きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.3.10()

 昨夜は隣組の総会で、しこたま呑んでしまいました。隣近所9軒の、地域によっては「組」とか「班」と呼ばれている自治会の構成単位です。年1回の総会がありますけど、予算規模も数万円程度ですから、気楽なものです。総会は形ばかりで10分もあれば終了。その後は懇親会と称する呑み会になります。私もこの組に入れてもらって10年。日本酒の、それも旨い酒が好きなことは知れ渡っており、幹事さんはいろいろと持ってきてくれましたが、いずれも×でしたね。文句を言わないようにして、注がれれば全て呑むようにして対処しましたから、今朝はちょっと頭が重かったです。ちょっと工夫すれば安くて旨い酒は手に入るものなんですが、隣組の幹事にそれは求められません。次に私が幹事の順番になったら、皆さんに旨い酒を呑ましてあげよう、なんて殊勝なことを考えています。



  詩誌『回転木馬』112号
  kaiten mokuba 112    
 
 
 
 
2003.3.10
千葉市花見川区
鈴木 俊氏 発行
非売品
 

    心    鈴木 俊

   一文字
   スイス人べアトが毛筆で試みた
   お習字
   その時ぼくは
   へルツと訳したか
   ゼーレと訳したか
   ゲシュペンスター(幽霊)とでも訳したか
   覚えていない
   帰国前夜のひととき
   アジアの心をべアトに伝えた

   半紙一枚チューリッヒに飛んだ
   「心」は静かな牧草地にある
   彼の家の
   書斎の壁に掛けられた
   朱塗りの額は彼の手づくり
   あらためて見直してみると
   墨色もよい
   抑えの点に力が籠もって
   彎曲した線の懐が大きい
   何でも受け入れる広さを待っている

   心
   この厄介な代物
(しろもの)
   浜の真砂ほどもあるの中で
   べアトは日々どんな心と出会うのだろう
   恋・慕・情・恨・怒・・・
   精神と肉体が織りなす万華鏡から
   詩人は一篇の詩を模索する
   永遠の抽象に心を砕く

   詩人べァトが
   毛筆による形象をどう受けとったかはわからない
   それはアルプスの山の端に懸かる
   虹のようなものかもしれない
   はるかアジアの
   日本という唇気楼かもしれない
   半紙一枚
   「心」は地球の裏側で
   朝夕詩作に疲れた彼を慰めている
   そこからにおいたつもの
   それは確かに
   彼の愛する芭蕉のおもかげであるかもしれない

 「スイス人べアトが毛筆で試みた」「心」という「一文字」が「チューリッヒ」と「はるかアジアの/日本という唇気楼」を結んでいる様が、具体的に形象化された作品だと思います。芸術に国境はないということを改めて感じさせる作品でもあります。「半紙一枚」を介した芸術家同士の交歓に、読者も思わず頬を緩ませるのではないでしょうか。芸術の真髄を見た思いがした作品です。



  文芸誌『海嶺』12号
  kairei 12    
 
 
 
 
2003.2.4
千葉県銚子市
グループわれもこう・蜂須賀和子氏 発行
600円
 

    織る    蜂須賀和子

    大切にしたいと心に決めた途端、それを手から離してしまう癖
   が、わたしにはある。だから離す前に、それを秘色に織り込める
   ことを覚えた。
                 
ぬき
    紫に染まった糸を経に張り、緯に瑠璃色を一本ずつ入れていき
   ます。妙なる色に織り上がっていきます。

    後ろに倒れそうな道。防空壕の隅に置かれた「おまる」の妙な
   る陶器のつめたさに跨っていた。けれども海からやってきた飛行
   機は、あの日 瑠璃色の空中に消え去り。そこで大切なものが燃
   え燻ったのを知らない。もともと大切なものは、あったのだろう
   か。あるはずはなかった。

