きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.11.5()

 会社の健康管理部門が主催した「タバコの害」についての講演会がありました。強制されたものではありませんでしたけど、私も愛煙家ですからね、行ってみました。ビデオ放映が主で、米国で流されている嫌煙CMを見ましたけど、驚きましたね。口から肺まで内視カメラで入っていく、という趣向でしたけど、結構、肺ってやられるもんだということを認識しました。
 そんなビデオを観たからといって、すぐに煙草を止める気はありませんが、CMについては考えてしまいました。米国は、自国ではそんなCMを流すけど、他国にはどんどん煙草を輸出しています。日本ではさらにCMで追い討ちをかけています。自分の国さえよければ良いとする考えは、ちょっと信じられない思いです。危険を回避するのはそれぞれの国の責任だ、という考え方に基づいているようですけど、本当に油断のならない国だと思いましたね。
 で、今後も国産の煙草を愛用することにしました^_^;



武田健氏詩集『傘』
kasa
2002.11.3 千葉県茂原市
草原舎刊 1905円+税

 会話

お迎えが参りました
呼んでないよ
いいえ もうじき
ご親族の方々も集まります
誰だ きみは
きのう消された時間かな
用事があれば自分で行く
車の運転は好きだし
それはもう出来ない
なぜだ
顔に白布を被せてある
誰が被せたのか
どこにも影が無いから
多分時間という奴
ついさっき
大きな欠伸をしていた
ところで何の用事だ
特に無い
時間が来ただけだ
嘆くな
きみは立派な記憶になる
ところで何処に行く
なま欠伸に乗って
時間の無い世界へ
ところでそこで
白布は捨てられるか
めしは喰えるか
酒は飲めるか
女は居るか
時間は無いけど
髭は剃れるか
童謡は聴こえるか
帰りの車はあるか

 「お迎えが参」った状況の作品ですけど、おもしろいですね。「めしは喰えるか/酒は飲めるか/女は居るか」というフレーズは、考えやすいものですけど、最後の「帰りの車はあるか」には降参しました。これがあれば怖いものなし、何度でも体験してやるという気になりますね。著者の強靭な精神を見た思いです。
 他に「靴の上」という作品もユニークだと思いました。靴下から背広を見るという作品ですが、視線の新鮮さを感じました。散文詩の「陰湿講座」もタイトルからしてユニークです。著者の詩精神の広がりを感じさせる詩集だと思いました。



谷口ちかえ氏訳詩集    世界詩人叢書11
『ポール・キーンズ・ダグラス詩集』
p k douglas shisyu
2002.11.10 東京都東村山市 書肆青樹社刊 2500円+税

 スタジアムのおばさん(*1)

ああ 帰ってきたよ メルリおばさんも連れてね
ねぇ おまえ 馬鹿な質問をするんじゃないよ
おまえの招いたトラブルに巻き込まれてこの始末だ
そうさ トリニダードは負けたよ
そうだよ 諸島連合チームに負かされたよ
そのことだったらメルリおばさんに訊くといい
なぜ怒ってるって? 誰がそう言う? 怒ってるってわかるかい?
おまえもわからない人だね
おばさんをスタジアムに連れていく時期のことだよ
もう終わったことだが二度と嫌だ 絶〜ったいにね
スタジアムへは親戚の誰も連れていかない
次に行くときは絶対一人だ
つまり 一年のうちいつでも良かったわけだ
――彼女をスタジアムに連れていくのは
それがなぜ今日なんだ?
トリニダードvs諸島連合(*2) このビッグマッチの日に
ああ分かってるよ 彼女の誕生日なんだろう
セント・ヴィンセント(*3)島からやってきて
いつも島のことばかり話してる
でもこの町のキュエープ(*4)に住みついてもう15年だよ
なのにスタジアムに足を踏み入れたことがない?
だがどうして今日なんだい!
ここにはトランジスターもラジオもテレビもある
心地のいいこの家で試合を楽しむこともできる
けれどど真ん中のポート・オブ・スペインへ
おいらにクリケットを見に連れていかせる
そしておいらを死にそうな目にあわせる
この1975年4月現在 おばさんは65歳だ
おくさん おいらをどんな混乱にまきこんだ?
(後略)
 *1 著者のアンソロジー第一集のタイトルポエム。この第一アンソロジーは1992年に発刊され、著者の初期の代表作が収録されている。タイトルは「タンティ・アット・デ・オバル」。オバルとは楕円形をしたクリケット・スタジアムのこと。タンティはフランス語のtante=「おばさん」。カリブはヨーロッパ諸国の争奪が燥り広げられた歴史を反映して、フランス語やスペイン語をはじめ、多言話が入り交じっているのも、特徴の一つである。
 *2 カリブの島々には多くの国家があり、その連合チーム。北部寄りにはキューバ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルト・リコ、ジャマイカなど東西にチェーン状につらなる大アンティル諸島がある。南北につらなる小アンティル諸島には、最南端のトリニダード・トバゴの他に、グレナダ、バルバドス、セント・ヴインセント、セント・ルシア、マルチニーク、モントセラート、ドミニカ、グアドループ、セント・キッツ&ネイビス、アンティグア、バブーダなど。
 *3 セント・ルシアとグレナダの間にある独立国。
 *4 首都ポート・オプ・スペインの東方10キロ、東西及び南部と幹線道路で結ばれている。

