きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.3.3(月)
3月最初の月曜日。だから何だ、ということもないんですけど、春めいてきましたね。いただいた本の紹介は2ヵ月ほど遅れていますが、春めいてきたんで、もう少しペースを上げようかな、と……。時間が足りないこともありますけど、ついつい作品に惹き込まれる度合も大きいのです。うれしい悲鳴です。
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2003.3.8 |
東京都千代田区 |
花神社刊 |
2300円+税 |
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そったく
啄
----啄(そったく)
これほど絶妙な言葉を知らない
*
とはめん鶏が卵を抱いているとき
雛が卵のなかから頃合いを知らせるために
殻をつつく音のことである
*啄
とはそれをうけてめん鶏が
嘴で殻を突き破ることである
内なる音
外側の音
どちらかのタイミングがほんのすこし
ずれただけでも
あたらしい生命は保証されない
「音」によってのみ伝達され
「音」によってのみうまれ出る生命
の神秘的な厳粛さ
そして美しさ
ちいさな「音」は重い
「音」はちからだ
著者は1年前に亡くなっており、この詩集は奥様によって出版された遺稿集です。2002年3月8日に84歳で亡くなって、2003年3月8日の発行ですから、命日に合わせた出版のご苦労がうかがわれます。
著者は元「ニッポン放送」ラジォプロデューサーだったそうです。TVとは違った音の世界に情熱を燃やしていたようで、それは紹介した作品からも知ることができると思います。敏感な聴覚を感じます。著者のご冥福をお祈りいたします。
(の字が汚くてすみません。私の使っている1998年製のパソコンではテキストとして表現できないので、止む無く画像で貼りつけてあります。家内用に買った2003年製のパソコンには実装されていました。この5年ほどの進歩には瞠目するものがあります)
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2003.3.1 |
大阪府豊中市 |
ガイア発行所・上杉輝子氏 発行 |
500円 |
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おばあさんの 遺言 横田英子
私にもあった鱗
隠しておきたい汚点から
秘めてきた部分まで
いつの間にか鱗状になっている
どうしたはずみか
私の人差し指に着いている
誰も見ていないか
私は鱗を飲み込む
花びら落ちていくように
滑り降りていく鱗
一時代の私の分身だ
鱗は貼り付けておきなさい
おばあさんの遺言だとか
気性の激しい跡取り娘
緑の羽をつけた緑の帽子
白いレースの洋服で
明冶の横浜を闊歩して
人を振り返らせた
おばあさんは
きりりと眉を上げて
母の嫁入り道具を調べあげたとか
ついには夫に三行半を突きつけた気丈さ
私の鱗は
おばあさんのように
毅然とした鯛には及ばない
鰯ぐらいか
一枚剥がれれば
連鎖状に剥がれるか
鱗の下に隠し持つ 私の時代
飲み込んだ鱗は
私を鼓舞し逆流し
古びた細胞のあちこちを刺してくる
おばあさんがつついているのだ
鰯だって高級品に なってきていることは
知っている
まだまだ燃えている
赤いカラスウリを貰った
秋 真っ最中
横田さんの作品の中では珍しい部類ではないかと思います。「おばあさん」という題材は初めて目にしたと思いますし、肉親(もちろん作品としての)についてお書きになったのは、あまりないと思います。だからという訳ではありませんが、「おばあさん」がよく描けているなと感じました。「鱗は貼り付けておきなさい」という「遺言」はそのまま採っても良いでしょうし、逆説とも採れますね。しかし、ここでは言葉通りに採るべきでしょうね、その孫の「私」は「鰯だって高級品に なってきていることは/知っている/まだまだ燃えている」のですから。最終連の「赤いカラスウリを貰った/秋 真っ最中」というフレーズも見事だと思いました。
