きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.3.17()

 日本ペンクラブの3月例会がありましたが、やはり行けませんでした。職場異動をして7ヶ月。だいぶ余裕が出てきましたけど、まだまだですね。月に2回の休暇をとれればペンの例会にも行けるようになるんですが、今は辛うじて月1回。まあ、土日は休めていますから贅沢というものでしょうが…。



  詩誌RIVIERE67号
  riviere_67    
 
 
 
 
2003.3.15
大阪府堺市
横田英子氏 発行
500円
 

    弥生の昔の物語(21)    永井ますみ

    
知恵

   みさきのはなに小屋を建てて
   背なの痛むわぁは捨てておかれた
   食いもんを絶つことで
   わぁの中で暴れる奴の力を弱めるのだという

   あお向いたままのわぁを哀れんで
   おきてにそむいた母さんは
   こっそり食いもんを持ってくる
   くすりになるかと野の草を持ってくる
   散らばった粟粒や稗を目当てに小鳥が訪れ
   狐がちらっと覗いて走り抜けて行く
   お陽さまは光と風を届けてくれた
   風は海の生きる力を届けてくれた
   おや様の大きな掘立柱の家より
   どんなに明るかったか

   わぁはそこで
   痛みの激しいときは木の根を噛みしめた
   歯形がついてさらに深く
   喰いちぎれるほどに噛みしめた
   尻のそばにできた奥深いみちから臭い膿は流れ出て
   捨てられた命を 拾ったのだった

   それだけではない
   海の光り方でその日の穏やかさがわかり
   山に掛かる雲の形で
   明日の吉凶がわかった
   誰に教えられたのでもない
   わぁの心を
   生きているもの生きていないもの
   何にでも載せることができるようになったのだ

   捨てられたと思ったのは間違いで
   おや様の知恵だったと悟った

 連載のその
21ですが、「わぁ」の存在感があるなと思いました。「背なの痛む」「尻のそばにできた奥深いみち」というのはどういう病気なのか判りませんが、「弥生の昔」の治療法にも興味をかきたてられる作品です。そういえば、ある種の病気にかかった人は「明日の吉凶」が分かる占い師になったと聞いた記憶があります。「弥生の昔の物語」ですから現代から遠いようにも思いますが、「わぁの心を/生きているもの生きていないもの/何にでも載せることができるようになった」部分は、まだ解明できていない分野だと思いますので、意外に近いのかもしれません。作者の意図もその辺にあるように感じた作品です。



  個人詩誌『天山牧歌』58号
  tenzan_bokka_58    
 
 
 
 
2003.3.1
福岡県北九州市
『天山牧歌』社・秋吉久紀夫氏 発行
非売品
 

    日暮れの台地    チャガン(モンゴル族)

   日暮れの台地で酒に酔う
しんじん
   酔い方は唐の詩人である 岑參みたいな雰囲気で
   よたよたと
   河西走廊の千里の長い砦で
   李可染大師の
   晩年の あの厳しいが拘りのない気迫溢れる
             山水画法を探し求める

  
チーリエン
   祁連山は話しかけてもくれず
   冷やかにわたしを捨てて立ち去り
   わたしがいまに至るも目前の重大事を認知しないのを咎めるが
   かの歴史という名前の老人は
   手に素焼きの壺を提げ
   わたしと意外にも鉢合わせした
   わたしが狂喜しながら徳利を差し出すと
   かれは却って脇目も振らずに朦朧として立ち去った
   後にはひとふしの民謡を
   いつまでも ただよわせながら

       (「人民文学』
199310月号 145頁(秋吉久紀夫訳)

 モンゴル族の作品のようですが、さすがに雄大な感じを受けますね。地理的にも時間的にも大きな広がりを感じます。特に「かの歴史という名前の老人」という言葉に惹かれました。そうだったのか、歴史とは老人のことだったのか、老人とは歴史そのものなのか、と新しい発見をした気分です。しかもその老人は「後にはひとふしの民謡を/いつまでも ただよわせながら」「立ち去っ」て行く。さすがは中国の老人・大人
(たいじん)という印象です。狭い日本から一気に飛出してしまったような錯覚にとらわれる作品だと思いました。




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