きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.3.13()

 昨日に続いて、今日も午後から都内に出張しました。昨日とは違う関連会社との会議です。議題が30項目以上あって、うんざりしましたけど、だいぶ解決しました。半分は決着がついたかな? 私が総ての議題に関与しているわけではありませんけど、それでも10件ほどは宿題で残りましたね。なんか、会議をやる度に仕事が増えていくような気がします。シンドイのは、今までと違って自分でやってはいけないということ。今までは技術屋という立場でしたから、自分の裁量で仕事を進めることができましたけど、今はそれが出来ません。関係部署に説明して、それぞれの担当者にやっともらわないといけない。援助はするけど、手を出してはいけない。極端に言えば結論をまとめるだけ。それって性に合わないんだよな。でもまあ、それが仕事だからしょうがない、と諦めています。



  個人誌『風都市』8号
  kaze_toshi_8    
 
 
 
 
2003.冬
岡山県倉敷市
瀬崎 祐氏 発行
非売品
 

    祭りごと #1    瀬崎 祐

   お祭りのために大勢の親戚が集まっている
   南の地方から戻って来た叔母が思い出話を始めるが
   これからの会食に気を取られて
   誰もそんな話は聞いていない
   私が旅立つ時刻も近づいてきている
   お守りを息子に届けるのだ

   国道のすぐ傍らの広場に
   廃車になったバスを改造した料理店が建っている
   親戚一同で着いた頃には
   店にはもう黄色みを帯びた明かりがともっていた
   窓枠には一面に錆が浮いている
   もう少しきれいな店に行くのかと思っていたのだが
   見知らぬ人のように装った妻を始めとして
   皆は楽しそうに
   店の表に並べられた料理見本を見て品定めをしている

   もう一度確認しようと膝の上で鞄を開けた拍子に
   お守りが排水溝に転がり込んでしまった
   慌てて排水溝の中に手を差し込む
   すると、何か別のものが触れる
   息子よ お前か 思わず握りしめる
   私は握ったそのものを離すことが出来ない
   出発しなければならないのに
   私はいつまでも廃車の傍らで跪いている


    祭りごと #2    瀬崎 祐

   祭りごとのために大勢の親戚が集まってきていて、妻の
   実家はにぎやかだ。
   和室では南の地方から戻って来た叔母が独身の頃の思い
   出話を始めるが、これから皆で食事に出かけることにな
   っているので、誰もそんな話は聞こうとしない。甥や姪
   たちが走りまわるざわめきの中で、息子にお守りを届け
   るために私が出かける時刻も近づいている。皆との食事
   を終えたらそのまま出立するつもりで、旅行鞄も一緒に
   持って出ようとする。
   そんな私に、旅立つ前にもう一度奥の座敷に戻ってくる
   ように、義母はしきりに勧める。しかし、奥座敷に戻る
   と、叔母の話が長くなる可能性があった。南の地方に嫁
   いだ叔母は、実家から離れることの恐ろしさを繰りかえ
   し呟くのが常だったし、私には課せられた応分の責務が
   あるのだ。

   国道の傍らにちょっとした広場があり、その一角に廃車
   になったバスを改造した料理店が建っている。親戚一同
   で着いた頃には、店にはもう黄色みを帯びた明かりがと
   もっていた。店の窓枠という窓枠には一面に錆が浮いて
   いる。
   正直なところ、もう少しきれいな店に行くのかと思って
   いたので意外だったが、妻の実家では、祭りごとのとき
   にはこの店で食事をするのが決まり事らしいのだ。見知
   らぬ人のように装った妻を始めとして、皆は楽しそうに
   店の表に並べられた料理見本を見て、声高に品定めをし
   ている。

   外灯で照らされた表の広場で、店内の席が空くのを待っ
   ていると、出立の前にお守りをもう一度みせてくれと、
   義母がせがむ。
   膝の上で鞄を開けた拍子に、お守りが吸い込まれるよう
   に排水溝に入り込んでしまった。何者かが私の出立の邪
   魔をしようとしているのか。慌てて排水溝の中に手を差
   し込む。すると、何者かが私の指先を噛んだ。蛇に違い
   ない、先刻から叔母の姿を見ないと思ったら、こんな所
   に隠れていたのか。

