きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.3.20()

 昨夜と今夜と、2晩続けて校正をしていました。日本詩人クラブ広報誌「詩界通信」14号です。日本詩人クラブ賞、新人賞、詩界賞の受賞特集だったのですが、すでにお知らせの通り、今回はクラブ賞のみ。新人賞、詩界賞は該当者なしでしたから、「詩界通信」のスペースも20頁でいけると思っていたんですが、いつも通り24頁になってしまいましたね。

 例会の講演要旨が思ったより長いことに起因しています。要旨ですから簡単でいいんですけど、執筆者としては詳しく伝えたいのでしょう。その気持はよく判ります。編集長としては一応の制限枚数を設けていますが、あまり厳密にはやっていません。例会に参加できるのは会員・会友850名ほどの中で、東京近郊の一部の人たちだけです。多くの地方在住の会員・会友は広報誌を通してしか講演内容を知ることができないのです。それなら多少オーバーしても詳しく載せた方が良いのではないか。そんな判断をしています。



  秦恒平氏著『湖(うみ)の本』エッセイ27 「東工大「作家」教授の幸福」
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2003.3.14
東京都西東京市
「湖(うみ)の本」版元・秦 宏一氏 発行
1900円
 

 知る人ぞ知る、なんですが、日本ペンクラブにおける私の上司とも言うべき、理事・電子メディア委員会委員長の著者は、東京工業大学の文学°ウ授でありました。1991年から1996年までの4年半のことです。一般教養としての講義だったようですが評判は良く、250人の教室に毎回500人ほどの学生が詰め掛け、教壇にも坐り込み、立ち見(?)も出るようだったようです。授業内容は一方的に教える、講義するのではなく、例えば「なぜ嘘をつくか」「数は明解か」「今、真実、何を愛しているか」といった命題に対して小論文を書け、といったようなことのようでした。さらに虫食い短歌・俳句として、例えば

 親は子を育ててきたと言うけれど( )手に赤い畑のトマト   俵 万智

の( )に当て嵌まる漢字一文字を入れよ、入れた理由を述べよ、という授業をやったようです。著者の思いはひとつ、工学部学生に文系のような文学史を伝えてもあまり意味がない、それよりも書かせることで自分の思いを吐露させよう、書くことで日本語の不自由さを感じとってもらおう、というものでした。9割が大学院進学希望という工学部学生とはいえ、20歳前後の多感な青春時代を送る彼らに、この手法はウケタようです。出されたレポートは400字詰め原稿用紙換算で3万5000枚以上、優に100冊を超える単行本の枚数です。事実、その中から2冊は単行本化されています。1995年『「青春短歌大学」講義録』(平凡社)、1997年『東工大「作家」教授の幸福』随筆集(平凡社)がそれです。実はこの『湖(うみ)の本』エッセイ27は、後者の復刻版とも言うべきものです。

 ちなみに俵万智の短歌の回答は「勝」。「勝手に赤い畑のトマト」というわけで、これには学生の論も賛否両論あったようです。自然界では勝手に<gマトは成っていくのだ、いや、さんざん親に迷惑・負担をさせながら勝手に≠ヘないだろう等々。教授連にも同じ設問をしたところ、当時の東工大学長はカンニングして、作者の俵万智に直接電話をかけて回答を聞いた、なんてエピソードも載っていました。

 私も社員教育で工学部卒の社員(もちろん東工大卒も大勢います)と接する機会が多いのですが、この著者の手法には感銘するところがあります。文学の素養、文字・言葉への関心が少ない社員は大成しないように思います。理学への造詣が深くなればなるほど文字・言葉への関心が高まっていきます。それは研究論文を書くためという低い次元の話ではなく、社会の一員としての企業という位置付けができるかどうかは、実は文学・文字・言葉というキーワードと密接にからむ話だと思うのです。その意味でもこの本は私に多くのものを教えてくれました。今後の社員教育、職場の後輩の育成などの中で、いかに相手の心情を吐露してもらえるかを考えていきたいと思って本を閉じました。



  小田切清光氏詩集『冬の青空』
  fuyu no aozora    
 
 
 
