きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.2.8()

 日本詩人クラブの2月例会が開かれました。講演は宗左近氏の「詩(うた)のささげもの」。恒例の日本詩人クラブ新人賞受賞者による「私の詩の現在」は、第9回(1999年度)受賞の樋口伸子氏。いずれも質の高いお話でしたね。会員・会友の皆様には、3/31発行の「詩界通信」14号に要旨が載りますのでそれをご参照ください。詩を考える上で多いに参考になると思いますよ。

  030208

 写真は二次会での一齣。参加者が多すぎて一部屋には入り切れませんでした。遅れた男ばっかり10名ほどが別の小部屋で呑んでいたんですが、そこに美女たちの表敬訪問。うれしくて思わず撮らせてもらった次第です。男どもは全員、自分だけが表敬訪問を受けたのだと思っていますよ。もちろん私もそうです^_^;



  詩誌『こすもす』43号
  cosmos_43    
 
 
 
 
2003.1.10
東京都大田区
蛍書院・笠原三津子氏 発行
450円
 

    塩の柱を おとうとへ    笠原三津子

   空をおおう蝉の声
   日傘をさした母のうしろから
   小川を渡り広い間口の部屋に上った
   でっぷり肥った乳母が
   満面に笑みを浮かべ 坐っている
   背にまとわりついた幼子の
   笑顔もかがやいて……
   頬の私と同じ位置に ほくろがある
   おとうとの名は 長映
(ながてる)

   府立二十二中に入学
   校医のあやまった診断で 水泳
   教練 炎天下の強行軍 肋膜炎を起こし入院
   そのころ私は自宅療養中だった
   退院したおとうとは私の隣室で療養生活
   戦争は激しさを増し食料、物資は缺乏していった
   絶対安静をつづけ
   やや小康を得た私は医師のすすめで轉地靜養
   獅子浜の砂浜で
   毎日富士山を仰ぎ 写生していた
   刻々変る空や海の色 光に心を奪われ

   十九年二月三日祖父がみまかる
   東京に雪 みぞれが降った寒い日
   葬儀には帰らず 年の暮 家へ帰った

   二十年四月 海軍航空本部の理事生となる
   五月二十五日夜 B29の空襲 家は全焼
   おとうとは駒場一高の医務室へ一時収容され
   世田谷の病院へ入院

   焼け跡に迎えにきた叔父にまねかれ
   私達は大森の家へ行く
   疎開する彼らの留守居に

   八月六日未明 おとうとの誕生日
   父に抱かれ 帰るように亡くなった
    <塩をください> 最後の言葉を残して

   八時十五分B29ノエラゲイ リトルボーイを広島に
   世界初めて 原子爆弾投下であった
   鉄筋を溶し一木一草 焼き盡した
   むごさ日を追うごとに 敗戦の悲哀が
   目の前に くり拡げられた

   背が高くやせ細っていた おとうと
   彼の白木の箱を抱きしめ
   涙の瀧は熱く 滝壷にあふれた

   ある日 NKHテレビで 海中深く 何本も
   塩の柱が立っている 不思議な光景を見た

   おとうとの 短い 生涯 追想して
   私の心の奥深く
   塩の柱が 建っている
   ひっそりと

 「短い 生涯」だった「おとうと」さんを追悼した作品ですが、「塩の柱」が介在して不思議な雰囲気を漂わせていると思います。今の時代からは想像もできませんが、「最後の言葉」に「<塩をください>」が出てくるほど貴重だったのでしょうね。戦後60年経った今でも変わることのない弟さんへの思いが伝わってくる作品です。





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