きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.11.28()

 教育部門の先輩が来月定年になります。先輩は私たちが工場の若手技術者相手にやっている研修の事務局を担当していますから、インストラクター仲間が集って送別会をやろうじゃないか、ということになりました。仕事が終ったあと、構外にある保養施設のクラブに集って呑みました。昨年定年退職した、先輩の前任者も来てくれて15名ほどでしたか、女性はひとりもいないのに、賑やかな会でした。
 フロアーの真ん中に日本酒専門の冷蔵庫があります。勝手に「浦霞」の4合瓶を取り出して呑んでいたんですけど、みんなにも呑まれてしまいましたね。インストラクターの中では私は最年長の部類ですが、他は30代の若手ばかりです。彼らはインストラクターになりたての頃は日本酒なんか呑まなかったのですが、どうも悪い影響を与えたようです^_^; 彼らに講義内容を伝授するときより、日本酒の薀蓄を語るときの方が真剣だったからな、私は。
 いずれにしろ、この時期に定年になる先輩は羨ましい。私たちの頃は退職金も大幅にカットされて、年金も少なくなっているでしょうね。それでも6年後に迫った私自身の退職が待ち遠しいです。食うための仕事から解放されて、好きなことだけをやって日々を送りたいものです。



季刊文芸誌『青娥』105号
seiga_105
2002.11.25 大分県大分市
河野俊一氏発行  500円

 ホンコン/河野俊一

ホンコンの時間は縦に重なっている
二十階はとばりが降りて
十四階は夜の団欒でにぎにぎしい
五階は宵の口で
二階は今日もまだ夜がこない
あわてふためく広東語が
またたいてはかちあい
会話の破片が路上から積もってゆく
うそぶく言葉の数々は
ビル風に蹴散らされ
転がってゆく言葉は
次々に玉を突き
あぶらぎった街中の匂いを
追いたててゆく
ここでは
追う者と迫われる者とが
肩を並べあい
大きな声で挨拶をかわしあう
やあどうだい
破片は生きてるかい
電光にともされれば    ホンコンフラワー
イミテーションにも血が通う香港の華
建物の隙間
すりばちの路面に満ち引きする言葉が
足音を見分ける街だ
時間を読む者は
時計など見ずに
首を上げたり下げたりしている

 非常にダイナミックな作品で、行ったことはありませんが香港のざわめきが手にとるようです。「ホンコンの時間は縦に重なっている」という着眼点も新鮮ですね。死や老齢を描いた作品が多い中で、こういう生き生きとした作品に出会うと、何やらホッとしたものを感じます。
 今号には笹原邦明氏の随想「頑張らない」が載っていましたが、これが実にいい。頑張る≠ニいうことを論理的に、かつご自身の経験に照らしてそんなに頑張らなくていいんじゃないの?≠ニ主張しています。いつもプレッシャーを感じている私などには救いの神のような文章です。機会がありましたら、是非ご一読を。



季刊詩誌GAIA2号
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2002.12.1 大阪府豊中市
ガイア発行所・上杉輝子氏発行 500円

 第一回卒業式/平野裕子

三年目にして全学年がそろい
新しく学校がつくられた昭和四六年(一九七○年)

造り上げる産みの苦労と
プレハブにいっぱいの職員は若く燃えていたが
日々目が回るほどの忙しさのなか
子ども達はよく勉強した

毛筆の名前書きを校長から命じられ
三クラス一○○名の名前を毎晩遅くまで
父は一枚一枚鉛筆で下線を引き
下書きして一晩に十枚ずつこころをこめて
一人一人手渡された大きな卒業証書

緊張の重みで筆は遅々としてすすまず
母は墨をすり家族の励ましを背に
必死に書いた百人の生年月日と
一号から書かせていただいた光栄

送辞も答辞もみんな全員で呼びかけ合う
あいだに入った詩の朗読は
「道程」
おなかの底から式場いっぱいに聞こえる声を出す
練習を重ねたさいごの授業

隣の男の先生は肩をふるわせ
一番前の女の子も顔をくしゃくしゃにしている
おおきな感動が波になったあの時は

消え去ることなく
墨の芳しい香りをのせて
何光年もの彼方から
新設の光りの波を放っている

 作者の経験にダブらせて申し訳ないのですが、私も「第一回卒業式」を経験しています。教師としてでなく生徒としてですが…。私たちが1年生として入学した新設の県立高校は、それで1年から3年までが揃いました。そして「第一回卒業式」をやった次第です。1966(昭和41)年のことでした。
 ですから、この作品に描かれている全校の団結力のようなものは確かにありました。私は3年生で生徒会長をやりましたから、余計に感じるのかもしれませんけど、生徒も教師も一丸になって進学・行事に取り組んでいたと思います。穴だらけのグランド整備は生徒がやらないとできなかった時代でしたが、それらが新設校の強みだったように今にして思います。なつかしい時代を思い出しました。作者は教師、私は生徒と、立場は違っていますが同じ匂いを感じた作品です。



