きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.9.22(
)

 またまた3連休。先週の3連休とは違って、今回は出勤予定も行事もなく、のんびり過しています。朝寝も昼寝もしっかりやって、夜もしっかり眠れますね。職場異動で、自分でも気付かない気苦労があるのかもしれません。ロクにお酒も呑まないのに、土曜・日曜と毎日12時間以上寝ていると思います。
 いただいた本も読めて、余力があるから『文藝春秋』10月号も隅から隅まで読んで、充実しています。これで書く気力が出てくれば万歳なんでしょうが、生来の怠け者、締切がないと書けません^_^; まあ、充電期間ということで納得させています。



個人詩誌『色相環』14号
shikisokan 14
2002.9.30 神奈川県小田原市
斎藤央氏発行 非売品

 ノクターン/ルールド・アーネスト・デ・ヴェイラ  斎藤 央訳

月の光が柔らかに自らを輝かせながら
彼女抱きしめる

私の窓を
風がノックする

狂った恋人のように激しく
私は窓を開けてそれらすべてを入れる

花たちが一列になって咲く
外の庭から

この香りの騒乱に
挨拶をされる

花たち自身厳かで
葬送曲を歌う合唱団のようだ

 今号からフィリピンの詩人の紹介が始まりました。韓国・中国・台湾の詩人の紹介はこの10年ほど多くなってきましたが、斎藤さんもあとがきで記しているようにフィリピンの詩人はほとんど無いかもしれません。そういう意味で良いお仕事をなさっていると言えるでしょうね。
 紹介した作品は、ご覧のようにまさに「ノクターン」ですが、「葬送曲」を持ってくるあたりはちょっとおもしろい感覚だなと思います。フィリピンの詩人がこれからどんな作品を見せてくれるのか、斎藤さんがどんな作品を紹介してくれるのか楽しみです。



そらやま・たろう氏詩集
 『下野荒波々岐界隈』
shimotsuke arahabaki kaiwai
2002.8.31 栃木県宇都宮市 私家版 非売品

 荒波々岐

氾濫原最後の真間
(ママ)を駆け登り鹿合の集団が古
山に到着したのは八ッ半刻である
岩山の丘陵の南東の裾野一帯には 胆沢の郡
衙ほどの倉庫が二十棟ばかり 立並らび
平地に点在する八十戸の 集落が作られ
岩壁を背にして
高床の館があった
鬼怒の水を取り入れ 堀を廻し背後に山城を
持った館
風麿の息づきが聞えた
蔵惟は 岩壁を攀じ山頂に這い登った
祠に 荒波々岐の神体を------
----そこから 高らかに叫んだ
「今より 此の地が荒波々岐だ」
声は真向う高へラ山塊に撥ね返り 四周に広
っていった
「族長
(オヤカタ) 待っていたぞ」
先発の大人
(オオヒト)等八名の者者が攀じ登り 蔵惟の
手を確りと握った
遙か鍋掛山塊の向うに 沈みかけた夕陽が二
間程戻って空に踊り
樹林は紅黄緑に燃えた
風麿の築いた 踏鞴炉の里人も駆けつけ
荒波々岐に歓声が轟いた
館の広場は
疲れを忘れた鹿合の里人と
今生れた荒波々岐の里人と
先住の里人の火祭の場となった
人も馬も歓喜に猛り 嘶いた
悲しみを土に打ちつけ
大きな火炎の廻りに踊り叫んだ
音頭は先発の音彦
(オトヒコ) 山鳴(ヤマナル) 火津麿(カツマロ) 岩戸(イワト)(イヌ)
(ヒコ)らが二丈余の大板木を 一斉に叩いた
  咆けよ
  荒べよ
  黒髪颪
  高原
(マタ)の颪も
  石吹き飛ばせよーお
堅い 赤樫の 小気味よい 撥と
板木の打ち合う音が周辺に響いていった
 カン カン カンカラカッカ
 カン カラカッカ カン
 カン カラカッカ カンカラカッカ
 カン カラカッカ カン
 カン カラカッカ カンカラカッカ
 カン カラカッカ カン
  燃えろ
  嘶け
  赤馬童子
  命噴き上げ
  空蹴り飛ばせよーお
 カン カン カンカラカッカ
 カン カラカッカ カン
 カン カラカッカ カンカラカッカ
 カン カラカッカ カン
 カン カラカッカ カンカラカッカ
 カン カラカッカ カン
四十丈の大杉が岩上で唸った
音彦は 片肌を脱ぎ 双肌を脱いだ
山鳴も 火津麿も みんな 双肌を脱いだ
汗が火炎に光り 肩と胸の筋肉が ボコボコ
と 躍った
人々は土を踏み鳴らし夜一夜
(ヨッピテ)踊った
飢餓を忘れ 困窮を忘れた
命の終焉も忘れ 今度こそ悲しみの腸 すベ
てを天に叩きつけた

