きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.3.19()

 出張でキリンビール横浜工場へ行ってきました。横浜工場にある「キリン・ビァ・ビレッジ」では4/1から「手づくりビール体験教室」というものを始めるそうで、一般募集の前に関係会社の社員に体験してもらおうというものです。弊社にとってキリンさんはお得意様で、私が品質保証部門の責任者です。その関係でお前が行けと出張を命ぜられました。体験教室のことは新聞でも報道されていますから知っている人も多いかもしれませんね。

 弊社からは私の他に営業担当者、技術担当者、生産担当者の計5名が参加しました。仕事がらビールの製造方法は知識として知っていましたし、「キリン・ビァ・ビレッジ」は職場の懇親会や個人として何度も訪れています。ですから、当初は淡々と体験≠ウせてもらおうと思っていたのですが、やり始めるとおもしろくてやめられなくなりましたね。20リットルほどのステンレス容器に水、麦芽を入れ、ガスレンジで加熱し、麦汁を造ったあとはホップを添加する、という工程まで体験しました。それ以降はアルコールになっていくので、酒税法の規定から製造免許を持っているキリンさんがやるんだそうです。それはまあ、残念なんですけど、そこに至る工程がおもしろかったですね。麦汁を造る工程は、いわば化学実験です。化学実験は私が30年も慣れ親しんできた世界。最初は製造担当者にやってもらって、見ているだけにしようと思っていたんですが、ついつい手が出てしまいました。

 熟成に60日ほどかかり、実際にビールになるのは5月連休頃だそうです。自分たちが造ったビールは会社に届けてくれるそうですし、350ミリリットル缶で40〜50本になるようですので、参加者のみならず職場の仲間を集めて試飲会をやろうと目論んでいます。さて、どんな味になっているやら。



  原圭治氏詩集『地の蛍』
  chi no hotaru    
 
 
 
2003.3.15
大阪市北区
編集工房ノア刊
2000円+税
 

    崩壊しない木

   庭に二本並んだナンキンハゼとムクノキが
   赤や黄と淡黄の葉を 球形状に包み込んで
   秋の陽光を みずのように含ませ
   いまにも輪郭の外側にあふれそうで
   ここでは緩やかに時間が過ぎてゆく日常があり

   だがあそこで 信じられない一瞬の映像が
   非日常のように
   不意の 二機のハイジャック機が激突して
   ツイン四百二十メートルの世界貿易センタービルは
   鳥籠のような形を 噴き上げる粉塵の中へ
   二千八百人
*の生命を奪いながら
   瞬時に沈み込むように崩れていくシーンが

   その時からアメリカ中に星条旗が翻り
   ブッシュは テロを口実に報復戦争を始め
   まるで 落ち葉をまくように
   荒れて乾いたアフガンの民の地に
   黄色いクラスター爆弾を大量にばらまいて
   貧困の民と子どもを容赦なく殺戮している

   崩壊したのは
   アメリカの自由や民主主義でなく
   星条旗の覇権と 富の象徴だから
   バーバラ・リーは ただ独りであっても
   報復戦争に反対する勇気の一票を投じたので
   呼応する世界の理性の人 平和を願う人びとたちは
   直ちにアフガンへの軍事攻撃を中止せよと
   厳冬の風に抗して連帯のメッセージを
   鮮烈な赤黄の葉を散らすように伝えながら
   樹木の春を信じているから

   暖かな陽光をみずのように浴びては
   次第に 萌黄の若葉が芽吹き膨らむから
   理性の木は 決して崩壊などしない

         *朝日新聞記事(二○○二年十二月十五日付)
          「ニューョーク市当局は昨年九月の同時多発テロで崩壊した世界貿易センタ
          ービルでの死者・行方不明者が三人滅って二千七百九十二人になったと発表
          した。」

 「まるで 落ち葉をまくよう」な「黄色いクラスター爆弾」による「殺戮」と、「厳冬の風に抗して連帯のメッセージを/鮮烈な赤黄の葉を散らすように伝え」る抗議とを対比させ、さらに「理性の木は 決して崩壊などしない」と明言する見事な作品だと思います。
 このHPでも「バーバラ・リー」の「報復戦争に反対する」下院での演説内容を英文・翻訳の全文を載せたことがありますが、改めて「アメリカの自由や民主主義でなく/星条旗の覇権と 富の象徴」の戦争だったなと思います。それがイラクに延び、さらには北朝鮮にも延びようとしている今、ブッシュの原点を考えさせる作品だと思いました。



  詩誌ZERO6号
  zero_6    
 
 
 
 
2003.3.10
北海道千歳市
ZERO」の会・綾部清隆氏 発行
非売品
 

    在ること    綾部清隆

   そこに在るものは
   そこに在ることが
   自然なのだと
   ただ 黙して
   時代がどう変わろうが
   そこに在った

   人も
   その前代の人も
   ことばもかけず
   通りすぎていった

   愚直であるがゆえに
   誇示することもなく
   ただそこに在って
   ときに 子供が
   ちょっかいを出しても
   ひたすら真摯に受け止め

   不在をよそおわなくても
   そこに在ることは
   自然の掟のようなもの
   軸が根ずいているから
   そこに在りつづけられるのだ

   存在なんて
   本来 そんなものだ

 最終連の「存在なんて/本来 そんなものだ」というフレーズが見事だと思います。私には存在論を簡単に論じることはできませんが、その本質を言っているのではないかとも思います。
 「
そこに在るもの」の具体的な事物は何なんでしょうか。「ときに 子供が/ちょっかいを出しても」「軸が根ずいている」とありますから、樹木の類なのかもしれません。いろいろに想像できます。しかし具体的な事物は関係ないでしょう。この作品の場合、ただ「そこに在るもの」として受けとめればよいのだと思います。




   back(3月の部屋へ戻る)

   
home