 とても長い作品ですので「後略」としました。全部で16頁もあり、そのうちの2頁を紹介しました。この後「おばさん」がリクケットのスタジアムでとんでもないことをやらかすのですが、それは機会があったらこの詩集で楽しんでください。
 註釈にもありますように、この作品は
ポール・キーンズ・ダグラスの「アンソロジー第一集のタイトルポエム」です。原文はトリニダード・トバゴやカリブ海の土着の言葉(アメリカ・インディアンの言葉にアフリカからの奴隷の言葉や英語・仏語・スペイン語の混じったもの)で書かれているようです。ほとんど英語のなまりの強い言葉として読めるようで、その原文も一部掲載されていました。カリブの文化を紹介した本は日本ではまだ少ないようですから、興味を持つ人は少ないかもしれませんが、興味がある人には貴重な本と言えるでしょう。訳者は今年2月に現地に渡り、資料収集にあたり、著者とも直接会ったそうです。今年は外務省提唱の「国際カリブ年」。外務省に呼びかけられて、まだまだ知られていないカリブの詩人を紹介する訳者に敬意を表しています。



永井ますみ氏詩集『ヨシダさんの夜』
yoshidasan no yoru
2002.11.1 東京都新宿区 土曜美術社出版販売 1800円+税

 見えない線

道端に人が倒れていれば
おっかなびっくり
一一九番に電話するのだけれど
道路には見えない線が引いてあって
その頭のある位置で管轄が変わる
兵庫救急であったり
北救急であったり

倒れていた人が
かろうじて命とりとめて
病院に入院生活を送る時
住所が病院であれば
税金から入院費用が出る
いくばくかの小遣いと共に

おっちゃん六十歳の今まで何しとったんや
酒ばかり飲んどったんとちゃうか
嫁さんもおらん
子おもおらん
住むとこのひとつも無いなんて

何を言われても
息の洩れるみつくちで抗弁もできず
黙って
ペンキを塗って生きてきました
今だって
ペンキの仕事さえあれば

見えない健康に線をひいて
退院をするのだけれど
どこへ退院して行ったらいいのだろう
住所は遠い北の町にあって
線の向こうで首を横に振っている

 著者は看護婦さん(今は看護師と言わないといけないそうですけど)です。病院の中の様々な人間を描いた詩集です。紹介した作品はその一端ですが「道路には見えない線が引いてあ」るということに驚かされますね。そう言えば、以前、近くの工場で火事があったとき、2ヶ所から来た消防自動車のうち、1ヶ所の方は管轄が違うと言って帰ったと聞きました。応援要請がなければ手出しが出来ないんだそうです。
 そんなことが救急車にもあるんですね。法律や条例で決められたことなんでしょうが、人の命よりまず線引きがあるという事実に驚かされます。
 「おっちゃん六十歳の今まで何しとったんや」というフレーズも身につまされます。とりあえずフツーのサラリーマンをやって、何とか食うに困らない状態ですけど、「六十歳」まで大丈夫だと保証されているわけではありません。いつ、この作品の主人公になってもおかしくないのが日本の現状だと思うのです。
 著者は、決して青筋たてて世間を批判する作品を書いているわけではありませんけど、詩集の一編一編から世の中を考えしまいます。看護婦さんという職業柄、世の中をきちんと見る眼が育ってしまうのでしょうか。いい詩集だと思いました。



浅野明信氏詩集『時をまたいで』
toki_wo_mataide
2002.10.20 北海道北広島市 北海詩人社刊 2000円

 日暮れ

朝がきて
すばやく日暮れがくる。
あっという間の過去の日暮れ。
日暮れは空の赤い夕日の死体である。

 詩集というよりは詩画集と呼ぶべきでしょうか。右の頁に1〜6行の短詩、左の頁には画家でもある著者の絵が置かれています。絵は詩と関連のある場合もありますが、ほとんどは無関係だと思います。詩の深さと絵の広がりを感じさせる詩画集だと思いました。
 紹介した作品はその中の一編ですが、最後の「日暮れは空の赤い夕日の死体である。」というフレーズは名句と言えるでしょう。死の淵を通ってきたという著者の、実感を伴う描写と思います。



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