きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.10.15(
)

 12日は日本詩人クラブの例会でしたが、サボりました。出掛けるつもりで準備していたのですが、気持が悪くなって止めてしまいました。ベッドに横になったらそのまま眠ってしまい、12日〜14日の3連休は、結局、寝て過しました。その合間に日本ペンクラブ理事・秦恒平氏の小説5冊を読みましたから、まあ、有意義な休日だったとは言えます。秦さんの本は夢中になりましたね。だんだん体調が快復するに従い、読むピッチが上がったのが分かりました。

 そして、本日。すっかり忘れていたのですが、私の送別会でした^_^; 前の職場で15人ほどのグループに属していたのですが、そこの送別会でした。8月16日付で異動して2ヶ月、これが最後の送別会です。
 一次会・二次会と全部つき合いましたけど、最後の店では驚きましたね。二十歳ぐらいの店の女の子がいたんですけど、なんと腕と手首に刺青をやっていました。貼ってるのかと思ったら、本物なんですって! 昔のように針で彫ることはなく、今は電気でやるそうで、そういえば昔の刺青に比べると輪郭が無い、、、って、なんで知ってるんだ^_^;
 なんで知ってるかは1999年に出した詩集に書いてあることですけど、まあ、そんなことはどうでも良くて、若い女の子がなあ、と思ってしまいました。どんな生活をしてきたんだろう? 自分で納得して彫ったようですから、私がとやかく言う筋合はありませんけど…。なんか、ちょっとショックを受けた夜でした。



詩誌『木々』26号
kigi_26
2002.10.25 東京都三鷹市
木々の会・小林純子氏発行 700円

 夕暮の中で/石井真智子

ガード・レールに腰をかけ
髪を春風になびかせた若者が
腰までずり下がったリュックを背に
花見を している

向う側の鉄柵の中
枝を広げた 満開の桜の木々
桜と若者との間を
車が 行き交っている

右を見たり 左を見たりしながら
足をぶらつかせていたが
やがて立ち上がると
少しずつ 歩き出した

人待ちして いたのか
桜見して いたのか

----

葉桜が茂るころ
わたしは この地から
引っ越しを する

 タイトルと最終連が見事に合っている作品だと思いました。「若者」への観察も抒情的で、いい視線だなと思わず惹き込まれてしまいました。なぜ「若者」へそんな視線が行くのかが最終連で説明されていて、そしてタイトルをもう一度見ると、読者はすべてを納得する、そんな構成も奏効していると言えるでしょう。1行「----」とあるのもうまいと思いますね。
 なお原文では「桜見」には「さくらみ」とルビがありましたが、ここでは省略しています。うまくルビが振れない現在のソフトに問題があります。画面上で作品を壊さないためにはルビを外した方が良いという判断です。ご了承ください。



大野理維子氏詩集『赤い麦藁帽子』
akai_mugiwara_boushi
2002.9.22 東京都中央区 朝日新聞出版サービス刊
2500円

 テールランプ

国道に
一分の隙もない紳士顔の自動車が
勢揃いし
前面を見据えるへッドライトが
人生の花道を照らしているようだ

だが 後ろ姿は
みんな 赤い目の テールランプ
光の影を曳きながら
泣きながら夜道を走っていく

人生の哀歓と
表と裏の違いを暗示しながら
テールランプは
真っ暗い夜道をどこまでも
疾走している 疾走している

 詩集の主題は7年前に亡くしたお孫さんへの鎮魂です。詩集タイトルの「赤い麦藁帽子」はお孫さんの帽子のことです。お孫さんへの想いが声高にではなく、抑えた言葉で述べられていますが、ここではそれらと違った作品を紹介してみました。詩集の中では異質な部類の作品と言えましょうけど、著者の思想の根底を成すものと思って紹介する次第です。
 第2連の視線は重要な指摘だと思います。第1連で、自動車にさえ「一分の隙もない紳士顔」と、それこそ紳士的に接しているのに、第2連ではきちんとその裏を見ています。「人生の哀歓」を知る者のみが書ける視線なのかもしれません。



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