きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.11.16()

 とうとう自宅で仕事をするハメになってしまいました。会社の慣れないスキャナーを使う気がなくて、自宅まで写真を持ち込みました。慣れたスキャナーで撮り込んで、Eメールに添付して、関連会社の担当者に送付しました。これで自宅のEメールアドレスがバレてしまいましたけど、まあ、いいでしょう。相手も自宅までメールを送り付けることはないと思います。
 自宅に仕事を持ち込むのには反対なんですけど、今回は時間がなくてしょうがないと思っています。でも、あんまりやりたくないですね。仕事は仕事、私事は私事と割り切りたいものです。



児童文芸誌『こだま』21号
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2002.11.10 千葉県流山市
東葛文化社・保坂登志子氏発行 年間購読料1000円

 緑の葉/張暁英(中国)  李蕊 訳

生命の象徴
(しょうちょう) 大地の守護(しゅご)者。
あなたはだれ? 緑の葉。
あなたには花の鮮やかな色はないけれど
あなたのおかげで花がいっそうあでやかに映えて見える。
あなたには果実の誘惑
(ゆうわく)的な甘い香りもないけれど
あなたの助けがあってこそ果実がじようぶに成長できる。
秋 あなたはそっと落ちて
天地ととけ合い
あなたが憎
(にく)まず 後悔(こうかい)もしないのは
それはあなたが 春の薪しい生命を孕
(はら)んでいることを知っているから。
私は一枚の緑の葉になって
人に幸せな希望をとどけてあげたい。

 中国の子供の詩です。おそらく中学生くらいの子供ではないでしょうか。花ではなく葉に行く視線が新鮮だなと思います。葉は「生命の象徴 大地の守護者」、「私は一枚の緑の葉になって/人に幸せな希望をとどけてあげたい」というのですから立派です。志の高さを感じますね。かつての日本でもこういう人は多かったと思うのですが…。中国の子供に教えられた気分です。



保坂登志子氏/安田學氏訳
陳 千武氏著『台湾平埔族の伝説』
taiwan peenpuzoku no densetsu
2002.8.20 京都市右京区 洛西書院刊 1000円+税

 平埔族は「ペエンプぞく」と読み、台湾の先住民族です。先住と言ってもまるっきりの原住ではなく、今から2000年〜500年前に海外から渡来したようです。今では漢民族との混血が進んで、平埔族の人たちでさえ平埔族の末裔であることが判らなくなっているそうです。
 そんな民族の伝説、23編を収録してありました。平埔族は言語の類別により9つの部族に分類され、その内の巴宰海(パゼェー)族と西拉雅(シラヤ)族とでほとんど同一の伝説がありました。同じ民族ですから当然なのかもしれませんが、ここではその伝説を紹介してみましょう。

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 西拉雅
(シラヤ)族の伝説

 大洪水

 西拉雅
(シラヤ)族の先祖は遙(はる)か昔・海外から台湾に移ってきたと言われています。台湾に移って間もなく大洪水に遭(あ)ったので、西拉雅(シラヤ)族の達可布蘭(タコプラン)支族と喜布肯(シプクン)支族は昴克姆(アンコム)(紅毛人)について、一緒に「巴屯可望(パトゥンコウァン)」と言う玉山(ギョツサァン)の高地に避難しました。
 この大洪水は大鰻が泳いできて、河□の狭まった所で両岸の岩の間に挟まり、河の流れを堰
(せ)き止めたためにおきたのでした。岩の間に挟まった鰻は腹がとても大きくて、懸命にもがいて岩の間から逃れようとしましたが、もがけばもがくほどきつく挟まり、洪水はますます激しくなるのでした。西拉雅(シラヤ)族支族の三人の長老が頭を寄せて、どうやってこの急場を救おうかと議論しているところに、勇敢な大蟹(おおがに)がはい出てきて「私が行って大鰻(うなぎ)を助けます」と言うと、水の中に潜っていきました。大蟹の二つの手は大きなハサミなので引きずることも押すこともできません、そこで鰻の大きな腹から突き出ていたへソをハサミでちょん切ったのです。大鰻は「わーっ」と大声をあげました。すると、見る見るうちに鰻の大きな腹が縮まって、洪水の水が勢いよく流れだし、大蟹と大鰻を沖に流しました。遮(さえぎ)られてたまった洪水の水はさっと引いていきました。
 一族の人々は大洪水が完全に引くのをまって、ようやく山から下りると、土地を、上の方を昂克姆
(アンコム)、中間を達可布蘭(タコプラン)族、下を喜布肯(シプクン)族の三つに分けました。そこで昂克姆(アンコム)は阿里山(アリサァン)を迂回して北側へ行き開拓(かいたく)し、喜布肯(シプクン)玉山(ギョツサァン)の東の方に行き、その後次第に南に下がっていきました。達可布蘭(タコプラン)はそのまま亜馬斜那(アマシャナ)(楠梓仙渓(ナンツセンシ))に沿って下り結局南台湾の各地に永住しました。
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 現在のパソコンやhtmファイルではルビをきちんと表現できません。止む無く( )で表現していますので、ちょっと読み難いかもしれませんがご容赦ください。
 解説では、洪水は「人類や生物の生存を脅かす自然現象」で、「洪水・出産が人類の生存・繁栄の鍵を握っているからだ」と説明しています。ここで「出産」と言うのは「鰻の大きな腹から突き出ていたへソをハサミでちょん切った」ことを指しています。伝説の読み方の勉強になりますね。
 台湾の伝説に限らず、世界のあらゆる伝説には読み方≠ェあるようです。伝説は文学の発祥とも言えるでしょう。その読み方≠考えることは、文学の創り方に通じるのかもしれません。そんなことを考えながら拝見した好著です。



季刊詩誌『夢ゝ』11号
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2002.10 埼玉県所沢市 書肆夢ゝ発行 200円

 届かぬ/赤木三郎

届かぬ 彼方へ
届け

咽喉より湧きあがる声 は
深さの 重みに よって

 たった4行の詩ですが、深いものを感じました。まず、最終行の「深さの 重みに よって」は、タイトルの「届かぬ」へ戻るのではないかと思いました。その上で「咽喉より湧きあがる声 は」「届かぬ 彼方へ/届け」と言っているのであり、「届かぬ 彼方」とは何だろうと考えました。いろいろな答がありましょうが、私は死者に対してのものであるように感じました。そうするとすべての行の意味が繋がってきます。
 別の見方では「朗読」という捉え方もできると思います。聴衆へ届けるのは声と同時に詩心ですが、それは「深さの 重みに よって」「届かぬ」こともある、そんな読み方もしてみました。
 赤木三郎さんの詩は、断定せず、ひとつのことを語るのではなく、幾層もの詩心を語ることに特徴があるように思っています。読みが浅くて叱られそうですが、そんな何通りもの読み方をさせてもらいました。



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