きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2003.1.24(土)
午後から休暇をとって、久しぶりに日本ペンクラブの事務所に行って、電子メディア委員会に出席してきました。決まったことは2点。第1点は秦恒平委員長より電子メディア委員会を電子メディア研究会と電子文藝館のふたつに分離しようというものです。電子メディア研究会は本来の姿で、文芸における電子メディアの影響などを研究しようというもの。電子文藝館はそれから派生して出現したものですが、どちらかというと現在の委員の力は文藝館に注がれています。逆に言うと研究会は少し疎かになっている感じがありました。
どちらも重要なものです。委員を二手に分けて、それぞれを成立させようという秦委員長の案はもっともなものですから、反対もなく承認されました。最終的には理事会の承認を得て、5月以降の新委員会から発足ということになります。我々委員の任期は4月まで。再任されるかどうかは理事会の意向ですから、どうなるか判りませんが、さて、再任されたら私はどうするか? 再任されない可能性もありますから、あまり悩まないようにしましょう。
2点目はEメール所持の会員に電子メディアについてのアンケートをやろうというものです。1998年に一度やったことがあり、私がそれに真面目に回答したばっかりに秦委員長から釣り上げられてしまったという経緯があります。それはそれとして、あれからもう5年も経って、Eメールも随分と普及しましたから、これは意義がありそうです。会員の皆様には近くアンケートが行きますから、ご回答のほどをよろしくお願いいたします。
○月刊詩誌『柵』194号 |
2003.1.20 大阪府豊能郡能勢町 詩画工房刊 600円 |
いのち茫茫/立原昌保
ぼくの周りの
あの黒山の人だかりは
あれはいったい何だったのだろう
足音が次から次へと消えて行って まるで
次から次へ湧いて出るように消えて行って
ぼくは
突っ立ったまま
何時の間にか叫ぶことさえ忘れている
飛び降りてしまったひとがいると言う
いや狂ったひともいると言う
でも
ひと気のない何時もの辻には
何時ものように街灯がひとつ点っていて
隣の部屋では
こんな夜更けなのに妻が
誰かに電話を掛けている気配
どこまでも続く独り言のようなそれは
まるで
遠い遥かな足音のような
いのち茫茫。
不思議な作品です。自分が死んでしまったあとの情景を描いているようにも思います。しかし「突っ立ったまま」ですから、ちょっと違うのかなとも思います。さらに「いのち茫茫」ですから…。
そんな解釈は不要なのかもしれません。わずかに生活の匂いがあって、地に足が着いていない「ぼく」がいて、それだけを楽しめば良い作品とも受取れます。すべてを説明しないという点でもおもしろい作品だと思いました。
○詩誌『ぼん』37号 |
2003.1.30 東京都葛飾区 池澤秀和氏発行 非売品 |
床離れ/池澤秀和
冬の朝の 布団のぬくもり
そこから始まる今日が 気に懸りながら
ぎりぎりまで
とろとろと 半眠する
夜明け少しまえ 気温がさがるのも
ひかりにふくらむ 朝の前触れなのだが・・・
目まぐるしい変化に
気懸かりなことばかりが目立ち
予感は なぜか暗くきびしい
横並びの適温のなか
あかるさだけを 追いかける習性がつき
自然と 人の暮らしが くいちがい出したときから
暗く張り詰めた冷気に
耐えられなくなっている
わけもなく 他人のせいにしたがって
都合よく 同化ばかりして
かきまぜた空気のなか
計り知れない闇が ゆれている
すでに ぎりぎりの時間
ぬくもりから 離れて
決断の とき
冬の朝など床から離れるのは辛いものです。あと1分、あと30秒とグズグズしている普段の私が重なってきます。そして、この作品が素晴らしいのは、そんな日常と今の時代をきちんとオーバーラップさせているところにあると思います。「横並びの適温のなか/あかるさだけを 追いかける習性がつき」「わけもなく 他人のせいにしたがって/都合よく 同化ばかりして」などのフレーズには社会を訴追する視点があります。社会≠ニはもちろん私を含めた我々です。
世の中を批評して、それで良しとする傾向は多くあり、三流の批評家はそこで終ってしまいます。この作品がさらに素晴らしいのは最終連でしょう。「ぬくもりから 離れて/決断の とき」と、まさに決断≠自分に課す、さらには我々にも課す、そこがきちんと成されています。社会への見方、己への見方、そして詩の作り方という面でも教えられることの多い作品だと思いました。
○詩誌『叢生』124号 |
2003.2.1 大阪府豊中市 叢生詩社・島田陽子氏発行 400円 |
長生きしたい/佐山 啓
全国の温泉をぜーんぶ回って
周りの路地裏をのぞいて
人々の暮らしぶりを見て
何となく嬉しくなったりしながら
のほほんのほほんと
あの自由の国が滅びるのを
見届けるまで
長生きしたい
「長生きしたい」のはほとんどの人の希望でしょうが、それは身の安全が保証されて「のほほんのほほんと」暮していければ良いという、いわばエゴイズムの象徴でもありましょう。第1連はまさにそのことが描かれています。それだけなら詩としても成立たず、人間としても鼻つまみになるだけでしょう。この作品は「あの自由の国が滅びるのを/見届けるまで」というフレーズでそれを見事に覆してくれました。納得できるのです。
エゴイズムだけならこのフレーズは出てきません。常日頃から世界の情勢に眼をやり、憤り、悲しんでいる姿が垣間見えます。詩としても素晴らしく屹立していると言えましょう。某藪氏が大統領を務める「あの自由の国が滅びる」まで、私も「長生きしたい」と思います。
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