きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.10.19(
)

 土曜日ですが、会社に行くかどうか迷って、結局行きませんでした。製造現場と電話で連絡を取り合って、それで済ませてしまいました。
 製造現場は今日から品種変更になります。変更当初の性能を確認する仕事が私の職場に与えられた任務ですが、評価グループの者が出勤しています。私はその結果を判断して製造続行の可否を指示しなければなりません。休日のやり方は自由裁量ですから、私が出勤して評価グループの測定結果を判断するのもひとつの方法、結果を電話で受けて指示を出すのもひとつの方法。今回は後者を選びました。
 以前いた職場は技術職ですから、新製品に関しては責任を持ちますが、開発が終って製造部門に移管した商品については責任を持ちません。異動後の職場はルーチンで流れる製品の品質保証ですので、日常的に休日出勤が起こり得ます。それじゃあたまらんなと思って電話連絡を選びましたけど、これからはこんな事態がどんどん起きてくるでしょう。会社の仕事と私事をうまく調節する能力が必要になりそうです。



原子修氏詩集『受苦の木』
jyuku no ki
2002.11.5 東京都東村山市 書肆青樹社刊
2200円+税

 無根樹

幼くして根を鋭い電動鋸の牙で切断され そ
のまま 虚空に投げ棄てられた いっぽんの
木のわたし……いつくしみの水に潤う大地か
ら永久に追放され 干からびていく枝むらの
帆に ゆきずりの風をはらんで 生まれなが
らにして死罪の宣告をうけたヨットのように
 フロンガスの海を浮遊するばかりの 無根
樹のわたしに いつわりの未来を語るなかれ

幼くして根を鋭い電動鋸の牙で切断され そ
のまま 虚空に抛りだされて 渇きにあえぐ
枝を梢を 光鐸の失せた羽根のようにひらき
 必死に生きのびようとした いっぽんの木
のわたし……天から無限に降り注ぐ大自然の
慈雨をも冷酷にさえぎられ 内分泌攪乱化学
物質を大量に溶かしこんだ人工飲料を 幹の
根もとの傷口からすするように強いられ 生
きながらにしてゆるやかに処刑されていく
無根樹のわたしに まやかしの希望を語るな
かれ

幼くして根を鋭い電動鋸の牙で切断され 虚
空に葬られた末 痛みと怨念に蝕まれて空洞
化した幹を 無実体な煙のように棚引かせ
生ける屍となった いっぽんの木のわたし…
…降りしきる光の恩寵をうけとめる緑の葉の
皿もなく クリプトン八五とポリ塩化ジべン
ゾダイオキシンとオルトフェニルフェノール
のかもしだす暗黒の天末線へと 排気ガスの
雲となって消滅していくばかりの無根樹のわ
たしに いかさまの救済を語るなかれ

 己を木と規定した著者の作品が、ほとんど散文詩の形で収められています。透明で硬質な思想を表現するには、散文詩は最も適した形なのかもしれません。そのリズムともあいまって、思わず声に出して読んでいました。
 紹介した作品はそのような中の一編ですが、透徹した思想とリズムを感じとってもらえると思います。「幼くして根を鋭い電動鋸の牙で切断され」と始まり、「を語るなかれ」と締めくくられた各連は、読む者の姿勢を正しくさせるものがあります。襟を正して、と表現したくなる詩集です。



すみさちこ氏詩集『櫻神』
sakura gami
2002.9.23 東京都板橋区 待望社刊
2000円+税

 春の気圧

電話は
どこか知らない町の
事務所の物になったらしい
女性の声のテープがまわって
業務は終了したと告げ 切れた

降るように散る桜のひとひらふたひら
細く開けた窓から迷い入る
日曜日の昼下がり
アドレスノートの最初の一行を
消せないでいる淋しい指が
プッシュボタンの位置を
まだ正確に覚えていてなぞりたがる