先住の里人と荒波々岐の人々の和合の歌が
大きな火炎を包み
根限り叫ぶ人々の
心の坩堝となって 炎え上った
風の歌は 大きく おおきく
山を押しのけ 空を押し開いていった

 「荒波々岐」とはアラハバキと読み栃木県内の地名です。この詩集には「下野荒波々岐界隈の古代」という資料もあって、今市市小林地区の地図が添付されています。この小林地区が荒波々岐と同一のようです。おそらく著者のご先祖と関係のあった地域ではないかと想像しています。
 紹介した作品は一編では不充分で、前後の関係を見るには、それこそこの詩集をすべて読まないといけない訳なんですが、そうもできないので特徴的なところを紹介してみました。領地の住み替えを命じられた人々が新領地に着任した場面です。驚いたことに「館の広場は/疲れを忘れた鹿合の里人と/今生れた荒波々岐の里人と/先住の里人の火祭の場となった」とありますように、新旧が和合している様子が描かれています。荒波々岐の人たちの高度な治世を感じられる作品です。舞台設定は今から1000年ほど前と思って良いでしょう。
 叙事詩の代表的な形と考えますが、この力強さに圧倒されます。自分の生地なり先祖を主体としてうたいあげる、現代詩のひとつの可能性も感じられます。民俗学と融和した詩作品、それも重要な現代詩の仕事だと感じた詩集です。



詩誌『裳』78号
mosuso_78
2002.8.30 群馬県前橋市
裳の会・曽根ヨシ氏発行 450円

 蛍/須田芳伎

梅雨の明けきれない早朝に
二台の車を連ねて走り始めた
後続の車を気遣いながら
右へ曲がれば右へ
左へ移れば左へと
シグナルが同じように瞬いて
小さなあかりが着いて来る

いつもなら往来の激しいこの道も
今は遮るもののない見晴らし
あんなこともこんなこともあった
と思いが逸れそうなハンドルを
真正面に修正する

親と子に生まれ
過ごしてきた生活の蛍
明けてくる陽射しの中に舞い
フロントに止まるけれど
私にはここからでもよく見えるから

ここを過ぎたら 娘よ
もう私の跡を着いてくるな
間違いばかりの私の罪を
引き継ぐな

仲間に入れない寂しさを
オモチャをかかえ帰ってくるな

姿勢良く待つ人に
白いベールの娘を吹いて飛ばす
私の掌から
吹いて飛ばす

 嫁ぐ娘さんへのうたでしょうか。「親と子に生まれ/過ごしてきた生活の蛍」というフレーズがタイトルと相俟って美しく響いてきます。「小さなあかりが着いて来る」「と思いが逸れそうなハンドルを/真正面に修正する」という表現もうまいなと思います。第5連の具体性も、母親としての記憶が読者に伝わって見事な連と言えましょう。
 母親である作者もクルマを運転して、はっきりと「もう私の跡を着いてくるな」と言い切るところなど、自立した女性であると感じさせます。その強い母の姿も「あんなこともこんなこともあった」とモロい部分を見せていて、非常に人間味の溢れる作品だと思いました。



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