きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.10.5(
)

 日本詩人クラブの作品研究会が神楽坂エミールでありました。出席者は16名と、まあ、通常の人数だったのですが、今回はちょっと趣向が変っていました。作品提出者の他に講師2名、事務局2名、担当理事として原田道子さんと私が出席することになっていますけど、今回は作品研究の後に講師の佐久間隆史さんと私の作品を朗読するということになりました。どうも、どこかでそんな話が密かに進んでいたようです。数日前に詩誌『波』を当日持って来いという電話がありまして、あれ?と思っていましたら、そういうことだったようです。
 佐久間隆史さんはお手本で2作を朗読し、私は講師ではありませんけどついでに、とうことで『波』13号に載せてもらった「夕餉」という作品を朗読させてもらいました。いつもは皆さんが提出する作品の相互批評を聞いているだけでしたが、いざ自分の作品となると難しいものですね。朗読の練習もしていませんでしたから、余計に感じました。何があるか判りませんから、いつも心の準備をしておく方が良さそうです。



文芸誌『らぴす』17号
lapis 17
2002.9.20 岡山県岡山市
アルル書店発行  700円

 昨年、奥様を亡くされたという高木寛治氏のエッセイ「石に刻まれた妻」が感動的でした。氏は保健所所長という立場から奥様の死、ご自身の心理を冷静に見ようとして、様々な文献を紹介しながら葬儀の意義や残された者の心理状態について言及しています。しかし、その奥には冷静になろうとしてもなりきれない人間の心理が見えて、胸が熱くなるのを覚えます。科学者としての冷静な態度と、一人の奥様を亡くされた男との葛藤も感じられて、実に人間的な文章だと思いました。
 中にアルフォンス・デーケン氏の名があって驚きました。デーケン氏とは1998年の日本ペンクラブ「ペンの日」でお会いしています。非常に印象に残る方で、当時の名刺を見ますと「上智大学教授・哲学博士」とありました。残念ながら氏の著作に触れたことはなかったのですが、高木氏の文章は好意的に書かれていますので、読んでみたいと思いました。意外なところで意外な人の名に触れるのも読書の楽しみかもしれません。



中村不二夫氏著『現代詩展望V』
gendaishi tenbou 3
2002.10.14 大阪府豊能郡能勢町 詩画工房刊 2500円

 1998年から2002年の間に「柵」・「詩と思想」などの雑誌に書いたものや、日本詩人クラブでの講演などをまとめたものです。内容は戦後詩について、詩集賞について、インターネットと詩の関連についてなど実に多岐に渡っていて豊富です。著者は現在、日本詩人クラブ理事長。日本の現在の詩壇がどうなっているか、まさに現代詩を展望≠オている著作だと思います。
 幅広い詩論の中で、特に私が注目したのはコミュニケーション学における表現についての下りです。ちょっと抜粋してみましょう。

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 それ以外に、もっと根本的なものがある。コミュニケーション学の知見によると、日常での言語表現の割合は約三○%でしかなく、のこりの七○%は非言語表現であるとのこと。通信コミュニケーションは、どんなに進歩しても、この三○%に近づいているにすぎず、それ以外の七○%の非言語表現領域は埋められない。人は人と直接的にコミュニケートする場合、目、耳、鼻、口、皮膚にかかわる五感のすべてを動員し、また、ときには第六感すらも動員して全人格的にそれを行う。非言語コミュニケーションは話し言葉に付随し、言語領域を修飾することになる。初対面などで、「相手が何者か」であるかを悟るのは重要で、そこでの正体は、実用言語で伝えられている内容より、人体のとる姿勢、動作、目の使い方、声の性状、対人的空間の使い方などにおのずから現われるという。この複雑なコミュニケーションこそが、人間を人間たらしめている最大の要素といってよい。このように直接コミュニケーションがもつ機能は、いくらメディアの精度が向上しようと決してメディアには代替できない。

 私は、本来詩の目的は、言語表現領域の三○%をカバーするのではなく、七○%の非言語表現領域に順応すべきであると考えている。私が詩を書く理由は、人間の行為の七○%を占める非言語の領域を、つまり日常言語で伝えにくい感情、意識の古層をめぐる無意識、そういうものをいかに言語化するかということにある。それら非言語領域の表現化は、新聞、書籍、ラジオ、電話、テレビ、映画のことばとは異質で、まして、コンピューターという機械を使って、合理的、人工的に達成できるものではない。詩語を生み出すためには、既存の実用言語をはるかに超えた想像力がいる。つまり、詩語とは実用言語では捕まえきれない、立体的な超越的言語のことをいうのではないか。その意味で、通信コミュニケーションは実用言語でしか表現できない世界であり、そこに繰りひろげられるコミュニケーションの世界は、あくまでも限定された「仮想的」な世界なのである。真実は、残りの非言語領域七○%の中にある。だから、詩人は通信コミュニケーションの進歩を乗り越えて、逆に人間のなかに眠っている非言語領域を掘り起こしていかなければならない。ある面で通信コミュニケーションの進歩は、本来の詩人としての機能が何かを気づかせてくれることにもなるが。(「情報化時代と詩」2 部分)

