きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.3.1()

 日本詩人クラブの「詩人論研究」が神楽坂エミールで開催されました。講師・橋浦洋志氏、コーディネーター・鈴木有美子氏による「詩人・島崎藤村−<春>の行方−」と題されたシンポジウムです。内容の要旨は9月末発行予定の『詩界』243号に載りますから、会員・会友はそちらを参照してください。かなり内容の濃いものになっています。

  030301

 写真は討論風景。人数も20人ほどでしたので、かなり突っ込んだ討論が行われました。



  板東寿子氏詩集『花の音』
  hana_no_oto    
 
 
 
 
2003.2.10
東京都千代田区
砂子屋書房刊
2500円+税
 

    引っ越し

   この家も
   不粋な幅三六米の道路にのまれて
   太陽に崩される霜柱のように
   なくなってしまう
   在るものが滅失する虚しさは
   どんなに重ね着しても覆うことはできない
   その寂しさの中で

   そうだ庭の桜の木を連れてゆこう
   この家の初めての春
   なかなか咲かないのに気をもんでいたら
   蕾がほのぼのとふくらんだ遅咲きの八重桜の
   ほのぼのがわたしをふくらませ
   春ごとふくらみにほのかな甘いあかりを燈した
   幹も枝も半分につめ
   根っこは黒くて武骨で
   ふくらんだ感懐の瘤をいくつもつくっていた
   やっぱり鋸で半分に切って

   ささやかな新しい庭に
   根付くか 根付かないか
   五分五分だと言われながら
   雲が横目でまあおやりなさいと
   流れて消えていった
   調子はずれの十二月の寒空に
   春の運をかついで
   引っ越してきた

 4冊目の詩集のようですが、手馴れた中にも初々しいものを感じました。「太陽に崩される霜柱のように/なくなってしまう/在るものが滅失する虚しさは/どんなに重ね着しても覆うことはできない」というフレーズは巧みですし、そうとう詩を書いてきた方だなと思います。逆に「雲が横目でまあおやりなさいと/流れて消えていった」というフレーズは、まあおやりなさい≠ニいう言葉が新鮮で、作者の感性の瑞々しさを感じます。そういう意味では硬軟併せ持った詩集と言えるでしょうか。楽しみました。



  季刊文芸同人誌『青娥』106号
  seiga_106    
 
 
 
 
2003.2.25
大分県大分市
河野俊一氏 発行
500円
 

    白夜    竹下初代

   神社へ半分程行った頃
   うすぐらい境内から
   にわかに聞こえてくる声

   林の間から見えるかすかな灯
   静かな思いを抱いて
   毎年同じ道を同じ時に歩るいている

   この時ばかりは
   聖人君子になった様に
   あいさつを交わしあう村人たち

   境内の隅では
   つっぱり兄ちゃんも、姉ちゃんも
   今引いたばかりのおみくじを
   真顔で見つめている
   そして、誰れにも言ってない
   祈りをこめて、木に結んでいる

 良いタイトルだなと、まず思いました。北極地方の白夜ではなく、ここでは夏祭りの夜の明るい空を思い浮かべれば良いでしょう。人間に対する見方も「この時ばかりは/聖人君子になった様に」とシビアに見たり、最終連では「つっぱり兄ちゃんも、姉ちゃんも」「真顔で見つめている」「祈りをこめて、木に結んでいる」とあたたかく見守っています。幅広く人間に接することができる詩人なのだな、と思います。日本人の本来持っている良いところも嫌なところも、こんな短い中に凝縮させた佳作だと思いました。




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