    消えてしまったものを、秘色を、わたしは、いま織っています。

 「だから離す前に、それを秘色に織り込める/ことを覚えた」という感覚は芸術家独特のものではないかと思います。その欲求が詩なり絵として定着させようとして具現化したのかもしれません。そして「もともと大切なものは、あったのだろう/か。あるはずはなかった」と感じるのも芸術家の特色のように思います。無から、「消えてしまったもの」から「秘色」を織るのが芸術としいものだ、そんなことを教えてくれた作品です。



  詩誌『木偶』53号
  deku_53    
 
 
 
 
2003.3.10
東京都小金井市
木偶の会・増田幸太郎氏 発行
300円
 

    ほけまくい    仁科 理

     師走三十日、餠搗きが始まると、子供たちは、親から〈ほけまくい〉を近所から
     借りてくるように、言い付けられる。寒風のなかを、子供たちは走っていく。隣
     家にいけば、昨夜隣に貸したから、そこで借りろと言われ、そこの家にいけば、
     また、隣に貸してあるからと言われ、だんだん家から遠くなる。あげくの果てに
     は、講中すべての家々をまわる破目になる。〈ほけまくい〉を借りられないまま、
     疲れ果てて家にもどると、何と、餠搗きはすっかり終わっているのだった。

   思えば
   源爺の所をふりだしに
   梅婆の家
   利八爺の家
   と
   つぎからつぎに
   もう 何軒たずねあるいたか

   歩きまわるうちに
   餠のことなど
   どうでもよくなって
   怖いもの見たさか
   宝探しか
   ただ それだけが
   ひたすらおれを歩かせる

   ホケマクイのことなど
   誰も救えてくれないから
   ホケとは 湯気(ほけ)で
   マクイは 払うで
   餠搗きの湯気を追い払う
   団扇
   と信じていた

   ところがどうだ
   過ぎていく歳月のなかで
   ホケは 阿呆
   マクイは 廻る
   解ったのはそれだけじゃない
   いったん借りに出かけたら
   死ぬまで離れぬ疫病神のように
   歩きまわらまければならぬ
   厄介者
   ホケマクイ

   だから
   村を出て久しいのに
   おれは いまも
   たとえば
   冬の街角で
   中華饅頭の
   ふかふかと立ち上がる湯気を見ると
   講中の家々をまわったように
   街を狂気のように走りまわるのだ

   あらゆる街や村で
   落ち着きをなくし
   ただ
   走りまわっている
   たくさんの人を見かけたら
   声をかけても無駄だ
   ホケマクイは
   走ることで生きている
   講中の善作の息子や由造の娘もいるだろう
   それだけではない
   ホケマクイを幸いに
   講中に不義理して
   戻れなくなった奴もいる

   いるわ
   いるわ
   いるわ いるわ

   愁訴に失敗した奴
   越訴に失敗した奴
   強訴に失敗した奴
   逃散
   駆落ち
   勘当

   いるわ いるわ いるわ
   走らせてやらねばならぬ奴

   どいつもこいつも
   おれのように
   家に帰り着くことを
   忘れてしまったのか

   おれは今日
   佛になった親父の
   供え餠をつくろうと
   餠搗き機械をとりだしながら
   残酷な遊びの
   ホケマクイ
   を
   子供たちに命じようと
   にやにやしている

   子供たちよ
   お前たちも

 ちょっと長かったのですが、おもしろいので全行を紹介してみました。実際にあったことなのか、作者の創作なのかは分かりません。でも庶民の知恵を感じます。「愁訴に失敗した奴/越訴に失敗した奴/強訴に失敗した奴/逃散/駆落ち/勘当」など権力や権威から追われる人を逃がす方策として「ほけまくい」があったようにも思います。作品としては、それを「子供たちに命じようと」している「おれ」がおもしろいですね。世の甘いも辛いも判っている親の、ちょっとした意地悪のようで、読んでいて思わずニヤリとしてしまいました。




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