きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.10.26(
)

 第179回「KERA(螻)の会」が新宿で行われました。今回は和田文雄氏の最新詩集『失われたのちのことば』について語り合おうというもの。10名ほどが集りました。全員がスピーチを義務付けられていまして、私は「センスの良い詩集」と言わせていただきました。
 詩集の発行日は本年8月16日。8月15日は敗戦記念日ですから、その次の日ということになります。すべてが終った(失われたのち)のことばを書きたいという和田氏のセンスがまず、わたしを唸らせたのです。作品は叙事詩とも呼ぶべき書き方で、淡々としています。それが奥にある情念を浮き上がらせる効果を果していて、その面でもセンスがあるなと思いました。作品数は16編だったかな?どちらかと云えば薄い詩集で、それも和田さんのセンスの現れだと思いました。
 まあ、そんなことをしゃべらせてもらったんですけど、いい会だったなあ。大人の集りとでも云えば良いのでしょうか、安心して思ったことが言えましたね。二次会はゴールデン街。珍しく流しも来てくれて、少しハメを外してしまいました^_^;



麦田穣氏詩集『南極の赤とんぼ』
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2002.10.25 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊
2000円+税

 始発便飛ぶ

この黎明のしじまを 破って
朝日に向かって飛びたつ 始発便よ

揚力を得るため お前は風に向かい離陸する
ぼくの予報する突風
(ガスト)や風の急変(ウィンド・シア)や晴天乱気流
今年は どのような風が吹くだろう
昨年の 風向の出現頻度を示す 風配図
(ウィンド・ローズ)
空港気象予報官のぼくの 頭をよぎる

風を読みぼくも 一年間ぶじ飛べるだろうか
風配図 薔薇
(ローズ)
直腸がん摘出手術と放射線治療をへても
まだ抗がん剤を 口にはこぶ身だ
命は風が咲かせた冬薔薇
(そうび)ひらひら と
生臭いことは忘れさせてくれるよ仕事はありがたし
とまれ
管制官は離隆時 パイロットに対し
「さようなら」とは 決していわない
「いってらっしゃい」という

銀のつばさの大鳥よ
ぼくは 風に向かう君の雄姿がすきだ
今日は 氷晶のレンズ雲が光り
上空を激しい気流がうねっている

ジェット機よ 新春の風に向かい 上昇し
今年のみんなの 幸せとぶじをはこびたまえ
そしてぼくも 君を見送ろう
「いってらっしゃい」と 呟きながら
ほら すでに神仏なくして ぼくの命も
ひいやりひらひら飛んでるようだ

 著者は日本詩人クラブの会員で、作品でも判りますように関西国際「空港気象予報官」です。しかし、著者とは何度かお会いしていますが、「直腸がん摘出手術」を受けたとは知りませんでした。この作品はそんな著者の置かれた立場をうまく表現していると思います。
 実はこの詩集には大いに興味を覚えました。気象に関する作品が多く登場するからです。私は以前、ハンググライダーやパラグライダーで遊んでいましたから、詩集に出てくる気象学の用語がほとんど理解できます。空で遊ぶには航空力学と気象学が必須ですからね。学科試験に合格するために必死に勉強したことをなつかしく思い出しています。作品の中には専門用語を知っていればおもしろいという作品が多いのですが、おそらく知識がないとおもしろ味が半減するだろうと思って、上記の作品を紹介した次第です。その意味でも「風の急変」に「ウインド・シア」というルビを振ったのは正解でしょう。
 気象の専門家としての立場と癌患者の心理を表現した詩集は、前者・後者で評価が分かれるかもしれません。でも、そんなことは気にせず書くしかないでしょう。私も化学工学に関する作品ではずいぶん叩かれました。気象の方が生活に密着しているので、理解されやすいかもしれませんね。私にとっては大事な詩集となったことを付け加えておきます。



機関誌『未知と無知のあいだ』13号
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2002.2.1 東京都調布市 方向感覚出版・遠丸立氏発行 250円

 これをいただいたときは「申し訳ないことをしたな」と思いました。本誌は14号、15号といただいています。そこに遠丸さんの「アーミッシュは時代遅れか」という論文が載っていました。15号が最終版で、私は第2部と第3部を読ませていただいたことになります。そして15号にこれが最終と書かれていて、大いに不満に思ったのです。第2部がおもしろくて、第3部も引き続きおもしろかったのに最終版! しかも第1部を読んでいない!
 そんなことをつい礼状に書いてしまいました。それなら、ということでバックナンバーを送っていただいたのだと思います。恐縮する次第ですが、これで第1部から第3部まですべて読ませていただいたことになり、満足しています^_^; 内容はもちろん期待通りでした。
 このHPをご覧の方にも本誌をお読みいただきたいと思うのですが、アーミッシュ≠ヘ17世紀に発生したプロテスタントの一派で、教会も持たない、偶像崇拝もしない、厳密に新約聖書のみを守るという人々です。現在、米国とカナダに20万人ほどが生活し、テレビ・ラジオ、自家用車も拒否という生活を送っているようです。遠丸さんは、それは時代遅れ≠ネんかではない、人間のあるべき理想の姿に近いのではないか、という論を張っています。
 彼らはもちろんインターネットなんか拒否していますから、HPでこんなことを書いている私には彼らを語る資格はありませんけど、でも注目しています。道具なんだから使えばいい、という私の考えと、道具はシンプルであるべきだという彼らの接点が、実はどこかで共通しているように思えてなりません。考えさせられる連載です。



詩誌『さやえんどう』24号
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2002.10.15 川崎市多摩区 堀口精一郎氏発行
500円

 おいも/金 水善

青年は食事時になると
どこからともなく現われる
兵隊帽にアイボリー色のシャツを着て
窓に顔を斜めに出して
ひと言もいわず
じっと立っている

くぼんだ目は一点に注がれている

食卓には
蒸したばかりのいもが篭に盛られている
食べ盛りのいる五人家族には
少なすぎる量だ
----ない時こそ分けて食べようね----
オモニはそう言いながら
何個かかぼちゃの葉に包んで渡す

しばらくして
済州島の真青の空に黒い物体が
被いかぶさるように
飛んで来るようになった
いつのまにか青年は姿を見せない
日本に帰ったのだろうか

あの兵隊さんは
若き日の堀口さんにも似ているし
和田さんにも似ているような気がする

※ 日本は朝鮮に
  一九一五年「米穀物検査規則」を
  一九一八年「穀物収容令」を公布したため農産物を日本に提出させられ、いもかあわが主食であった。

 作品もさることながら、注に驚かされました。日韓併合は1910年だと思いましたから、それから僅か5年で「農産物を日本に提出させ」たのですね。これは知りませんでした。1949年生れの私が知らないのですから、現在の日本人はほとんど知らないと思います。歴史の貴重な証言を得た思いです。
 そんな目にあわされた朝鮮の皆さんが、それでも「何個かかぼちゃの葉に包んで渡」したり、「日本に帰ったのだろうか」と心配してくれていたことに、今更ながら頭が下ります。朝鮮民族の心底のやさしさ、心の広さを改めて知らされた作品でした。



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