きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.10.17(
)

 社員教育のアドバイザーとして小田原の研修施設に行ってきました。私はアドバイザーですから直接講義をすることはなく、講義をするインストラクターの指導が仕事です。でも、今日は30分ほど直接の講義をやってみました。私が個人的に体験した事例がおもしろい、という事務局の話に乗せられた格好です。まあ、1時間になるか30分になるか、講義時間も不定でしたから、慣れた私の方が時間調整ができるという面もありましたから引きうけてしまいました。
 経験の少ないインストラクターと私を比べて、自分でも違いがあるなと思ったのは話し方です。インストラクターは教科書に忠実になろうとして、あまり研修生の動向を見られないという面があります。私は一人一人の動きがよく見えているようですから、話し方も相手に合わせて変えられます。経験1年と10年とでは当り前のことですけど、早くインストラクターも余裕が出てくるといいなと思いましたね。インストラクター諸兄には「場数を踏むこと」と教えましたけど、その機会を作るのは事務局の仕事ですから、私の立場としては痒いところに手が届かない思いがあります。インストラクター自身が職場で機会を作る必要もあるんですけどね。



詩と童謡誌『ぎんなん』42号
ginnan_42
2002.10.1 大阪府豊中市
ぎんなんの会・島田陽子氏発行  400円

 親父の肖像/河野幹雄

寝転んで 漢字の宿題 やっていたら
牛になるぞと 怒鳴られて
トラになるよりいいよと 言い返した
うめえことを言いやがる
達者なもんだと冷や酒のコップを置き
見せてみろ
うまく書いているじゃねえか
筆順には気をつけろよ などと
猿股一つで 目を細めていた
取り留めもないことから
犬も食わぬ喧嘩ばかりしていたが
いい親父だった    (十二支 折詩)

 いい詩だなあ、と思って最後まで読んできました。そして(十二支 折詩)と書かれているのを見て「?」と思いましたね。なるほど寝・牛・トラ・う…≠ゥ!
 昔はこういう形の詩が流行ったことがありましたけど、最近はとんと見なくなりました。類型やこじつけが多くなって、飽きられたのでしょうね。しかし、久しぶりに見ると何やら新鮮に感じます。うまく合わせたことも良かったのでしょうが、やはり詩の内容が優れているから納得できるのだと思います。内容さえ良ければ、こういう詩の復権があってもよいかもしれなと思いました。



島秀生氏編・著
『ネットの中の詩人たち2』
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2002.10.10 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊  1238円+税

 メッサーシュミット/ともおかやつのり

皺にオイルのカスを詰まらせ、爪までまっ黒になった手が、
ボルトの1本l本に潤滑油を塗りこんでゆく。
口は真一文字に結ばれ、目も耳も指先を見ている。
ネジ山に砂が付いてはいないか? 山が壊れてはいないか?
節くれだった長い指は、その指先で、指の腹で、
ひとつひとつの感触を探りながら、ゆっくり、ゆっくり。
ボルトの山をなぞるように、丁寧に、丁寧に…。

目の前の古めかしい三輪の自動車がこんなにも美しいのは、
毎日この男の愛撫を体の隅々にまで受けているからなのだろう。
数十年という時間を微塵も感じさせない真っ白なボディーは、
納屋の照明に照らされ、透き通って見える。
満月の下にでも連れ出せば、なお一層、
楊貴妃にも勝る妖艶な光を放つに違いない。

今夜はこの老人と二人、眠れない夜を遇ごす。
明日、メッサーシュミットに再び火が入る。

島秀生さんのHPに集う人たちを中心に、22名の作品が収録されています。紹介した作品の作者は神奈川県在住で、他の作品からも自動車好きが窺えます。「メッサーシュミット」とは、最初、旧ドイツ軍の戦闘機の名前かと思いましたけど、違いましたね。そう言えばそんな名の「三輪の自動車」があったような気がします。
 私もクルマいじりが好きな時代がありまして、クラッシックカーには手を出しませんでしたが、ジープの分解・組立はよくやりました。エンジンの交換など意外に簡単にできるんです。もともとは軍用車ですから簡単に再生できるようになっているのだと思います。作品を拝見して、そんな昔を思い出しました。ジープにはずいぶんクルマの勉強をさせてもらいました。「ネジ山に砂が付いてはいないか? 山が壊れてはいないか?」というフレーズは実感としてよく判ります。
 「今夜はこの老人と二人、眠れない夜を遇ごす」という夢中さも理解できますね。クルマいじりなんて散文的と言えばそれまでなんですが、その中に「再び火が入る」という詩的感覚をとらえているのは見事だと思います。散文の中に詩を見つけるのは容易いことではないと思うのです。



月刊詩誌『柵』191号
saku 191
2002.10.20 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏発行 600円

 廃墟/伍東ちか

錆びた鉄材
(てつ)
  こんなにも熱いのは
溶鉱炉にいた頃を億えているからだ

鉄骨の柱が片ひざをつきながらも
  腐食した残生を支えているのは
 強い誇りを忘れずにいるからだ

研磨機
(サンダー)のつんざくような金属音が
 蝉時雨に変わった
鉄粉のはじけとぶ火花が
 コガネ虫の碧
(あお)いヒカリに変わった

軋む音をたてながら
  廃工場は
 ゆっくり 還ろうとしている

時の向こうへ続く
  永い 蟻の行列が
 未来
(あす)への道を 示唆している

 第1連の「溶鉱炉にいた頃を億えているからだ」というフレーズに惹かれました。形状記憶合金というのがありますが、蓄熱記憶金属とでも言えるでしょうか。もちろんそんなものはありませんが、鉄に夢を託せるようで、想像力をかきたてられます。「廃墟」の「強い誇り」も感じられて、捨て去られるものへの愛惜も表現していると思います。
 それにしても「腐食した残生」「コガネ虫の碧いヒカリ」など輝る言葉が並びますね。作者の並々ならぬ感覚を感じる次第です。



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