あなたの暮らしの跡も
たちまちに消し去ってしまう日常の波の
くりかえし砕ける水際で
私はいつまで放心しているのだろう

窓いちめんを覆って鎮もる満開の桜
花曇りよりはもっと濃密な
春の気圧の底を這うように
遠い雷鳴が響いてくる
雲を切り裂く閃光も走って

私はあまりな無力さを
叱られているのかもしれない
傍受なさい
傍受なさい
遊星の縁を巡って
あなたからの重要なメッセージは
発信され続けているのかもしれないのだ

 「あなた」とはおそらく著者の師であった故・安西均氏のことではないかと思います。他の作品からも窺えますし「アドレスノートの最初の一行」でそれを知ることもできます。生前の安西さんとお会いしたことはありませんが、これだけ慕われる詩人はそういるものではないと思いました。
 「傍受なさい/傍受なさい」の繰返しは胸を打ちますね。「あなたからの重要なメッセージ」を受信しようとする著者の心中を思うと、師弟の強い絆を感じます。詩の世界のみならず、安西均という詩人の人間性に惹かれた結果でしょうか。美しい師弟関係を見せてもらった思いです。



岸本英治氏詩集『夜の屋根の上』
yoru no yane no ue
2002.7.1 東京都新宿区 思潮社刊 2000円+税

 時代について 1

ぼくらの夜明けは
さびしいものだ

だから
どこにでも
詩の破片
(かけら)はころがっていて
それでも近づくと
少し
言葉の匂いがした

ふとふりむいたら
街には
アンモニウムが夥しく漂い
言葉たちは
たっぷりと沈んだ

気がついてみたら
涙腺を背負って歩いていた
もうどこにでも
階段はころがっていて
昇りつめたあたりで
ぼくらは暮れ
もう帰ってきはしないか

いつか
ひなびたはずの言葉たちが
わあっと
街めがけ
いっせいにかけ出しはじめた

 詩集の巻頭作品です。この「時代について」は1〜4のシリーズになっています。それにしても第1連の「ぼくらの夜明けは/さびしいものだ」というフレーズはうまいですね。「時代」とマッチして唸らせます。第2連も美しい連だと思います。「言葉」についての著者の思いが痛いほど伝わってきます。読み応えのある詩集だと思いました。



いちぢ・よしあき氏詩集
『シドニー(42.195km)女』
sydney(42.195km)onna
2002.11.20 千葉県山武郡成東町
工房わんおくろっく刊  1800円

山口衛里はこれまで集団に呑み込まれ
緊張のあまり何度もフォームを崩した
メンタル両で弱い その思いが
身体を少しずつ固くしていくのを感じた
「山口 コラ なんちゅう顔をしとるんや」
「あ 三村(アシックス)さん」
関西弁に笑顔がこぼれる
山口はピョンピョンと飛び跳ねて
気持を静め始めた

市橋有里の朝は
いつもとあまり変らなかった
少し早めに眼を覚ました
よく眠れた 一つ大きく伸びをして
スタート地点に近づくと
足首をくるくる回して自分のリズムを作る
自分の世界へと入っていく

シモン(ルーマニア)は
ポーカーフェイスのまま動こうとしない
「まるでこうのとりだね」
誰かがぼやいた

高橋尚子はイヤホンを付け
流れる音楽で踊っていた
「キューちゃん 普通だよ 普通でいいよ」
小出義雄監督のだみ声だ
不意に高橋が踊るのをやめ
イヤホンを外して サングラスを掛けた
真顔になった

《位置について!》
          (「序章」部分)

 タイトルの通り、この詩集はシドニーオリンピック女子マラソンを描いた叙事詩と呼べるでしょう。紹介した部分は「序章」の後半で、スタート前の優勝にからむ選手の様子を描いています。まるで自分が選手になって、あるいは目の前で体験しているような緊張感が漂ってきます。散文も書くという著者の、確かな筆致を感じさせる作品だと思います。
 このあとの展開も素晴らしいものです。結末を知っているとは言え、女の闘いを自在に描いていく筆力に圧倒されながら最後まで一気に読んでしまいました。詳細な心理描写に単なる叙事詩を超えた文学を感じます。しかも、誰もが知っている結末で終らない最終行。ここで明かすことは簡単ですが、止めておきましょう。一度手に取って読んでもらいたいものです。スポーツ詩の新しい分野を開いた詩集だと思います。



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