きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.11.8()

 私が担当する業務依託会社のうちの、ある1社の組織・効率が悪いように思えて、関係者に集ってもらい協議しました。職場異動をしてそろそろ3ヶ月。業務依託会社の実情も判り始めて2ヶ月を過ぎています。あまりの効率の悪さに業を煮やして、ここは一丁、改革に乗り出してやろうじゃないか、という意気込みで集ってもらったのです。
 確かに相手の会社の本社と工場の連携が悪く、小さなトラブルが絶えません。その度に慣れない私は右往左往して、ただでさえ忙しいところへその解決が求められてきます。もっとしっかりやってくれよ、そのために高い委託料を支払っているんじゃないか!というのが偽らざる気持です。集った連中もそのことには気付いていて、何とかしなければいけないね、という点では一致しました。
 じゃあ、具体的な事例で話を進めようという段になって、あれ?と思いました。事例のひとつひとつを検証していくと、依託元である弊社の指示が悪い、仕組みをよく理解していないということが元凶である、というふうになっていったのです。要するに、お前がもっと勉強しないと駄目じゃないか! えっ?オレが元凶かヨ!

 冷静に考えてみるとそうでした^_^; こういう仕事は初めてだったこともあって、私の出す指示がかなりアイマイで、それで相手ももたついていたんですね。もちろん相手の些細なミスもありますけど、そんなのは軽い軽い。他人に、それも従業員が何百人もいるような立派な会社に指示を出すということが、どれだけ神経を使わなければいけないことなのか、その認識が甘かったなと反省させられました。もう一匹狼は通用しないと改めて思いましたね。
 次回は私が弊社の問題点、相手の問題点を整理して集まることにして散会しましたけど、すぐには出来ないだろうな。まず、契約書の検証から始めなければなりません。50を過ぎても、まったく世の中を知らない自分に呆れました。皆なを集めて、結局は恥をかいただけのような会議になりましたけど、私にはいい薬でした。



詩誌『梢』30号
kozue 30
2002.10.20 東京都西東京市
宮崎由紀氏発行  300円

 研究と叙述/上原章三

渡辺順三を征服する。
格闘し征服する。
日々順三との闘いである。
少なくともその時々の順三の全貌を俯瞰しうる高みに
己を上昇させねばならぬ。
ここでは、己の価値判断を繋張させて
己を対象よりも上に置く、ある奢りが許される。

しかし、この格闘に克ち、
叙述する段階では、あくまで謙虚に
己を持さなければならぬ。
偉大な先輩を、歴史的位相において捉え
正当な評価を与える叙述----。
これは文学の裁判官である。奢りは許されぬ。

 浅学にして「渡辺順三」という方がどういう方か判りませんでした。手持ちの辞書、名簿類を漁っても判りません。インターネットで検索して、ようやくプロレタリア歌人であるということを掴みました。
 そんな有様ですので、「渡辺順三」氏に言及するのはやめますが、ここでは一般論としての「研究と叙述」について考えてみました。第1連と第2連の対比が痛いほど伝わってきます。
 「己を対象よりも上に置く、ある奢りが許される。」「これは文学の裁判官である。奢りは許されぬ。」という対比は、文学・評論を志す以上、肝に銘じなければならないことでしょう。つい逆になってしまうのが、我々凡人の常ではないかと思います。良い視点を与えてもらいました。



隔月刊詩誌『サロン デ ポエート』240号
salon des poetes 240
2002.10.30 名古屋市名東区 滝澤和枝氏発行 非売品

 そめる/小林 聖

白髪を通してきたあなたが
ある日 美容院から帰ると
ライトブラウンに染まっていた

後ろから見て婆さん気でも
前に回れば弁天さま と信じてきたが

写真に写る頭がてかてか光り
顔が顔でなくなり

胡麻塩の夫と並んでいても
「ご子息ですか」
間違えられること一再ならず

「あかね」を素材にしていると聞き
飛びついた

素っぴんにルージュだけ引くあなたが
「五才若返った」と胸を張る

食卓の真向かいで 姑が
あなたのてっぺんを窺う

生え際に染め残しはない

わけぎの根を分けるように
ブラッシングしてある

 この作品は「ご子息」という言葉で途惑いを覚えました。私の中での「子息」とは男の子という意味だったからです。ここは女性の話なのでお嬢さん≠ウんの間違いではないかと思いました。念のためと思って辞書にあたりましたら、驚きましたね。古くは女の子どもを含めていうこともある=iMicrosoft/Shogakukan Bookshlf Basic)と出ていました。古くは≠ニいうのは失礼なモノ言いですが、地域によっては残っていてもおかしくないわけでして、納得した次第です。
 それにしても髪の毛というのは厄介な代物。私も白髪で、染めたら?といろいろな方に言われますけど、今のところガンとして抵抗しています。不精な私に出来るわけがない。
 若さって何なんでしょうかね。若く見せるって、一体何なんだろうなと考えさせられた作品です。



小川聖子氏詩集『さびしい島』
sabishii shima
2001.10.5 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊  2300円+税

 ダッシュ

Kiyoko Ogawa(1952−)
これはなんと容赦のない
memento mori
うん わかっている わかっている
ダッシュの右側にいつか必ず
これより大きな数字が
書き込まれることくらい
せめてダッシュと右括弧の間に二区画ほどくれないか
生きっぱなしの人間なんてありえない が
これじゃおちおち生きた心地がしない
窮屈だ 息が詰まりそう……
だが待てよ
生存中の著者紹介としてこれは傑作かもしれない
さりげないダッシュの中を
この人も走り抜けねばならないだろう

 著者はこの9月に日本詩人クラブにお入りになった方で、英文詩集は4冊お持ちになっているが、日本語の詩集はこれが初めてという方です。11月2日の研究会においでになって、私とも会ったとのことです。実は私、当日のコーディネーターを夢中でやっていまして、朧気にしか記憶していない^_^; 何とも失礼な話で恐縮しています。
 まあ、そんな私事は置くとして、紹介した作品は巻頭詩です。ちょっと今までにない詩風ですから、紹介したい作品が次々出てくるのですが、グッと堪えて巻頭詩を紹介している次第です。この視点、この感覚はHPをご覧の皆様にも記憶がないと思います。カラッとしている中にウェットがあって、対象との距離の取り方も見事だと言えましょう。そうなんだ、人生なんて「さりげないダッシュの中を」「走り抜け」るだけなんだ、と納得してしまいます。文藝年鑑の中の人生なんて、そんなものですからね。それにしてもこの感覚、一種の凄味を持っていると思いました。



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