きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.11.30()

 北海道に行ってきました。第2回目の日本詩人クラブ札幌イベントというのが北海道立文学館でありまして、それに参加してきました。来年は理事の任期が切れますから、理事として行くなら今年しかないな、ということで行ってみました。1995年の日本詩人クラブ北海道大会(穂別)以来ですから、実に7年ぶりの訪道になります。自分の生れたところですからね、もっと行ってもいいんでしょうけど、なかなか機会はありません。こういう時でもないと行けないものです。
 詳細(でもないか)は詩人クラブのHPにも載せておきましたけど、楽しかったですよ。シンポジュームと自作詩朗読が主でした。道外ゲストは全員(4名)朗読せよ、とのことでしたから、私もやらせてもらいました。朗読は真剣に考えると大変なことなので、あまりやりたくないんですが、まあ、この場合はしょうがない、お付合いということで…。

シンポジューム「詩と文明」
021130
パネラー・若宮明彦、原子修、石原武、中村不二夫の各氏と全体司会・村田譲氏

 原子修さんが来年1月末発行予定の「詩界通信」13号で報告をしてくれますので、見ることができる方はそちらもご覧になってください。懇親会も盛り上って、楽しい夜だったことを報告します。合いたいと思っていた人とも合えたし、行って良かったと思っています。



熊谷ユリヤ氏詩集
『名づけびとの深い声が』
nazukebito no fukai koe ga
2001.11.17 東京都新宿区 思潮社刊 2200円+税

 手触りでたしかめるために

それから
そのひとといっしよに
地球儀の内側にもぐりこむ

赤道のうえにひろがる
亀裂のあたりから

(ながいあいだ
 どこにかくれていたのだろう

やさしくいろあせた
ふるいちきゅう)

そして
じかんのかたちを
手触りでたしかめあう

(くらやみに
 なれておくために)

次の命になるときに
思い出すことが
できるように

 詩集の最後に置かれた作品です。この詩一編を読んだだけでは難しいのですが、詩集の中のすべての詩がこの一編に収斂している、と感じられる作品です。特に最終連に収斂していると云ってもいいでしょう。
 もちろん、この一編でも完結している作品だと思います。「やさしくいろあせた/ふるいちきゅう」というフレーズには思わずゾクッとしましたね。古い時間層に覆われた地球を想像してしまいました。私たちはその中の微細な存在でしかない、とも思いました。秀作の多い詩集と言えましょう。



詩誌『錨地』38号
byochi_38
2002.11.11 北海道苫小牧市
錨地詩会・入谷寿一氏発行 500円

 VIETNAM/宮脇惇子

 (I)
Coca Cola

鼻唄を歌いかねない 空の青さ
風の色がみどりに染まっている
その疎林の 目印の切り株で
迷彩服の案内人は足を停めた

地面に方形の穴
雑草と見紛う蓋で覆っている

米兵に追われたときの 独りぼっちの逃避穴
濃い闇に閉ざされ
人柱のように息を潜め
震えていたのだろう
若い兵士は
小柄な日本の主婦
促されて 垂直に穴に滑りこむ
万歳の形に蓋を持ち上げ
地上に生えている首が 笑っている

次々と儀式のように交替に
ベトコン実体験
紳士は入口で 飽食の腹がつかえている
このあたりで記念写真を一枚

その傍らに打ち捨てられている
赤い飲料缶
見飽きた白い文字が 安穏に光を反射させている

日本の古い言葉が喉を射る
…………もはや 戦後ではない……
          そうか、ここが。

十年あまり降り続いた
エージェントオレンジの驟雨
憎しみが 焦がした 木々の葉
陽光をさえぎる樹冠に覆われていた密林
すべてが破壊され
生命が根こそぎ奪われた
あれから三十年
朽ちた野が
時間の澱に 新しい生命を招き始めている

ダイオキシンが染みこんだ人体
植物を抱かない大地
観光客が踏むルートだけが
白いコンクリートのように堅い

一日 五千人 いや一万人
案内人は きわめてアバウト
若い歯を見せて 戦国武将の武勲を語る
バスガイドのように名調子

ベトナム戦争が 売られている
買っているのは私たちだ

地下壕で 振舞われる笹茶
かつて
若い兵士の死に激した十八歳の
私が
行き場をなくして 立ち尽くす

 *エージェントオレンジ=枯葉剤の一種、ダイオキシンを多量に含む

 「若い兵士の死に激した十八歳」というフレーズで、若い時代を同じような感覚で生きてきた人だと判りました。ベトナム戦争終結を喜び、戦後の復興を見守ってきたつもりでいましたが、作品から復興の状態を知ることができました。しかし「ベトナム戦争が 売られている/買っているのは私たち」なんですね。忸怩たる思いが伝わってきます。
 この作品のあとに(U)として戦争証跡博物館のことが作品化されています。そちらは割愛しましたが、戦後のベトナムについて書かれた作品は珍しいと思います。その意味でも貴重な作品と言えるでしょう。



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