きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.9.25(
)

 夕方、前任者が職場に現れて、少し打合せをしました。さあ、帰ろうという段になって「行く?」と誘われてしまいました。工場の生産管理部門の男と呑みに行くことになっているそうです。私もその男とは仕事上の付合いが最近増えています。一緒に呑んでおくことも仕事上のメリットになるな、と下心を出して^_^; 加わることにしました。
 むさい男3人で駅前の焼鳥屋に行って、改めて気付いたのですが、3人とも髭面。道理でムサイわけだ。営業・生産管理・品質管理の男が、3人が3人とも髭面なんて、うちの会社も自由と云えば自由だなあ。そんな馬鹿話をしながら、「浦霞」を中心に呑みました。あれ?、あとは何を呑んだっけ? 「天狗舞」「土佐鶴」も呑んだような気がしますがオボロです。現在、9月28日。3日前のことをもう忘れるようになったのか! アー嫌だ、嫌だ。そんな嫌なことは呑んで忘れよう^_^;



月刊詩誌『柵』190号
saku 190
2002.9.20 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏発行 600円

 のろし
 狼煙/平野秀哉

狼煙
(のろし)が上がる
どうして狼の煙って書くの?
男は狼の疾駆する姿からだという
女は狼の咆哮の鋭さからだという

中国人ガイドの白
(パク)さんは
狼の糞を集めて燃やすんです
煙は不思議と真っ直に上るんです
それが狼煙
(のろし)ですという

敦煌に来てはじめて
狼煙
(のろし)の意味がわかった
荒原をひた走る狼の群れ
生命
(いのち)の証(あか)しの糞ののろし

漢の長城跡が見えつ隠れつ続く
狼煙台遺跡がつっ立っている
狼煙
(のろし)を上げよう!
ゴビの砂漠に遥かな蜃気楼がゆらいでいる

 これは私も知りませんでした。狼煙が中国に語源があることも、狼の糞から来ていることもまったく初耳で、良いことを教わりました。燃やせるほど糞が多いのか、なぜ「煙は不思議と真っ直に上る」のか、疑問はありますけど、そんな些細なことを蹴散らすほどの説得力があると思いますね。
 敦煌に旅したときの作品と思いますが、単なる紀行詩ではなく、語源を散策するような風情も感じられて好感を持ちました。最後の1行などいかにも壮大で、中国を充分に伝えていると思います。



詩誌『鳥』39号
tori 39
2002.8.30 京都市右京区
洛西書院・土田英雄氏発行 300円

 てのひら/植木容子

つばさの折れたハトを てのひらにつつんで
少年たちは 困っていた
せめて 箱でも見つけてあげたいと
うろうろしているわたしも 困っていた
 会議まで あと十分

道は二つしかないよ
君達が何とか世話していくか
それとも
このまま 神様にまかせるか

苦しまぎれの 二者択一
少年たちの瞳が 一瞬輝いた
「そうや、かみさまにまかせよう!」
ふっきれたように かけていく

神様に守ってもらう
そんな意味ではないことは 分かっていたはず
飛べないハトの死に場所を 探しにいったのか
それとも「生」の確率に賭けたのか

会議の合間に 廊下を見ると
てのひらでハトをつつんだ少年たち
置き去りにできずに 戻ってきたのだ
てのひらの丸みがまぶしい

葛藤が 窓の外を通っていく
大人たちを 置き去りにして

 作者は小学校か中学校の先生だろうと思います。おそらく小学校でしょうか。「少年たち」の様子を見ると、中学生でも考えられないことはありませんけど、小学生の方が自然だと思いますね。
 「てのひらの丸みがまぶしい」と「大人たちを 置き去りにして」というフレーズが光っています。子供の葛藤、大人の葛藤、強いては「神様」の葛藤を描いていると思います。



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