きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.9.26(
)

 3人だけの小宴会を開いてもらいました。前の職場の同級生の同僚と、私が指導員を務めた異動者が、送別会と称して開いてくれたものです。職場全体で開いてくれる送別会もうれしいものですが、2〜3人という小人数の人たちが開いてくれる送別会は、より自然な好意が感じられて本当にうれしいものですね。前の職場では、少なくともこの二人には嫌われていなかった^_^;
 たまに行っている駅前の居酒屋で呑みました。日本酒は「もくもく酒」という一種類だけ。宮城の酒ということですが、意外とおいしいのです。外で呑むときの限度にしている三合は呑んだかな? もうちょっといっちゃったかな? 他愛ない話をしながら、気の合った仲間と呑む酒は本当にうまいものです。



詩誌『木偶』51号
deku_51
2002.9.25 東京都小金井市
木偶の会・増田幸太郎氏発行 300円

 時間の差/中上哲夫

北米西部の大学町のわたしは
ほとんど梟の暮らしであった
夜は目と頭脳がらんらんと輝いて
昼は霧の国をさまよっていた
空港からアパートメントに着くと
食物とシャワーを拒否し
頭から毛布をかぶってべットに横たわった
体は十二時間で成田からシカゴまで飛んできたけれども
心が太平洋を越えるにはずっと多くの時間が必要なのだった
一週間後 やっと人間らしい心地になって
そのあと 町に出て最初にしたのは
ドラッグストアでアスピリンを買ったことと
ケンタッキーフライドチキンでフレンチフライとフライドチキンを食べたことだった
船酔いみたいな気分は帰国するまでずうっとつづいていて
時差はもうひとつの国へ入るための儀式だ
とわたしにいったひとがいた
その間 木々の葉は緑色から
赤や黄や茶へと変わっていって 吹雪のように舞った
    --- 一九七九年九月一九日、アイオワ・シティ

 「詩集『アイオワ冬物語』拾遺」という総タイトルのもとに2編の作品があり、そのうちの1編を紹介しています。『アイオワ冬物語』は有名な詩集ですから、ご覧になった方も多いかもしれませんね。その拾遺≠ナすから、自ずと興味はそそられようというものです。
 私は残念ながら海外旅行をしたことがありませんので、時差ボケの経験もありませんけど「体は十二時間で成田からシカゴまで飛んできたけれども/心が太平洋を越えるにはずっと多くの時間が必要なのだった」というフレーズは判るような気がします。「時差はもうひとつの国へ入るための儀式」というフレーズもいいですね。地球の自転という時間を超越した人類を見事に形象化していると思います。それにしても、これだけの作品が拾遺≠ニいうのですから、恐れ入りますね。



詩誌『地点』67号
chiten 67
2002.9 鹿児島県名瀬市
進一男氏発行  300円

 このはじめての/田中眞人

太陽が いっぱいにいなないて
谷間の村の西の山巓をひらき
くっきりと ひとすじの光冠をつくる
くつがえされ
さらにもうひとつくつがえされた

ひらっと描かれた
水のおもみ 魚のつらさ
舞う蝶の つよい造型
くうきの舌が どこまでも皮膚をさぐっていく
このはじめての夏
みどり

 田中眞人氏の小特集になっていて、総タイトル「太陽の和声」のもとに13編の作品が収められています。紹介した詩は、その冒頭の作品です。太陽がいななく、「くつがえされ/さらにもうひとつくつがえされ」るなど、優れた感覚をお持ちの詩人だと思いました。「はじめての夏」という言葉は、何が?∞誰にとっての?≠ニいう疑問が起きましたが、そういう意味ではないと思います。「太陽の和声」から考えると、常に「はじめての」というふうに取っても良いのではないでしょうか。映像的であるとともに、感覚的な作品・特集だと思いました。



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