きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.12.29()

 昨夜は職場の忘年会で、箱根・大平台で一泊してきました。異動後、初めての忘年会でしたから、どんなもんかなと興味津々でしたが、まあ、どこの職場も一緒ですね。入社以来3度目の職場ですけど、同じ会社ですから雰囲気が似通うのは当り前かもしれません。一次会はゲームをやって、二次会はホテルのクラブでカラオケと、まあまあ無難なコースでした。
 全体的にはおとなしいと言うのでしょうか、芸者やコンパニオンを揚げるわけでもなく、無茶苦茶クダを巻く奴もいなくて、30数人という職場は、よく言えばまとまっているのかもしれません。おそらく定年までの残り6年間を過す職場でしょうから、おだやかな空気は意外に私に合っている^_^; と思うことにしましょう。あーぁ、芸者を揚げてドンチャン騒ぎをすることは、もうないだろうな。



詩誌『詩脈』91号
shimyaki_91
2002.12.31 岡山県浅口郡鴨方町
詩脈社・岡隆夫氏発行 300円

 サンタクロース/北岡武司

虹は円形で 見る人がその中心だ
喫茶店でそのことを言ったら
シングル・マザーのママさんが
夢をこわされたと 憤概した
サンタさんを信じている子どもに
ほんとうはサンタさんはいない
などという輩は大嫌いだと罵った
 −そんなことあるもんか

四年生のクリスマスの夜
私の部屋に忍び込んで
双眼鏡を枕元に置いていったのは
嫁入りまえの叔母だった
五年生のとき
毛糸のセーターを置いていったのは
高校二年生の姉だった
姉の隠しごとがそのときやっと分かった

部屋をでる気配で 安心して目をあけた
カーテンもない窓ガラスに
大きな星が瞬いていた
私は心のなかで こう言った
「サンタさん お姉さんを ありがとう」
そして叔母と姉とのさいわいを願い
別々に暮らしている父母の幸せを
サンタクロースに願った

作り話のサンタさんはいないけど
ほんとのサンタさんはいる
子供の私はそう思っていたのだ
実はいまもそう思っている
現実は夢よりも もっと夢のようなのだ
ひとはみな虹を背負って生きている と
そう言いたかったのだが
言えないまま コーヒー代を払った
  19 Oct.2002

 「現実は夢よりも もっと夢のようなのだ/ひとはみな虹を背負って生きている」ことを伝えるもどかしさが伝わってくる作品です。特に「憤概した」人に対しては何を言っても無理かもしれません。それにしても「子供の私」には「嫁入りまえの叔母」「高校二年生の姉」と、やさしい人が揃っていたようですね。作品としては「姉の隠しごとがそのときやっと分かった」「別々に暮らしている父母の幸せを」というフレーズがピリリと締めていると思いました。



資料『中四国詩人会第2回大会』
cyushikoku_shijinkai_2
2002.9.7 岡山県浅口郡鴨方町
中四国詩人会・御庄博実氏発行 非売品

 村の噺/山本 衞

造り込んだ甕の酒がいい匂いになった。
じいさんは酒を搾った。
(いび)まで嘗めてにっこりする。
酒粕は庭
(みしろ)いっぱいに干した。

晩の肴でも釣ってくるか。
家の下のいつもの岩場に釣糸を垂れる。
と、かかった。
みれば今までみたこともない大ウツボ。
揮身の力ではね上げたが、
力余って磯の裏山まですっ飛んだ。

あわてて追いかけ駆け上がる。
ウツボの落ちたところに野兎が昼寝しちょった。
ガッキとあの牙
(は)で噛みついちょる。
さあ大変
(おおごと)
こいつは このカズラで縛
(くび)ろう。
蔓を引っ張るとずるずるずる。
抜けてきたのは背丈
(せえたけ)ほどの大山芋。

山芋はカヤでスボに結わえて、と、
カヤの繁みを掻き分けると、
キジがタマゴを抱えて坐っちよる。

ウツボにウサギにヤマイモキジのタマゴに………。
ゆさゆさゆさゆさ担いで戻ってみると、
なんとまあ庭
(ぬわ)先に干した酒粕食(くろ)うて、
山のタヌキにイノシシに、
ヒヨドリ、ツグミ、ハトまでもが、
あっちへごろごろこっちへごろごろ。
酔っ払って寝っころがっちよる。

