きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.12.19(木)
またまた業務依託会社のうちの1社の担当者を呼んで、故障解析の会議をしました。15時に来てくれて、17時頃には終るかなと思っていましたら、結局19時までかかってしまいました。延々と4時間。会議なんてものは1時間で充分、長くても2時間と常々考えていますから、この4時間は長かったです。でもまあ、そこそこの方針は出せたかな。本当は相手の担当者がひとりで考えて、弊社に方針を伝えるべきものですけど、全然進んでいないので呼びつけてしまった恰好です。
相手はあまり化学のことは知らないようで、進め方が理解できないでいたようです。私もそれほど詳しいわけではありませんけど、豊富な故障体験がありますから^_^; 何とかなります。故障に対してどういうアプローチをするか、という社員教育も担当していますから知っていて当然なんですけどね。まあ、早いところ解決させて、安心して製品を作りたいものです。おっと、お客さんには迷惑を掛けていません。クレームになるズーッと手前で、故障だ!と騒いでいます。クレームになってからでは遅いから、その2、3歩手前で手を打つようにしています。それに気付く感覚は、いつもデータを見ることでしょうね。なーんて、自己満足かな?
○川中子義勝氏詩集『ときの薫りに』 |
2002.12.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
詩人の生 Annette in Meersburg
湖にひとすじ突き出た突堤のように
そのひとは細き身を
さらに鋭く研ぎすまして
時代のことばを聴きとってきた
だが美しき性に
生まれついた定めは
どれほど理不尽な問いを
そのひとに強いたことであろう
いかなる自由へと
そのひとを逐いやったのか
ついに遂げられぬ思いと知ったとき
なお幾十年の日々を生きながらえることは
霧ふかいふるさとの沼地では
水底に湧く気泡からも
雌を呼ぶ蟾蜍(ひき)の長々しい喘ぎにも
呻くような神の声がきこえた
責め苦のように果てしなく
自己とのみ向かいあう懸崖で
それはいかなる営みであったのか
ひとり日々を祈るとは
流れに身を捧げた娘たちの物語は
そのひとの心を惹かなかった
季節の嵐がくりひろげた混沌ののち
湖に一瞬 みごとな虹を架ける眺めも
まことに最も世に隠れた者こそが
もっとも良く生きたひと
迫りくる船の人影を遥かに認めたとき
そのひとの唇に賛美はあふれた
註 *Annette in Meersburg Annette von Droste-Hulshoff (1797-1848) ドイツ女流詩人。ヴェストファーレンの貴族に生まれ、沼沢地の自然を歌った。その写実描写はドイツ近代詩に屹立する。晩年はスイス国境にあるボーデン湖畔の町メールスブルクに暮らした。
註で判りましたが副題はメールスブルクの Annette
≠ニいう意味ですね。「Hulshoff」のu≠ヘドイツ語で、上に・・≠ェ付きますけど、私のパソコンには
Unicode
が実装されていなくて表現できません。申し訳ありませんが読替えてください。
19世紀の女流詩人「Annette」に思いを馳せる作品ですが「まことに最も世に隠れた者こそが/もっとも良く生きたひと」というフレーズに惹かれました。昨今のオレがオレがという世情に(私もそのひとりなんですけど)警句を与えていると思います。「迫りくる船の人影を遥かに認めたとき」というフレーズは死を表現しているのかなと思いますけど、そににも惹かれます。そして「美しき性」。「性」という言葉に即物的なものを感じましたが、「美しき」と形容することによってまったく雰囲気が変ってしまうのですね。言葉の錬金術とでも言いましょうか、敬服しました。
「Annette」の生き方に私も思いを馳せましたが、詩集の隅々にまで行き届いた言葉の選び方、使い方にも勉強させられました。2002年、日本の詩壇の成果と言える詩集だと思います。
○詩誌『沈黙』25号 |
2002.12.10 東京都国立市 井本木綿子氏発行 700円 |
カーボン複写/村田辰夫
昔 カーボン複写というものがあった
二三枚挿入すると
最後は写りが悪かった
「テロリストや独裁者が
大量殺戮の兵器で文明を脅かすことは
許されない」(テレビ演説)
二三回読んだり 聞かされたりしていると
写った文字はこうなった
「正義を誇示する大統領が
大量殺戮の兵器で人の生活を脅かすことは
許されるべきことなのか」
右目で読み 右の耳で聞いたものが
左目や左耳ではボケてくる
頭のなかの複写はますます滲んで
不鮮明
カーボン用紙が古いのか
カーボン用紙が二三枚挟まれている
昔 ガラス壜の喉元がくびれたラムネがあった
今はプラスチック製
勢いよくポンとガラス玉を押し下げることもなく
ジワジワと泡が吹き出す
でも まあ これでも飲んで
げっぷでも出しますか
胃液の報復でも楽しみましょう
ああ
胃がテロってる
この作品からすぐに伝言ゲームを思い出したのですが、あれは言葉で伝言するものですけど、こちらは「テレビ演説」を「カーボン複写」するというのですから、発想がすごいと思いました。伝言ゲームは、いわば言葉の劣化を楽しむものですが、こちらは「二三回読んだり 聞かされたりしていると」画質が悪くなるというわけではなく、逆の言葉になっていくというのですから、そこもおもしろいと思いました。最終行の「胃がテロってる」も全体を締めていて、人間って、本当に色々なことを考えつくものだと感心した作品です。
○詩誌『Messier』20号 |
2002.12.18 兵庫県西宮市 香山雅代氏発行 非売品 |
孤独/橋本光子
レモン水を飲んでいたら
荒野に咲く花を想った
荒野で時計を見るのはむなしいだろう
さまよう
しかし
常に寂しい定点を持ちながら
恩寵に充ちている場
わたしは
帰還して
居間でレモン水を飲む
註「荒野」は聖書ギリシヤ語辞典によると荒れる、寂しい、住む人のない、身よりのない、孤独な%凾フ意味あり
「註」というのは意外と難しいものだと思っています。この作品の場合は大成功と言えるんじゃないでしょうか。タイトルが現代詩ではあまり使われない、むしろ使うのを嫌っている「孤独」ですから、どんな作品かと思って拝読しました。「註」まで読んで、ハッとしました。「荒野」を「住む人のない」や「身よりのない」に読替えなければいけないんだと気付いたのです。読替えて初めて、タイトルの「孤独」が持つ深い意味を考えられました。安易に詩を読んではいけないということを教えられた作品です。
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