きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2003.1.9(木)
午後から都内の業務依託会社で会議がありました。14時から始まって18時まで。途中10分間の休憩を挿んだだけですから疲れましたね。議題が30ほどもあり、そのうち私が直接関与するのは10ほどでしたが、よくぞこれだけ議題があるものだと呆れたほどです。なかなか決着を付け難い問題が多いということですけど、愚直にやり遂げていくしかないのかもしれません。
○山南律子氏詩集『鶴の声』 |
2003.1.15 大阪市北区 編集工房ノア刊 2000円+税 |
遠い町
いまいちど 訪ねて行きたいと思う
その人が 移り住んだ
長屋のひとつ
白壁の土塀がつづく
川沿いの 窓の下には
紅いろの 藪つばきの花が
いまも 象嵌のかたちを 水に流しつづけているだろう
風のわたる日
三つ編に髪をあんで
いくたびか 訪い
藍いろの瓶の水を ひしゃくで汲み
乾きをうるおした 土間
となりの烟のたたなくなった 窯の上に
揺れていた 白い紙の花
山姥のような老女が
切り下げ髪のかすれた眼で 私を招き
影のごとく 吸われた路地
いくさの 日々は重なり
誰も 彼(か)も
暮しは乏しく 貧しくて
かなしいほど ひたむきに
肩をよせ 暮していた小路
本に埋もれた部屋で 少し 老い
いくさに行けず 取りのこされた思いを
三十一文字の歌に たくしつづけた ひとよ
わたしは 今も くり返し
その人を たずねてみたいと 日を重ねる
すでに 雲間につらなる その所在(ありか)を
つなぎ もとめて
自己の内部をどこまでも追っていく、非常に奥の深い詩集です。バレリーではありませんが、まさに経験が創り出していく作品群と言えましょう。それも単に経験するだけでなく、経験をさらに追体験して深めていく、そういう無数の作業を通してのち生れた詩群と感じました。
紹介した作品は、それらの中でも読者の追随を比較的許されている詩だと思います。「その人」が誰かなど詮索することは無用でしょうが「三十一文字の歌に たくしつづけた ひとよ」とありますから、歌人と受けとめて良いでしょう。「本に埋もれた部屋で 少し 老い/いくさに行けず 取りのこされた思いを」という表現で見事に人格を現していると思います。そんな「その人」への「わたし」の思いも痛いほど伝わってくる作品だと思いました。抒情の本流をいく詩集です。
○個人誌『むくげ通信』14号 |
2003.1.1 千葉県香取郡大栄町 飯嶋武太郎氏発行 非売品 |
九月のバラ/チャン スングム
平たい葉が一ひらずつ
侘びしげに落ちる
広がった花芯に
もう 隠すものもない女の秘密
一時は盛りを誇った
老いた娼婦の黒ずんだ唇
香しい女であり
花の中の花であった五月の女王は
しばし終わりを遂げた
冷ややかな気配を根元から知り
まばゆい夏も背を向け
記億の殻だけが名前を守り
もう 体を覆う蔦もない
陽射しの照りつける大通りに
赤い肌をさらけだして
忘れられることだけが残った
何も知らない棘は
相変わらず警戒の構え
(文学と創作)十一月より
(高貞愛訳・飯嶋武太郎補訳)
バラの衰えと、女性には叱られそうですが女性の衰えを見事に重ね合せた作品だと思います。「老いた娼婦の黒ずんだ唇」「記億の殻だけが名前を守り」「赤い肌をさらけだして/忘れられることだけが残った」などの表現が素晴らしいと思いますが、特に最終連の「何も知らない棘は/相変わらず警戒の構え」というフレーズは、女性が最後まで持っているものと考えられて、これはすごいなと思いました。
バラと女性を結びつけた作品は比較的多く見られるのですが、こういう視点は珍しいのではないでしょうか。新しい見方を教えられた作品です。
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