 
2003.3.30
東京都文京区
詩学社刊
3500円+税
 

    鎮魂

   庭の桜が咲き始めたというのに
   花見酒を酌み交わしたかったのに
   君は
   お先に とも言わず
   さっさと逝ってしまった

   昨夜 ふらっと夢に出てきて
   ぼくに何か言いたげだったが
   どうしたんだい
   さみしかったのか

   戦火をくぐり
   闇市から出発し
   生活にひきずられ
   不満はあったが
   上等の方さ ぼくらの世代は
   青春を闊歩し
   平和を満喫し
   飽食暖衣の時代を過ごし

   ……手酌とするか
   さみしいのはお互いさまさ
   心の奥のさみしいのは

   もう夢などにさまよい出るな
   死んだら
   きっちり死んでいろ
   桜の根元に
   清酒を少し酌む

 死んだら死んだで 生きていく≠ヘ高橋新吉でしたか、死んでからの生き方≠ヘどこかの葬儀屋のキャッチコピー。「死んだら/きっちり死んでいろ」はそれに並ぶ名フレーズだと思います。名フレーズどころか、これからの生き方をも考えさせる言葉だと思います。「死んだら/きっちり死んでい」るためにはどう生きるか、それが問われていると考えるべきでしょう。

 友人の死を扱った作品が比較的多い詩集です。70を過ぎたという著者の年齢から、それも頷けますが、50を過ぎた私にも目前の課題です。先輩詩人の作品集として「冬の青空」「幻聴」「入館用紙」「惜別」などから多くのことを学ばさせていただきました。



  詩誌『吠』22号
  bou 22    
 
 
 
 
2003.3.10
千葉県香取郡東庄町
「吠」の会・山口惣司氏 発行
700円
 

     五右衛門風呂    川本京子

   夫が小屋を建て釜を据えた
   井戸水を導水し
   裸電球がついた

   義父はぬるま湯に二時間つかり
   義母は熱い湯を好み短時間であがる
   農業に一切手を出さない親だから
   年がら年中家にいる
   夫は後妻の私に気遣い
   隣の下屋敷に家を建て
   ユニツトバスを据えてくれた

   義父の没後 三年ほどして
   母屋の五右衛門風呂に入る決心をした
   義母の背を洗い揉
(も)んだ
   今では義母も亡くなり
   老夫婦となった私達だけが
   今も五右衛門風呂の風呂を使っている

   鉄釜は時のたつにつれ白濁する
   石けんの泡を消すが
   夏の汗と塩分をよく洗い流す
   冬の肌の油分を上手に守る

   海からさほど遠くない私達の村は
   体にへばりつく塩の風の通り道
   土に生きる生物の全てに悪さをする
   木々もねじれ葉を黒く枯らす

   週に一度夫は木を挽
(ひ)き割る
   私は落葉を袋詰にする
   細い煙が木々を縫い漂よう
   私の所に来る事になった娘とその子も
   今は五右衛門風呂の仲間入りをした

   後妻の私の居心地と命とが
   この五右衛門風呂の中にある

 「五右衛門風呂」には何度か入ったことがあります。親戚の家とどこかの民宿で。慣れないちょっとした苦労がありますけど、バス≠ナはなくいかにも風呂≠ニいう風情がありますね。でも「夏の汗と塩分をよく洗い流す/冬の肌の油分を上手に守る」とは知りませんでした。それが実感できるほど入ったことがない、ということですが…。
 そんな「五右衛門風呂」と「後妻の私の居心地と命」が見事に結びついた作品だと思いました。意外なところで人は安心感や満足感を得ているものなのだなと感じさせられた作品です。



  個人詩誌『神の国へ』創刊号
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2003.3.22
東京都国立市
小野耕一郎氏 発行
350円
 

    木の声

   朝起きれば虫の声
   昼目覚めれば太陽の声
   夜眼をさませば月の声
   いつもいつも木の声がする
   病みあがりの目付きで
   永遠の木をのぞけば
   土の匂いがする
   わなないた日々の数々の声がする
   忘れた日常の望郷の海
   あの日意味なき日々のなかで
   生きた 無限の希望
   眠れぬ日々の希望の辛酸
   揶揄の日々のなかで
   明日なき明日の耐える日常
   やがて来る過去という未来

 最終行の「やがて来る過去という未来」というフレーズに驚きました。言われてみれば未来も過去になるのですが、ここでは過去は「やがて来る」ものと位置付けており、その発想が新鮮です。
 作品は「意味なき日々」「希望の辛酸」「明日なき明日」とかなり深刻ですが、新しい詩誌の発刊でその苦労も報われるだろうと思います。今後のご発展を祈念しています。




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