走れない、と訴えると、女はくるりと振り
向いた。その顔には目と鼻と口がない。焼け爛れてい
るのではない。文字通りののっぺらぼう。私は泣き出
した。のっペらぽうが怖かったからではない。顔のな
いその女が母だということを知ったからだ。母はしゃ
がみこみ、つるりとした皮膚の下に隠されているので
あろう二つの目で私の顔をじっと覗きこんだ。紛れも
ない母の顔。黒焦げになり死んだ、美しい母の顔。
ボクハ力アサンニオコラレテイル ボクハ力アサンニ
オコラレテイル 私は吐いた。猛烈に吐きながら小便
を漏らした。子供の私はそのことで母に叱られるだろ
うと思い、一層怖くなった。しかし、のっペらぼうの
母は私の粗相を気に留めるどころか、いつまでも私の
顔を凝視しているだけなので恐怖はいよいよ頂点に達
した。耐えられなくなった私は、母の背後で燃えてい
る小さな焔めがけて彼女を思い切り突き飛ばした。私
はすかさず逃げ出した。何があっても振り返るつもり
はない。振り返る必要はない。振り返らなくても、母
が燃える姿はしつかり見えている。口のない母に、呻
き声をあげることはできない。しかしふと、声になら
ない呻きを聞いたような気がした。思わず振り向くと、
母は本当に呻いていた。焔の中にはのっぺらぼうでは
なく、あの美しい顔をふたたび歪めながら苦悶の声を
あげている母がいた。ボクハカアサンニオコラレテイ
ルボクハカアサンニオコラレティルダケドボクハオコ
ラレテアタリマエノコトヲシタボクハ二ドモカアサン
ヲコロシタカアサンハマタボクニコロサレタ
私は膨らんで大きくなった焔の中に自ら足を踏み入れ
た。母に赦してもらうために。ふたたび母の胸に抱か
れるために。

 心理学的にはどう言うのでしょうか。深層心理と歴史が深くからみ合った作品で、このような詩は見たことがありません。体験者が書くことはあるでしょうが「経験したこともない空襲の夢」ですからね。作者は社会的な意識の強い詩人なのかもしれません。それと母上に対する思いも…。この作品は解釈を寄せ付けず、単に鑑賞するだけの方が良い気もします。そういう意味でも貴重な作品と言えましょう。



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