きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.12.31()

 とうとう2002年も終りですね、、、と、2003年2月16日に書いてますから、全然実感がない^_^; 正直なところは、やっとここまで来たな、という感じです。1ヵ月半遅れ。全然返事が来ないではないか、とお叱りの声も聞こえてきますが、お許しください。1月、2月はいただいた本が少ないですからね、すぐに追いついてみせます。
 さて、恒例の総括。2002年は何冊の本をいただいたでしょうか。詩集などが196冊、詩誌等378冊、計574冊でした。平年並というところですね。最も少なかったのは9月で、詩集等8冊・詩誌等24冊の計32冊、最も多かったのがやはり12月で詩集等27冊、詩誌等44冊の計71冊。月平均で言うと詩集等は16.3冊、詩誌等は31.5冊、合計では47.8冊でした。2日に3冊の寄贈をしていただいているという計算になりますね。皆さん、どうもありがとうございました。
 それでは本年最後の紹介といきましょう!



文芸誌『春夏秋冬』25号
syunka_syuto_25
2003.1.1 愛知県刈谷市
春夏秋冬の会・加藤則幸氏発行 400円

 子供たち/塚本吉英

 新学期

満閉の花びらが風に舞い
公園で子供達の声が弾
(はじ)ける
一円なぁり三円なぁり五円では……
窓の外でワイワイやってるのは
前月入学したばかりの
タケシの声だ

今日は新入生の初授業
教室に活気が溢れる
(した)の珠(たま)はひとつで一
 四
(よ)っつ並んでだんご四兄弟
 上の珠は握ったげんこつ
 ひとつでも五……
タンポポみたいなチビッ子達は
大そろばんを見つめて
つぶらな瞳をまるくする

その顔に自分の顔が重なって
遠い記億がよみがえる
新入学のあの日
満開の花びらが風に舞い
手さげ袋のそろばんが
カタカタ鳴った

 「子供たち」という総題のもとに「新学期」「遠足」「キャンプ」「検定試験」という詩があって、紹介した作品はその最初のものです。作者は小学校の先生なのでしょうか、子供に向けるあたたかい眼差しを感じます。「タンポポみたいなチビッ子達は」というフレーズに象徴的に現れていると思います。
 阿部堅磐さんの小説もそういう意味では学校ものと言えます。「昭の秋」「昭の冬休み」という二部作をなっていまして、東京に下宿し、新聞配達をしながら高校に通う昭が主人公。おそらく作者の自伝に近いものだろうと思います。作者は私よりちょっと上の方ですから、ほとんど同時代を生きています。なかしい唄や東京の風景が出てきて、私もついつい40年ほど前を思い出してしまいました。



詩誌『光芒』50号
kobo 50
2002.12.15 千葉県茂原市
光芒の会・斎藤正敏氏発行 800円

 家族って/末原正彦

カゾク かぞく 蚊族
家族って 何ですね

親子のこと 兄弟姉妹のこと
それとも 夫婦 兄弟姉妹 親子のこと
それとも 祖父母 夫婦 兄弟姉妹のこと
一緒に住んどらんとあかん?
ほんなら一緒に住んどる
祖父母夫婦兄弟姉妹のこと
仲ええのが条件や
同じ屋根の下で 血のつながっている者が
仲良う暮らしとる それが家族や
一緒に住んどらんと家族やないけ
血がつながっとらんと家族やないけ
仲良うないと家族やないけ
よう分らん
仲悪りい家族もようけおりよる
血がつながっとらんでも仲良え家族もある
出稼ぎに出てバラバラでも支えあってる
仲の良え家族もある
ほな家族って何やねん
一つのべースを拠り所にしてや
縁あって助け合う生き者の
最少単位のことやないけ
そやな 助け合わな 家族と云えんな
けど そんなん 少ないな
貧乏な頃は 寄り添って寝てたやん
食べ物も分け合うた
けど 今は違う
今は冷暖房が利いて 各々の部屋があって
喰う物も いつでも好きな物が喰える
テレビかて 電話かて みんな一人一人が持てるようになっちょる
世の中は 家族がバラバラになるよう研究されとんのと違うか
でもな ボランティアゆうのあるやろ
けっこう盛んやろ
これ 助け合うちゅうことやで
地震やら 火事やら 何か事故や事件の時なんか助け合うとる
喰えん人には炊き出しもしとるで
ほな ボランティアしとる人は 家族も大事にして 助け合うとるんやろな
そら そうとも限らん
家族は進歩が壊しとるんや
ボランティアは進歩がつくり出しとる
ほな この先 どうなるんや
何や よう分からん