おおい、おうい、村
(じげ)の衆(ひとら)よ。
(おなご)も子供(がき)も年寄(とっしょ)りも、みんな急いで来てくりや。

ウツボのカバ焼き、トロロ汁、すき焼き、しゃぶしゃぶ、目玉焼き、
焼き鳥ひき肉タヌキ汁。
飲めや唄えや大騒ぎ。
くる日もくる日もお祭りみたいな毎日が、続いた。そうな。………

なんどもなんども生唾飲みこんで、
食いたいネヤ
食いたいネヤ

言い言い寝かされた
(かつ)えてた頃のババさんの噺。

 中四国詩人会第2回大会で朗読された作品のようです。作者の住所は高知県中村市とありますから、紹介した作品は四万十川地方を舞台にしているのかなと想像しています。
 ルビにも方言が使われていて、それも大変おもしろいのですが、今のパソコンではうまく表現できません。新聞方式のルビにしました。ご容赦ください。
 それにしてもおもしろい作品で、方言の豊さ、民俗の豊さを感じます。そして最終行の「飢えてた頃のババさんの噺。」というフレーズですべてを悟り、胸に詰まるものを感じました。詩作品としても、時代・地域の証言としても貴重な作品だと思いました。



詩誌『象』108号
katachi 108
2002.12.25 横浜市港南区
「象」詩人クラブ・篠原あや氏発行 500円

 生きることって?/篠原あや

堪えて書いた
四篇の作品
溢れ出る涙は拭い切れなかった

詩歴六十五年の生涯の中で
泣きながら詩を書いたのは初めてだった

悲しいのではない
辛いのだ
そして
涙だけが勝手に溢れる

夫の死は
私から四年間 詩を奪った
堪えた四年間は十一篇の作品を生み
「日日の証し」として生きた

小学校から山国の子らは登山も課目であった
小さな部落に生れ
四季折々
山々を仰ぎながら生きた歳月がある

そして いま
中央ァルプスは
もう雪だろう
生ある中に行けなかった憧れの山の頂が霞んでいるなかを
元気に歩く顔が見える
その笑顔は美しい

私達も
新しく出発するよ

 私も義母を亡くしたときに「泣きながら詩を書いた」ことがありました。そのときに初めて、なぜいつも詩をかかなければいけないのかが判ったように思います。書かなければいけないときに書けるように、練習しているにすぎないと感じたのです。作者は「悲しいのではない/辛いのだ」と書いていますから、そんな私の浅はか思いより深いところを感じ取ったのかもしれません。
 作者のご主人は「山国の子」であったのでしょう。「その笑顔は美し」く、「私達も/新しく出発するよ」と呼びかける中に「生きること」の意味を教えてくれる作品だと思いました。



詩誌『帆翔』28号
hansyo 28
2002.12.25 東京都小平市
《帆翔の会》岩井昭児氏発行 非売品

 もりのゆめ/岩井昭児

よなかのもりの かすかなおとは
リスのねがえり? カケスのねごと?
いえいえそれは このはのそよぎ
かぜのこえ

くらやみのなか かすかなひかり
ヤスデのせなか? コケモモのはな?
いえいえ それはよつゆのしずく
ほしのつぶ

ねむりのときの ゆりかごゆする
しずかなしらべ! やさしいリズム!
そうそうそれは おやすみのうた
ゆめのうた

 歌曲のための詩なのでしょうか、言葉もリズムも申し分ないと思います。音楽のことはよく判りませんが、言葉だけに注目しても喩のおもしろさが堪能できますね。「リスのねがえり」「カケスのねごと」「ヤスデのせなか」「コケモモのはな」などは相当頭が柔らかくないと出てこないのではないでしょうか。曲がついたら聴いてみたい作品です。
 赤木駿介氏の「追補・類句面白し」は考えさせられました。前号まで続いた「類句面白し」の追補ですが、盗用問題・著作権問題に文学的・大脳生理学的に迫っていて圧巻です。類句は俳句の世界で多く見られるようですが、詩もまた例外ではないと思い思いました。



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