きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.12.30(月)
ようやく冬休み。いただいた詩誌・詩集を拝読し、HPにアップして一日が過ぎていきました。食事・風呂の他は一歩も書斎を出ませんでした。さすがに寝る前には腰が痛くなったほどですけど、充実していましたね。11月中旬分まで漕ぎ着けましたから、うまくすればこの休み中に12月にいただい本まで辿り着けるかもしれません。1ヵ月以上の遅れですから、早く元のペースに戻りたいものです。
○山川久三氏エッセイ集『顔の花』 |
2002.10 東京都板橋区 私家版 非売品 |
免罪符
昭和二十年代後半、休暇帰省の折、飛行機など思いもよらず、東京から高知まで二十二時間ほどかかった。座席がとれればオンの字で、立ちづめだったり、やっと通路に新聞を敷いて腰をおろしたり、難行苦行の旅だった。
山陽本線だったか土讃線だったか定かでないが、車掌が検札にまわってきて、中年の紳士とやりとりになった。紳士の声の調子が、たかぶってきた。不正乗車を疑われているようだった。
「おれが、そんなことをする人間に見えるのか」
車掌も食い下がるのへ、
「だいたい――」
紳士は、手に持っていた本で自分の手のひらを叩きながら、
「吉川英治の愛読者であるような人間が、そんなことをすると思うかっ?」
それは確かに吉川英治の本ではあったが、しかし紳士のこういう思いがけない論法には、車掌も虚をつかれたようだった。それ以上の騒動が記憶に残っていないところから見ると、なんとなく一件落着したのであったろう。
紳士の援用した吉川英治の使い方が新鮮だった。たしかに、その人は吉川英治の熱心なファンであるに違いなかった。自分の無罪の証明に、吉川英治を引き含いに出すほどであったから。こういう場合、免罪符がわりに使われる人物というのは、広く国民に存在を知られ、しかも信用度の高い、すなわち徳の高いキャラクターでなければならなかった。
さて今、そういう人物は、と考えてみて、野球のファンなら長鴫茂雄か、漫画の愛読者なら手塚治虫か、そして文学の愛好家なら――やっぱり司馬遼太郎あたりかなあ。しかし司馬遼太郎で車掌が納得するかどうか。車掌が司馬ファンならいいんだが。文学の地盤自体が沈下しているからなあ。そもそも、こんな物思い自体が、人生のロスタイムの無意味な心づかいじゃないのか。自分の無罪を主張するのに、なにも他人を引っぱってくるこたあないじやないか。自立−などと思ってしまう。−一九九八年−
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著者の生地である高知の『コラム・エッセイ・スケッチブック』という雑誌に1994年から2002年まで書いたエッセイ50編が載っていました。紹介した作品はそのうちの1編ですが「昭和二十年代後半」の様子が判っておもしろいですね。今となったら「司馬遼太郎」でも無理な話かもしれませんけど、見方によってはいい話だと思います。
確かに電車で本を読んでいる人は気になるものです。文庫や単行本を読んでいる人を見かけると、何かなと思いますが、そういう光景は少ないですね。漫画か週刊誌。「文学の地盤自体が沈下している」ことを実感しています。
○山川久三氏監修『岡本彌太詩集−山河篇−』 |
1998.1.23 山梨県南都留郡山中湖村 泰樹社刊 5800円 |
青葉
こどもは
ごはんを零さずに静かにいたゞくもの
いたゞくときは
いたゞきますとあいさつするもの
ごはんは
三千世界のおまへたちの仏さま
けふは青葉がそとにゆれ
病の父はたいへんさみしいことを考へて寝てゐる
おとうさんのまくらもとに座ってゐて下さい
岡本彌太(1899〜1942)は高知県に生れ、高知県で小学校教員として過して亡くなった詩人です。生前『瀧』という詩集を一冊だけ出しています。没後43年の1985年に『岡本彌太詩集−瀧篇−』が山川久三氏監修で泰樹社より出版されています。紹介した本はその続編とも言うべきもので、第一詩集に収められなかった作品、新たに発掘された作品の計146篇が収められています。
本当は「黒潮」(第1部)〜(第3部)を紹介したかったのですが、40頁に渡る散文詩でとても紹介しきれるものではありませんでした。土佐を舞台として圧倒的な迫力で迫ってくる作品です。機会があったら是非一度目を通しておくとよいですね。
紹介した作品は小品ながら岡本彌太という詩人を端的に表現しているように思います。おそらく死の直前でしょうか、遺していく子に対する親の思いが切々と伝わってきます。
