きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.9.17(
)

 前の職場の送別会がありました。会社勤め30余年で、送別されるのはこれでやっと2回目。それなりの感慨があるかなと思っていましたけど、何もありませんでしたね^_^;
 前回の送別会は20余年勤めた職場を離れることもあり、違う部への異動ということもありましたけど、今回は10余年という勤務、同じ部内の異動ということも心理的な気楽さを伴っているのかもしれません。白状しますと、責任の重さが倍加してそんな感傷に浸っている余裕はない、ということでしょうか。以前にも増して仕事の夢をよく見るようになっているのがそれを証しているように思います。
 送別会そのものは楽しかったですよ。久しぶりに、と言っても1ヶ月ちょっとしか離れていないのですが、昔の仲間もワイワイと呑みました。一次会しか行かなかったのですが、とうとう最後の客になっちゃって、看板ですよと追われてしまいました。そんな時間になっているのか驚いた次第です。それだけ気持良く呑めたということですね。職場は変っても、同じ部の400人の仲間です。いずれまた呑む機会は訪れます。その日を楽しみに散会しました。



詩の雑誌『鮫』91号
same 91
2002.9.10 東京都千代田区
<鮫の会> 芳賀章内氏発行 500円

 もう詩は書けない/大河原 巌

ぼくに寄り添うように 同じ椅子にすわりこんで テーブルの上の
コップの水が飲みたくなると ぼくよりさきに手をのばして その
水をぼくの渇いた口にはこんでくれる。 その手つきまでが  ぼく
そっくりなので ぼくとあなたは 心の底でかたく繋がれているの
がよくわかる。あなたが愉快そうに笑うと それだけで ぼくの心
に明るさがひろがって 周りの世界の事物までが その姿かたちを
あらわに見せてくれます。ぼくとあなたのダイアローグが つぎは
ぎのウソでかためた現実のウソの皮をはがします。

そんなフォルマリズムの 新しいモダンな方法で詩を書いたからと
いって 日常の詩人がパーソナリティを失うなんてことは あなた
もぼくも まずありえないことだと思っていた。ところが あなた
は  反戦詩人の集まりで  自分の書いたふるい詩にも責任をもて
などと口走った。ガンさんが あんなひどいことを言うなんて!
それでぼくは これまでに自分で責任のもてるような詩など一つも
書いてないと分かった。それでも詩はカーニバル 責任なぞは詩的
現実のウソの皮 ぼろぼろと剥がれおちるがいいのだ。

 重要な示唆に富んだ作品だと思います。何のために、誰のために詩を書くのか。古くて新しい問題を提起していると思い、久しぶりに自分の身を考えました。私事で恐縮ですが、20歳の頃にある政党の党員として活動していました。政治理念としては、今でも基本的に正しいことを言っている政党だと思っています。ある時、文化論が討論になって、何のために誰のために書くのか、ということが話し合われました。私は当時も詩らしきものを書いていましたから、まわりの党員もそういう眼で私を見ていたように思います。討論の最後に、ある幹部が私に対して「人民のための詩を書け」と言って散会となったのです。
 その時に私は、ここは自分の居る場所ではないと悟りました。人民ための詩など書く気もなく、書ける力もあるわけがないと思ったのです。それは文学とは違う。文学は人民に奉仕するためでもなく、革新のスローガンとして使われるべきものではないと思いました。もちろんそういう文学もありますし、存在そのものを否定する気もありません。ただ、私が書きたいものとは違う。私が書きたいものはもっと卑近な、もっと狭い視野の、もっとワタクシ的なもの。しかし、そこから世界が見えるもの。そんなものを書きたいと思っているのです。
 ですから「これまでに自分で責任のもてるような詩など一つも/書いてないと分かった。」という作者の言葉は痛いほど判るつもりでいます。「詩はカーニバル 責任なぞは詩的/現実のウソの皮 ぼろぼろと剥がれおちるがいいのだ。」という言葉に全面的に賛同してしまいます。文学の力は偉大ですが、それは個の思考の深さのみが持つ偉大さだと思います。その意味で「もう詩は書けない」というタイトルには註釈が必要でしょう。ここで言う「詩」は誰かに求められる、責任をとらされる「詩」は書けない、という意味だと解釈しています。