   出発の刻限がせまっているのに、廃車の傍らで蛇に指先
   を噛まれたまま、私はいつまでも跪いている。

 長い引用になりましたが、理由があります。作者は「あとがき」で次のように書いています。

    「風都市」第八号をお届けする。今号では読んでお判りのように、個人誌ならではの一
   の試みを行なった。ジャズでいうところの「別テイク」を同時に掲載してみた。しかし、
   いずれか片方の作品を抹殺せずに同時に発表することにより作品世界が深まったかという
   と、必ずしもそうとは言えないようである。掟破りとでも言うべきこの試みに対する批判
   がかなりあるのではないかと考えている。忌憚のないご意見をいただければ幸いである。
   なお、作品の成立順序としては、「#2」が先である。

 これで理由はお判りいただけたと思います。どちらか片方だけを紹介したのでは作者の意図は伝わりません。「掟破り」かどうかは意見の別れるところでしょうが、私はそうは思いません。20年ほど前に後輩の女性に入れ知恵をして、まったく同じ作品をふたつ並べ、タイトルだけを変えるという作品を創ってもらったことがありました。それに比べればまだ罪は軽い^_^;

 「いずれか片方の作品を抹殺せずに同時に発表することにより作品世界が深まったか」という設問には
 Yes と応えたいですね。「#1」は「#2」のダイジェストのようにも見えますが、そうではないだろうと思います。「#1」で「排水溝の中に手を差し込」んで触れたものは「息子」であり、「#2」は「蛇」に変身した「叔母」であることは、「祭りごと」というタイトルから考える決定的に違うと思うのです。家族の中でも息子と叔母では決定的に意味が違うという解釈が成立つと考えます。そういう意味でもふたつの作品を置く必要があると思います。

 詩の可能性という意味でも、この試みは重要なのではないでしょうか。あまりにも一篇の詩に重きをおいてきたように思います。詩集では同系統の詩を集めることで全体の意味をとらえてもらうということをよくやりますが、これは全く違います。ふたつの作品を同時に置くことによるイメージの広がり、深化はおもしろいし、新しい試みだと思います。



  詩の雑誌『鮫』93号
  same 93    
 
 
 
 
2003.3.10
東京都千代田区
<鮫の会> 芳賀章内氏 発行
500円
 

    緋寒桜    岸本マチ子

   少し位強い風が吹こうと
   どしゃ降りの雨だろうとめげず
   カラカラになる迄けんめいに
   木にしがみ付いて咲いている緋寒桜
   少しうつむき加減に
   うっすらと頬を染めている
   まるで沖縄の女性みたいだね
   と言った人がいた

   八重岳へ登ると蛇行する道ぞいに
   七千本の桜が植えられている
   途中に三中健児の塔
   遠く東支那海と伊江島タッチューが見える
   はるか彼方に眼を細めた安田さん
   「大戦末期、あの海一杯に敵艦が溢れ、まるで雨の様に艦砲の弾が降
   って来たんですよ」という
   「この辺は激戦地でした」
   あゝそれで桜なんですか鎮魂の意味を籠めて
   「そうかも知れません。でも
   それだけではないのです。未来へ翔びたつ 希望という祈りも籠め
   ました。翔びたてなかった人たちのために……。
   かつてこの八重岳を命を賭けて守った
   少年達の明日をも知れぬ戦闘の日々など
   知っている人も、もうわずかになりました。こうして耳を澄ますと
   あの日の艦砲の響きがいまもわたくしには聞こえて来るのです」
   深い溜息と共に安田さんはじっと目をとじた
   だがわたしにはなにも聞こえて来ない
   なにも 
いくさば
   気が付くと戦場だったという安田さんの声が
   リフレーンのように
   静かに耳底を流れて行くばかりなのだ
   だからここの桜はあんなにピンクが鮮烈で
   必死に散るまいとしがみついているのですか

 戦争と桜というのは結びつきやすいイメージですが、この作品はちょっと違います。潔く散る桜ではなく「木にしがみ付いて咲いている緋寒桜」。「翔びたてなかった人たちのため」の桜。そこには日本本土の清算主義的な桜ではなく「まるで沖縄の女性みたい」な、まさに沖縄の桜が表出しています。「必死に散るまいとしがみつ」くのは、本来の人間の性なのではないでしょうか。それを捻じ曲げられて解釈された染井吉野も可哀想といえば可哀想な気がします。地域による桜の差異が、そのまま人に意識の差異にも通じる、そんなことを考えさせられた作品です。




   back(3月の部屋へ戻る)

   
home