 現代を鋭く突いた凄い作品だなと思います。「世の中は 家族がバラバラになるよう研究されとんのと違うか」というフレーズには、そこそこ科学技術の世界に携わる身として耳が痛い思いをします。世の中に受入れられることと会社が儲かることがマッチすればそれで良い、と仕事をしてきましたけど、このフレーズからはそれで本当に良いのかという重大な質問を浴びせられた気がします。
 「家族は進歩が壊しとるんや/ボランティアは進歩がつくり出しとる」という指摘も鋭いですね。古いものを壊しながら新しいものを創る、という従来の観点を考えさせられる視点です。現代の日本文化の欠点と言われる、文化の伝承のない新しい文化の創造、という基本的なことを考えさせられるフレーズだと思うのです。
 詩誌『光芒』は50号記念特集でした。31年に渡る継続が50号を生み出しています。継続できる力の源は斎藤正敏という人間的にも優れた発行者がいることは当然でしょうが、こういう作品を書ける同人が多くいることにあるのではないかと思っています。100号、200号へのご発展を祈念いたします。



月刊詩誌『現代詩図鑑』創刊号
gendaishi zukan 1
2003.1.1 東京都大田区
ダニエル社・豊倉潔氏発行 300円

 ゴディバ換算/先田督裕

この子に「ゴディバ」教えたの、だあれ
ヨーロッパはべルギー製の高級チョコレート
一粒二百円もする(一個ではない 一粒である)
そんなの欲しがる子に育てた親、だあれ

うーん、これ、これ、この味、この味
そう言って唇をふるわせ、目を細める
そのあどけない表情が見たくて、この親ばかは
虫歯だらけの娘に
「ゴディバ」を買ってくる

ねえ、この板チョコ全部と
「ゴディバ」一粒と
どっちがいい
「ゴディバに決まってるじゃん」
わが子は屈託なく答える

ねえ、どっちにする
このぬいぐるみは「ゴディバ」六粒だよ
このゲームは「ゴディバ」十五粒だよ
この絵本は
この

わが家では
モノの価値を教える代わりに
「ゴディバ換算」を行う
お分かりかな
モノの価値とは
甘くてとろけてなくなるもの

 「お分かりかな/モノの価値とは/甘くてとろけてなくなるもの」という最終行がよく効いている作品だと思います。「ゴティバ」とはどんなものか、多分食べたことはありませんけど「べルギー製の高級チョコレート」というのですから、きっとおいしいのでしょう。それでも「とろけてなくなるもの」には変りありません。「モノの価値」なんてそんなものなのかもしれませんね。そんなもののために何をアクセク働いているのかと、ふと我が身を降り返ってしまいます。
 紹介した詩誌は月刊で新たに創刊されたものです。今後のご発展を祈念しています。



萌木碧水氏詩集Blue Water
blue water
2002.12.22 千葉県印西市 アトリエBlue Water
2200円+税

 金木犀 零れる

ぱらぱらと降りそそぐ
オレンジ色の十字星
(じゅうじぼし)
軽やかに土を跳ね
思い思いの居場所に
身を委ねる

ただ一枚のビーズ刺繍を
土に施す奔放さは
秋を知らせた頃の自己主張を
一時の間に淡い残り香へと
変えていて
近い冬と遠い春への道程を
解き放たれていた夏の心に
覚悟させる

次に沈丁花の濃い香りが
春を知らせに訪れるまで
じっと 耐えよと
言伝ながら

必ず春は来る

だからと

その襟をしっかりと立てて
生きよ と

 2002年最後の詩集を紹介します。著者の第一詩集です。著者は1999年10月よりEメールのやり取りを始めた方で、2001年6月の日本詩人クラブ千葉大会で初めてお会いしました。それ以後、日本詩人クラブの会友になっていただいて、2003年2月に会員への昇格が理事会で承認されています(この文章は2003.2.22に書いています)。会員の条件である<2冊以上の詩書を有し…>という項目を一冊の詩集でクリアした詩人です。
 紹介した作品は2003年2月の新潮社テレフォンサービスで清水哲男氏が朗読したものです。やはりこの詩集の中ではピカ一の作品ですね。「覚悟させる」「じっと 耐えよ」「生きよ」などの断定的な言葉は他の作品ではあまり見られないものですが、ここでは良く効いていると思います。しかし、実はこの断定調はよく見ると他の作品の根底にはある、とも思います。ここにこの詩人の特徴がある、まだ隠されているが存在する、とも感じています。おそらく哲男さんもそれを感じてこの作品を朗読したのではないかと思う次第です。
 「その襟をしっかりと立てて/生きよ と」という最終連は、もちろん詩人個人へ向けられたものですが、我々へも向けられています。日本の雇用状態、世界の戦争への危機を目の当たりにしていると、この言葉の重みを考えざるを得ません。全体に軽い印象を与えかねない詩集と読み取られるかもしれませんが、読者にはそういう注意力も求められるように思います。前出の断定調の言葉といい、ひとつ奥を考えながら読む詩集だと思うのです。新しい詩人の出現を祝うとともに、読者にはそういうことも望みたい詩集です。



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