きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.11.7()

 午前中は業務依託をしている会社に出向いて、トラブルの現地調査をして、午後はパーツの納入メーカーに来てもらって、トラブルの善後策を検討して、一日中振り回されていました。モノ作りにトラブルは付きものですけど、ここのところ多いなあと思います。
 先日、おもしろい考え方を聞きました。そういうトラブルがあるから弊社の優位性が保てるのだそうです。「誰がやってもうまくいくなら、誰でもやる。トラブルが多いモノだから容易に他社が入り込めない。故にトラブル様々である」というものでした。なるほどなと思いましたね。確かに難しい製品ですから、弊社のある種の製品は世界的に独断場です。シェアー99%、なんて製品もあります。
 もちろん競争原理からいえば独占は良くないので、他社の参入をむしろ歓迎しているのですが、参入した会社も早々に退散してしまいます。製造現場の技術屋として長く勤務して、現在は製品の品質管理部門にいますけど、確かにノウハウの固まりですから参入は難しいだろうなという実感はあります。特許を見れば製法は書いてあるわけですから、やろうと思えばできない訳ではありません。でも特許に書かれていない、書き切れない部分ってあるんですね。結果的にはそれに守られているのかと改めて思いました。
 そんな訳で、最近は多少のトラブルは苦にならなくなっています。メシのタネ、メシのタネと思うようにしているんです^_^;



飯島和子氏詩集『昔ばなし』
mukashi banashi
1991.7.7 東京都千代田区 花神社刊 1942円+税

 夏のネクタイ

父の日に
むすめの選んだ夏のネクタイを絞めて
月曜日 出勤して行った うちのひと
その朝の くしゃくしゃのうれしそうな顔

つぎの日
とりわけ暑い日でした
ビール二本で ああ生き返ったみたいやと言いました
とりの唐場げつまんで ふっふっと笑いました
プロ野球を観ながら むすめと冗談を言い合ってました
書斎のドアを閉めるとき
ちよっとふりむいて「おいっ」と言いました

昭和五十四年六月十九日 午後十時

お棺にネクタイをいれました
むすめの選んだ涼しい色のストライプ
それを絞めて 男前にみえるやろと笑ったネクタイです

ネクタイ売場で
足を止めている
「如何ですか」
はあ
男前のおっさんのネクタイ
涼しい色の 夏のネクタイ
ほしいですねん

 今日は飯島和子さんの紹介デーです。3冊の詩集をまとめていただきました。最初に紹介する詩集は、もう10年も前のものですが、まったく古さを感じさせないものです。人間の本質に迫った作品が多いせいだろうと思います。
 紹介した作品も「うちのひと」も「むすめ」も、それを語る作中人物の心境も普遍的なものです。幸せな中に、ふっと訪れる翳。だから逆に、余計に幸せが浮かび上がってくるのかもしれません。そんな読み方もしてみました。
 それにしても、男というものは「男前にみえるやろと笑っ」ていても、いつ「ちよっとふりむいて「おいっ」と言」って去っていくのか判らない存在なんですね。なぜか女性にはこういう舞台はないように思います。ある意味では男の本質を捉えている作品と言えるのではないでしょうか。



飯島和子氏詩集『はるかに とおい』
harukani toi
1996.12.10 大阪府八尾市 ヴォクス刊 1942円+税

 あれから一年すぎた

雁治郎の 白い足をみていた
白い足が 泣いた
白い足が 走った
桜の花が 雪のようやった

曾根崎心中 千回記念
平成七年一月十六日 夜 中座

うちは その晩
うきうき八尾まで帰って
着物 座敷に散らしたまんま ねた
その夜明けに
天地をふるわすできごとが起こるともしらず
雁治郎のお初に 酔うたまんま ねてしもた

あれから一年すぎた
いまも 時折
からだがゆれる
しんしん
雪のような雨がふると
瓦礫のなかの
白い足が 痛いと泣く
お初の足も 泣く

 「あれから」とは「平成七年一月十六日」の次の日のことです。阪神淡路大震災という「天地をふるわすできごとが起」きたのです。幸い、著者に大きな被害はなかったようですが「いまも 時折/からだがゆれる」のは、あれから8年になろうとする今でもあるのではないだろうかと想像しています。
 おそらく実話なのでしょうが「雁治郎のお初に 酔うたまんま ねてしもた」幸福感との落差に愕然とします。この対比を抑えた筆法で描いて、河内弁との軽妙さも奏効して、見事な作品になっていると思います。改めて被災地の皆様のご苦労を思い出させる作品です。



飯島和子氏詩集『かなしい へっつい』
かわち生活風俗詩集
kanashii hettsui
1998.9.10 大阪府八尾市 月刊ヴォクス編集部刊 1000円+税

 かなしい ヘっつい

   このへっついの下の灰まで なあ
   おまえのもんや

そんなことばを 昔きいたことがある
まさ代は 思い出していた
あした 土間を リビングにしてひろげる
若いもんが 言うので こわしてしまう

へっついのまえに立って
 なんやしらん この家で 死んでいった
ひとたちのこと 目にうかベていた

  葬式 法事 結納 子の祝い

戦争終ったあくる年から 五十年

ひとりぐらしに こんなんいらんし
もう ながいこと 使うてないなあ

うちのへっついよ

ふうっと 灰が
さしこんでくる西陽に ゆれた

 「
月刊ヴォクス」という雑誌に2年ほど連載した詩をまとめた詩集だそうです。詩の後に河内地方の風景や風習を撮った写真が載せてあり、さらに著者自身の絵、風景・風俗の説明があるという、一般の読者を意識した造りになっています。「へっつい」についてもちゃんと説明されていました。実は私は「へっつい」という言葉を知らなかったのですが、正しくはへつい≠ニ言い、土で作ったかまどのことなんですね。近代では煉瓦造りになっているようです。
 そう言われてみると、後おふくろの実家にもありました。ただし、神奈川県西部地方では単にかまど≠ニ読んでいるようです。
 作品はご覧のように何の難しいところもありません。時代に置いて行かれる「へっつい」の哀しみは、人間そのものの哀しみであることをうたいあげた佳作だと思います。
 この詩集の評判は以前から知っていました。かねがね読んでみたいものだと思っていたのです。ですから、いただいた時には思わず <やったァ!> と叫んでしまいました。読んで良かったと思います。一般の人にも薦められる詩集です。



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