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 おもしろい視点ですし、詩とは何かという本質に対するひとつの有効な回答だと言えるでしょう。特に最後の「ある面で通信コミュニケーションの進歩は、本来の詩人としての機能が何かを気づかせてくれることにもなるが。」という指摘は重要です。パソコン・インターネットはただの道具だ、と私は常々発言してきましたが、それをさらに深めた指摘だと思うのです。この指摘の具体化をやらなければな、それが私に与えられた使命のひとつかな、とさえ思います。
 総ページ380近く、読み終わるのに3日かかりました。充実した3日間でした。一読をお薦めします。



詩誌『饗宴』33号
kyoen 33
2002.10.1 札幌市中央区
林檎屋・瀬戸正昭氏発行 500円

 記憶/新妻 博

ジョーダンはんぶんに
ころし屋をやっているわけではない
老人が寄りあって
湯豆腐なんかを囲んでいる図は
一九三○年ごろから
飽きる程みてきたが
いざとなると
火取虫ひとつ叩きだせないのは
駐車場の暗がりに乳母車を
置いてきたからだ
ころし屋は絵本をえらぶのが達人で
その上たちどころに
数人の女を孕ませてしまう
ホトケの家に生まれた因果かも
しれない
十年戦争はこのようにして始まった

 詩を読む楽しみは、描かれた世界を自分に引き寄せることができる点にあると思っています。紹介した作品もいろいろな読み方ができると思いますが、私は「十年戦争」という言葉に注目してみました。すらわち「ころし屋」を軍隊、「老人」を政治家・官僚、「ホトケの家」は日本というように読替えてみると「記憶」というタイトルも理解できると思うのです。作者の意図とは離れているかもしれませんが、そんな読み方で作品の世界から現代を考えてみたのです。短い詩ながら示唆に富んだ作品だと思います。
 今号では「没後20年 西脇順三郎」という特集が組まれています。私にも書けということでしたので「西脇順三郎の葉書」というエッセイを書かせていただきました。執筆に先だって西脇順三郎関係の本を3冊ほど買い漁って読みましたけど、読めば読むほど奥の深い詩人だったなと思いましたね。改めて西脇順三郎を考えるという機会を与えてくれたことに感謝しています。



周田幹雄氏詩集『視力表』
shiryokuhyo
2002.9.30 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊  2000円+税

 風邪薬

咳が止まらない
掛りつけの医者が休みなので
薬箱から 普通の製薬会社の普通の風邪薬を取り出した
飲む段になって 奇妙な紫色の薬だとは思ったが
疑わずに飲んで
改めて箱を見ると 黒い犬のマークがついている
風邪薬の隣にあったイギリス製のわが家の老マルチーズの薬か
獣医帥の指示に従って飲むベき犬用の僧帽弁不全に効く薬を
人間が飲んでしまったのだ
そういえば
錠剤のところに 上の娘の字で 曜日が書いてあった
その金曜日と土曜日の二日分を飲んでしまったのだ
上の娘が 獣医のところに電話したが
 人間の医者に相談してくれ
という素っ気ない返事だ

誰もいない暗い自室の窓から 冷たい月を眺めていると
咳き込むような遠吠えが出そうなのだ

 要は犬の薬を間違えて飲んでしまったというだけの詩なんですが、おもしろいですね。なぜおもしろいかと言うと、こういう類の詩が次から次へと出てくるからなのです。1編か2編ならさほどおもしろいとも思わないでしょうが、頁を繰るたびにいろいろな失敗やら勘違いが出てくると、読んでいる方としてはおかしさが積み重なっていって、ついには笑い出してしまいます。
 でも、事態は意外と深刻なんですよ。家庭における夫の位置、父親という立場がどれほどモロいものかが作品の裏から見えて、思わずわが身を振り返ってしまいます。笑わせられて、次にはそっと家の中を見回してしまう、なかなか怖い詩集だとも思います。
 著者の作品は詩誌『驅動』で何度も拝見していましたが、正直なところ独立した1編1編にはそれほど心を動かされませんでした。しかし、こうやって詩集という形でまとまってみると、ある迫力を持って向ってきます。詩集というものの特質を改めて感じました。



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