秦恒平氏著『湖(うみ)の本』エッセイ25
umi_no_hon_essay_25
2002.9.10 東京都西東京市 「湖(うみ)の本」版元発行 1900円

 今回は5つの講演録で構成されています。秦さんの講演は30年で100回に及ぶそうですが、いわゆる文芸講演が多い中で、今回は「公や苦に社会や歴史や制度に向かって、まっすぐ、強く発言している」ものを選んだと後書にあたる「私語の刻」に書いてありました。それらを順に紹介してみましょう。

 「私の私」1989年7月11日 於・金沢大学付属高等学校
 優秀な高校生を前に「手」、「私」、「外」、「ダンプ青年と座りんぼ君」という順で、自己の確立について話を進めていきます。高校生相手とは思えない、いや、高校生だからこそ敏感に感じ取ってもらえるという内容なのかもしれません。最後に高校生との質疑応答が載っていますが、これが高校生かと思わせるほどの質問内容で、こういう高校生を前に講演できた秦さんは幸せだったなと思います。
 この中で私が一番感動したのは「外」の章です。短歌結社や歌壇を例に出して、「外」の人間に歌壇内部のことは判るはずがないという非難を痛烈に批判しています。これは、いわゆる詩壇にも通じる話で、詩壇の内外という観念を捨てないかぎり詩の復権はあり得ないと感じました。

 「マスコミと文学」1986年11月29日 於・東洋大学「芸術至上主義文芸学会」
 前書きや註釈でしきりに「紙の本」の時代の講演で断っています。1986年というと、私がPC8001かPC8801を扱っていた頃で、やっとオーディオテープに記録したワープロプログラムで文書を書いていた時期ですから、一般に「電子の本」で出てくるはるか前のことです。現在の電子本の時代から見ると、確かに隔世の感がありますけど、マスコミの本質は変っていないと思います。
 その中に泉鏡花の固定読者が500人だったという話が出てきます。これには正直なところ驚きました。何万、何十万と売れる本がある現在を考えると、信じられない数字ですが、案外そんなものなのかもしれませんね。詩集なんてだいたいそんなものしか売れません。500部も売れる詩集は立派な方です。私の過去の実績は100部もいってないでしょう。そうか、500人を相手にすればいいのかと変な安心感も覚えました。

 「蛇と公園」1995年10月22日 於・茨城大学「日本比較文学会東京部会」
 夏目漱石の「心」の読み方が圧巻です。作品の裏にある登場人物の年齢を、時代背景から実証することで解明し、その視点から作品を読み直すという実証的な手法に圧倒されます。そこから従来言われている作品鑑賞とは違う、深い感動が発生します。読書とは何かまで考えさせられる講演録です。

 「心は、頼れるか」1998年6月6日 於・群馬県立図書館
 「からだ言葉・こころ言葉」に言及し、ここでも漱石の「心」を引用して、心とは何かを解き明かしていきます。もちろん結論は出るはずもありませんが、漱石に即して言えば「静かな心」が究極ではないか、それが主人公の奥さん「静」の名にも表出しているという視点は示唆に富みます。

 「知識人の言葉と責任」2002年6月9日 於・芹沢光治良旧居マグノリアホール
 最近の講演です。これは私も知っていました。秦さんのHPにも出ていましたし、直接秦さんから講演したことは聞いていました。しかし内容までは知りませんでしたから、どんな話だったかと興味津々でしたね。
 日本ペンクラブ電子文藝館にも載せた芹沢光治良の「死者との対話」を中心に話しています。人間魚雷回天で特攻に向う青年に、時の西田哲学が「死の覚悟」すらも伝えられなかったと続きますが、本質は知識人と国民と乖離でしょう。国民を無学の者と見る知識人と、知識人を何の解決も示せない者と見る国民。この乖離は現代にも通じていて、根の深い問題です。その根のひとつに前出「私と私」の外≠フ意識があると私は思います。

 以上、簡単な紹介ですが、興味をお持ちになった方は秦恒平さんのHPを訪ねてみてください。

 
http://www2s.biglobe.ne.jp/~hatak/



   back(9月の部屋へ戻る)

   
home