土佐という土地で生涯を過ごし、ともすれば詩史から忘れられそうになる詩人を、こうして世に問う監修者・関係者の皆さまのご努力に頭の下る思いをしています。限定1000部のうち999番という貴重な詩集を書架に加えさせてもらい、感謝しております。
○季刊詩誌『竜骨』47号 |
2002.12.25 東京都福生市 竜骨の会・村上泰三氏発行 600円 |
琵琶湖幻想/友枝 力
その人の少年時代の写真を
ぼくは一つも見たことがない
しかし幼いながらあごが張り
頬骨がやや高く
口を一文字に結んだ
負けん気の強そうな顔が浮かんでくる
筒袖の緋を着て
下駄の音も高々と
湖(うみ)風が吹きつける浜通りとやらを
元気よく駆けまわっていたに違いない
成人した少年がやらかしたのは
琵琶湖をひっくり返すことであった
ぼくの眼のまえで
顛倒した琵琶湖が宙に懸る
逆さまのまま
満々と水を湛えて
二つになった瀬田の唐橋が
せめぎ合い
めりめりと砕ける
奇想天外
大仕掛けの舞台に見る
反逆と創造への意志
大津小学校は
名前は変わったが元の場所にある
いまは鉄筋コンクリート建ての校舎
三時過ぎの校庭はがらんとして
落葉だけが散らばって
それらしい少年の姿を見ることができなかった
「その人」はいろいろに想像できますが、作者の父上であったり、あるいは「琵琶湖をひっくり返す」作品を創った詩人であるのかもしれません。「負けん気の強そうな顔」「反逆と創造への意志」を鍵に想像しています。もちろん作者の意図は最終行の「それらしい少年の姿を見ることができなかった」にあると思いますから、具体的な人物を思い描く必要はないのかもしれません。小さくなった現代人を嘆く作品と受けとめてよいでしょう。それにしても「顛倒した琵琶湖が宙に懸る」とは、すごい想像力ですね。
<後日談>
発行者の村上泰三氏よりこの作品についての丁寧なお手紙をいただきました。作品の背景にあるのは北川冬彦の「琵琶湖幻想」という同名の作品であることが判明しました。ですから「その人」とは北川冬彦と読まなくてはいけなかったんですね、浅学を恥じます。
1954年初版・1962年第4版の『北川冬彦詩集』(角川文庫)のコピーが同封されていて、そこに「琵琶湖幻想」の原詩も載っていました。紹介した友枝氏の作品の世界は、それを知らないと理解できないことが判ります。著作権の問題がありますから原詩は載せませんが、一度見ておくと良いでしょう。
また桜井勝美の1984年初版『北川冬彦の世界』(宝文館出版)のコピーも同封されていました。前出『北川冬彦詩集』では散文詩であった「琵琶湖幻想」が行分け詩として紹介されています。これは桜井が勝手に改変したものではなく、北川が意図的に行分けにしたもののようです。村上さんのお手紙には散文詩と行分けの形式変更に伴うエネルギーにも言及されています。そこまでの背景を考えながら友枝氏の作品を読まないといけないのかもしれません。
一編の作品を読むということはどういうことか。もちろん過去の詩作品すべてを一個人の頭の中に叩き込むことはできませんが、少なくとも北川冬彦あたりの作品は知っておく必要があることをつくづくと感じました。しかし恥は恥として、こうして教えてもらえることは大変な喜びです。ホームページを運営していて、こういうお教えを受けることが運営者冥利というものだろうと思います。ありがとうございました。(2003.2.22村山精二記)
○詩誌『サロン・デ・ポエート』241号 |
2002.12.30 名古屋市名東区 中部詩人サロン・滝澤和枝氏発行 300円 |
さよあらし/小林 聖
私の生涯も紅葉し
はらはら 落ち葉するだろうか
誰のお蔭で学校に行けたと
酔った勢いで言われた
幸福が逃げていかないよう
再婚を思い留まった
すごいねと思わず拾いたくなる
真赤な一枚でなくても
病葉 欠け葉
それぞれの色に染まっている
クモの巣にかかり
右になり左になりしている
柄が枝から離れるとき
落葉に 出発だけがある 後も先もない
己を「真赤な一枚でなく」「病葉 欠け葉」であるとし、しかも「クモの巣にかかり/右になり左になりしている」状態だと規定する、詩人らしい作品だと思います。さらに「出発だけがある 後も先もない」とする潔さには敬意さえ覚えます。「酔った勢いで言われた」り、「再婚を思い留まった」りと、決して順調とはいえない生き方こそ、詩人の生そのものではないかと思います。そんなことを考えさせられた作品でした。
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