詩誌SPIRAL LINE17号
spiral line 17
2002.11.20 横浜市緑区 あすなろ社・大瀧修一氏発行
1000円+税

 ウカンムリの下には/今辻和典

ウカンムリの原義は
四方に垂らす屋根の象形という
その下で暖かく人間は暮らしてきた
でも鉄筋住まいのおれには屋根がない
星の光がじかに突き刺してこない
あのモンゴル草原のパオのように

家の字には豚がいる
生き物との一家共住だったから
ウカンムリの下に牛を入れると
たちまち牢となる厄介さ
不幸な寃罪者もたくさん生んできた
火宅や離散などいまも身近な日常だ

安の字には女がいる
女がいると一家が安らぐという
なるほどわが家にも女房がいて
そこそこ清貧の安らぎにある
等分にひっそり老いつつ
ウカンムリの下で羊となる

国家はひとつの家だといった
そのウカンムリは強権に満ち
死や義務を押しつけたりした
でも家主を選べる自由も知った
貧しい国家から亡命した家族の
逮捕の叫びが映像を揺すっている
おれは魂の亡命先をまだ知らない

ウカンムリの下には毒素もある
富とか宅がふいに暴落する
寒とか害が地球の皮膚を覆う
寂とはつまり屋根下の孤独だろうか
世に傷つき自閉する少年もいる

宇とは空間を
宙とは時間を示すという
その宇宙の時空をさらに包みこむ
無限大のウカンムリを星空に嗅いでいる

 漢字の有りようを改めて考えさせられます。「ウカンムリ」に着目しただけでこれだけの作品が出来るわけですから、10万、20万とある漢字を作品にしたら、一生あっても足りませんね。
 第3連がやはりホッとします。「そこそこ清貧の安らぎにある/等分にひっそり老いつつ/ウカンムリの下で羊となる」なんてフレーズには心休まるものを感じます。漢字の魅力を再認識した作品です。



個人詩誌『色相環』15号
shikisokan 15
2002.12.5 神奈川県小田原市
斎藤央氏発行  非売品

 サウナ/斎藤 央

サウナに行くと言ったのだ
この頃疲れがたまっていたので
一人でサウナへ行きたかった
たっぷりと汗を琉し
そのあとはマッサージをしてもらって

ところが うちの嫁さん
どうしても一緒についていくと言うのだ
若い女の子に会いに行くに決まっている
胸の大きな女の子の写真を
ホームぺージで見ていたでしよう
と うちの嫁さんが声を荒げる
開きもしないエッチなページが
突然画面上に現れることがよくあるが
その場面を偶然見てしまったという訳だ
なにせ嫉妬深いフィリピーナだ
言い出したら何を言っても耳に入らない

「サウナは男の行くところだ
女は誰も行かない」と言ったのだが
この前サウナの前を車で通りかかったときに
レディーズという看板を偶然見てしまったらしい
女性用もあるから大丈夫
浮気の証拠を絶対つかんでやる
若い女のいるサウナに違いない
と 意気込んでいる
電話で待ちあわせの約束をしているに違いない
だから 絶対一緒に行くのだと言うのだ

サウナに着いた
ここは間違いなくサウナだ
うちの嫁さん
当てが外れて
呆然としていたが
決心して入ることにする
サウナどころか うちの嫁さん
温泉で裸になって
他人と一緒に入ったことがないのだ
裸になるのにどぎまぎしてはいないか
入り方もわからずうろうろしてはいないか
熱い風呂に入れない女だ
サウナの中で失神してはいないか
などと 考えていたら
疲れをとるはずが
冷や汗が流れてきて
かえって疲れがたまってしまった

 はい、ご馳走さま、と言いたいところですが、あとがきにあたる「彩色手帳」を読んで、ちょっと変りました。「少し自分の型を破りたくて書いてみた作品である」とありました。なるほど。それで今までと雰囲気が違うのですね。確かに、「のだ」で文末を終らせる手法はあまり採っていなかったように思います。この作品の場合はリズム感もあって奏効していると言えるでしょう。ちょっとゴタゴタしたところ、例えば「うちの嫁さん」はもう少し整理した方が良いかもしれませんけどね。
 斎藤さんの作品は詩集ごとに変化してきておりますが、「自分の型を破りた」いというは大事だと思います。これからどんなふうに進化していくのか、楽しみな詩人です。



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