きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.2.28()

 日本ペンクラブの電子メディア委員会が開催されましたが、行けませんでした。残念ですけど、今はともかく生業をこなさなければいけません。仕事も落ち着いて、回りに迷惑をかける心配がなくなるまでは、ちょっと行けませんね。まあ、そう遠くない時期に行けるようになると思っています。



  詩とエッセイ誌『千年樹』13号
  sennenjyu_13    
 
 
 
 
2003.2.22
長崎県諫早市
岡 耕秋氏 発行
600円
 

    鳥かご    平井廣惠

   子供であったとき 子供の心が解る大人になろうと思った
   今の子供であるときの心を忘れずにいて
   けれど今
   子供のころの心の模様を忘れて
   子供の世界へ入ることができない
   卒業した小学校の門の脇の
   二宮金次郎の銅像を仰ぎ見
   放課後の校庭に出て
   見知らぬ子供の遊ぶしぐさを見ている
   肩をぽんとたたいて背中を押して子供のやりたいことをやらせる大人
   になれなかった今
   鳥が飛び去った鳥かごの心で
   子供を見ている

   二年生の担任の先生は子供らしくないと通信簿に書いたので
   子供らしい子供の心がどんなふうなのかが解らない
   はずなのに
   鳥かごに戻ってくる鳥の ただいま
   の声を想っている

 そうでしたね。確かに「子供であったとき 子供の心が解る大人になろうと思った」時期がありました。あんなデリカシーのない大人には絶対なるまいと思ったものです。そしてやはり今「子供のころの心の模様を忘れて/子供の世界へ入ることができない」状態になってしまいました。それが素直に出ている作品だと思います。そして作品としても人間としても素晴らしいと思うのは、「鳥かごに戻ってくる鳥の ただいま/の声を想っている」というフレーズではないでしょうか。私にはこの気持がすでに失われています。そんなことを気付かされた作品です。



  隔月刊詩誌『石の森』114号
  ishi no mori 114    
 
 
 
2003.3.1
大阪府交野市
金堀則夫氏 発行
非売品
 

    本能    奥野祐子

   つかむ
   つかむ
   つかむ
   つかむ
   なんだかわからないないまま
   ただ 上から落ちてくる
   光のようなものを
   つかむ
   つかむ
   死に物狂いで手をのばす
   つかんだと思って見たらいつも
   そのかがやきは消え
   手の中にはただ
   ミイラみたいにひからびた
   コトバひとつのこるだけ
   それでも憑かれたように
   つかむ
   ただつかむ

 この作品の前に同じ作者によるわたしはほんとにママから生まれてきたの?≠ニいう書き出しの詩があって、タイトルも「本能」ですから、ついつい幼児のことかと思って読んだのですが、違うようですね。「コトバひとつのこるだけ」とありますから、詩や文学作品と考えてよさそうです。そうすると、「つかむ」という行為は「本能」だと言っていることになり、すごいなと思いました。嫌味でも何でもなく、そう思います。私などは四苦八苦してようやくひねり出していますから、とても「本能」だとは思えません。書けと言われなければ、締切がなければ書けない怠け者です。「死に物狂いで手をのば」して「つか」もうとする作者は、本物の詩人だと思います。




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