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2003.2.20 |
東京都東村山市 |
書肆青樹社・丸地 守氏 発行 |
750円 |
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詩とは何か---空砲 嶋岡
晨
詩とは 感傷的(センチメンタル)な人生の説明 ではない 鈍い
心臓の動きの叙述 古臭い血のリズム
日常の記録 行分け散文 パンやバターでもない
魂の密輸船から揚(あ)げた積荷 麻薬(ヤク)そのもの
跳ねる鮪(まぐろ)まるごといっぴき 沖の甲板の
解釈も 調味料もいらない 肉のかがやき
セリでも得票数でも受賞でもなく 幻影
老いたる詩人の樽御輿(たるみこし)わっしょいでも
破れ太鼓の郷愁 やさしい涙のおしたし
天才まがいの修辞(レトリック)の煮っころがしでもない 犯罪メニュー
の写し 気どりの義歯(ぎし)
討入りでも ヒューマニズムの大行進でもない
単純な共鳴の虫垂炎 でもなくて
初めに沈黙あり 沈黙は神なりき 言葉なんて
そんな下品なもの関係ないのだ
自閉症の将軍 註(ちゅう)の註 腐った注射液
前衛のはきだめ 偽善のデモ隊でもなく
罪や怒りのバーゲン 理想的な癌細胞
出歯亀(でばかめ)の目玉でも 変態の原理でもなく
否定の否定の否定 即答可能の瞬間でも
純粋孤立を演じる非詩でもなく なめし皮の愛 溜め息の
小動吻の実験くさい尻でも 尼(あま)でも 甘皮でもなく
何かでも問い(トイ)ショップでもなく 詩とは
じつに 切腹(ハラキリ)の泥にのたうちながら
これは死ではないと叫ぶサムライ 反葉隠(はがくれ)
詩人もどきの知らぬ比喩の失禁でもなく
詩とは 表現不可能な Experience そのもの 無の
人形焼きの裏返し 三枚におろす舌鮃(したびらめ)
詩とはだれも認めない手術台の上の
熱く凍った悪 でもなく 愚劣なやつめ
何をか言わんやなにぬねのの おお せめて
没後百年に照準(しょうじゅん)をあわせて 射て 空砲(くうほう)を。
最初にお断りしておきます。現在のインターネットに使える日本語ではルビがサポートされていません。止む無く新聞方式+級数下げで表現させてもらいました。また、傍点も使えません。誤字と思われる個所もありましたので、それも勝手に修正してあります。原作の意図を妨げるといけないので、以下にルビ以外の修正個所を列挙します。
3行目 散分 → 散文
7行目 セリ → 傍点省略
21行目 非詩 → 傍点省略
30行目 しようじん(るび) → しょうじゅん
作品に戻ります。実は「詩とは何か」という議論や評論というのはあまり好きではありません。私自身が深く考えいないことに由来しますが、そんなことは各人が勝手に思っていれば良いことで、他人様の言った通りに書けるものでもなく、その通りに書いてもどうなるものでもないという思いがあります。多くの人が同じように感じているのではないか、とも思っています。ですから、この作品は大上段に構えている気がして、次の頁に行こうとしたのですが「空砲」という文字が目に留まりました。
空砲? 詩=空砲?
これはおもしろいことが書かれているかもしれないぞ、と思って拝読して、最後で納得しましたね。それ以前に書かれていることは、まったくその通りで反論の余地もないと思いますし、あるいはどこかで誰かが書いているような気がします。でも「何をか言わんやなにぬねのの おお せめて」とは誰も書かなかった。「何をか言わんやなにぬねのの」なんだと思います、詩なんてものは。そして「没後百年に照準をあわせて」「空砲を」「射」ることが必要なんでしょうね。この言葉はストンと胸に落ちました。
何度もこの作品を拝読して、もうひとつ感じたことがあります。詩なんて各人が勝手に思えば良い、というのもいいけど、たまには大上段に構えることも必要かもしれません。その上でもう一度、勝手にやれば、と開き直って、また大上段に構えてみる。その繰返しの中で見えてくるものがあるのかもしれません。
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