きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.3.18(火)
東京本社の若い女性が退職するので、送別会をやるから来ないか、と誘われていました。で、よその職場でしたけどノコノコと出かけて行きました、仕事を1時間サボッて^_^;
件の女性とは、私が職場異動をしてからのつき合いですから、まだ7ヵ月しか経っていません。しかし、毎日のように電話やEメールでやり取りをしていますので、つき合いは深い方です。実際に会ったのは、私が本社に出張したときの一度だけです。それもエレベータの中で一瞬だけ。紹介されて、思わず「おっ、可愛いジャン!」と言ってしまいました。言ってから失敗したなと思いましたよ。セクハラで訴えられる可能性もありますからね。でも、返ったきた言葉は「ありがとうございます」。いい娘だなと思いました^_^;
20人ほどの送別会でしたが、なごやかないい会でした。場所は西麻布の「こむろ家」という鮨屋で貸切。会費が安かった割には酒も寿司も旨かったですよ。
写真は、久しぶりに私も写っているので載せてみました(いつもは撮るばっかり)。無理矢理、何が何でも写ろうと顔を出しているオヤジが私です。件の女性はもちろんこの中にいますけど、どの人かはナイショ。インターネットって、危ない面もありますからね。
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2003.3.15 |
東京都文京区 |
詩学社刊 |
2000円+税 |
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詩人
それもこれも
結婚したころとは
ずいぶんと勝手が違ってきたのだ
あなたは花を供え
仏さまに掌(て)を合わす
それは詩であり
ほんとうの詩人の姿であると思う
あなたが掌を合わすとき
ぼくは詩が書けなくなればいいと思う
書けなくなるほど詩人になれると思う
詩集のタイトルに使われている「奴雁」とはどがん≠ニ読み、あとがきによると鳥の群れのなかにあって絶えず外敵を察知している一羽の見張り役をいう≠フだそうです。さらに時しも群れなす生と死のポーズを「眼で聴き、耳で視て」こころに捕えた日々の折節そのもの≠ナあると続きます。この詩集以下、『夏の詩』『秋の詩』『冬の詩』と4冊同時の出版でした。一気に紹介してみましょう。
紹介した作品は、詩の本質を端的に表現していると思います。「花を供え/仏さまに掌を合わす」のが「ほんとうの詩人の姿である」とし、「書けなくなるほど詩人になれる」という言葉は逆説ではなく真理なのではないかと私も思います。
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2003.3.15 |
東京都文京区 |
詩学社刊 |
2000円+税 |
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郵便小包
小包を保持するためにガードしていた
私の名前が・・・・・・・
とっさの夕立で水に流されてしまっていた
それは水性マジックなのか
神様のマジックなのか
まるで人生の汚点のように黒くにじんでいる
私という存在はなにか
この私は一体 誰なのだろうと
小包をつつんだものの
かけた紐(ひも)に
その紐の結び目に
私を形成する素材のような
私という究極の要素があった
にもかかわらず
まだ集配係はくどくどと
私が永井薫ではなく
二○三番地が私であることを
親切に何度も念(ねん)を押してかかるのだ
こちらのあとがきにも奴雁とは、兵隊で言えば(警戒、監視の任にあたる兵士)歩哨のこと≠ニあり、奴雁にこだわるのは辞書にその言葉がないからだと続きます。なるほど、私も2、3の辞書にあたりましたが見つかりませんでした。何かの専門用語なのかもしれませんね。
紹介した作品は発想がフレキシブルだと思いました。「小包を保持するためにガードしていた/私の名前」「二○三番地が私である」などの言葉はこり固まった頭ではなかなか出てこないと思います。それだけでなく、この作品は<存在>ということを改めて問いかけているのではないでしょうか。
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2003.3.15 |
東京都文京区 |
詩学社刊 |
2000円+税 |
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秋のメジャー
ひび
森に響く
ひとふ おの
一振りの斧の音が
秋の日の
そ
ら はか
碧空のふかさを測っている
こちらは詩集冒頭の作品です。「斧の音が」「碧空のふかさを測」る「メジャー」であるという発想は素晴らしいですね。いかにも澄んだ空気の秋空に似合う「メジャー」だと思います。色紙にでも書きたいような詩です。
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2003.3.15 |
東京都文京区 |
詩学社刊 |
2000円+税 |
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抗議
ふかぶかと頭をさげて
私に道を聞く人がいる。
私は丁寧に
在りし日の道順を示し
其処の辺りの建造物を告げていた。
見ると----
私が指さして
告げていたのは国会議事堂のようだった。
で、
更によく見ると
その議事堂のなかに造成されている
昭和の墓地があった。
そして 無数の怒りの墓標が建っていた。
朝になって
目が覚めて
それで夢とわかったが
あの人はまだ 私のところにかえって来ない
延延と
明けることのない夜をさ迷いながら
あんなに真剣に
戦後の道を尋ねて来た
あの人は
議事堂ヘ何をしに行ったのだろう?
それが判るか!
この詩集には「−戦争−」という1章が設けられていました。略歴によると著者は敗戦時9歳だったようです。戦後生れの私には想像もつかないことですが、収められた11篇の作品を拝見すると、この詩人の原点が少し分かったような気でいます。この章には他にも「残像」「零戦」など紹介したい作品が多いのですが「抗議」が最も佳作だと思いました。それは、視点が新鮮だからです。太平洋戦争に関する作品はかなりたくさん、おそらく500編や1000編は拝読してきたと思うのですが、「戦後の道を尋ねて来た/あの人」という視点での作品には出会ったことがありません。この視点は重要だと思います。これがあれば風化などという言葉は無くなるでしょう。時間を超えた普遍性を感じるのです。
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