きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.3.22()

 3連休の中日。終日、いただいた本の読書と感想書きで終りました。以前ですと、3連休があったら一日ぐらいは出勤していたものですが、仕事も落ち着いてそれもありませんでした。優れた詩集や詩誌の作品に出会って、充実した一日でした。



  関野和美氏詩集『四月に』
  4gatsu ni    
 
 
 
 
2003.3.1
静岡県富士宮市
私家版
非売品
 

    阿蘇

   外輪山を見ながら
   列卓は進む
   カルデラの中に
   家があり田畑があり
   町があり村がある
   阿蘇の雄大さと
   悠久の時
   何とその始めの噴火は大きかったことだろうか
   そして全体が沈み
   そこに水が溜り
   又隆起して
   大きなカルデラになった
   ここに来て人間は
   大地のしわの中に暮しているのだと
   あらためて感じた
   都会にいては感じないことだ
   そして私達は
   ある大きな力によって生かされているのを感じる

 著者は現在静岡県富士宮市在住ですが、15年ほど宮崎に住んでいたそうです。ご主人が宮崎大学の教授として赴任したので、それに伴う移住と「あとがき」にありました。
 紹介した作品はその時期のものと推測されます。私は行ったことがないのですが「
カルデラの中に/家があり田畑があり/町があり村がある」というのですから、壮大な規模なんでしょうね。「大地のしわの中に暮している」という発見は見事だと思います。

 詩集の最後に置かれた「母に」という作品以外の29編は、すべて宮崎時代に書かれたとのこと、おおらかな地域性が感じられる中に、繊細な詩人の感受性が受けとめられる詩集です。



  羽切美代子氏詩集『素材』
  sozai    
 
 
 
 
2003.3.3
東京都板橋区
待望社刊
2000円
 

    時間

   子供を愛しむのは
   大人の不甲斐無い過去
   遣り直したい過去を
   遣り直せる時間が残っているからだ

   その子に
   才能が有ろうが無かろうが
   その才能に期待しているのではない

   ただ ただ 有るであろう
   時間に対して

   期待しているのだ

 子供には「大人の不甲斐無い過去/遣り直したい過去」に対して「遣り直せる時間が残っている」。だからそれに「期待している」のが「子供を愛しむ」という行為の正体なのだという、これはおもしろい視点だと思います。その通りなんでしょうね。
 詩集のタイトルになもなっている「素材」は、1から10まで、それこそ詩の素材≠ノなる言葉を列挙しています。著者の柔軟な思考が判る詩集です。



  月刊詩誌『柵』196号
  saku 196    
 
 
 
 
2003.3.20
大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏 発行
600円
 

    門林岩雄

    年末大商戦

   半裂きにされ
ひだら
   ひん曲がった干鱈
   箱いっぱい

    
みかん
    蜜柑

   庭に植えた
   蜜柑がなった
   いじけて小粒
   おれそっくり


    森の話

   天狗のへそに蜂がとまった
   原っぱで天狗昼寝中……
   鹿や兎ははらはらする
   天狗が暴れ出さんかと

   突然天狗は吹き出した
   面白い夢を見てるんだ
   蜂は驚き飛び去った
   鹿や兎はほっとする

 門林岩雄さんの短詩を3篇全部紹介してみました。詩人の観察からは、人間や動物へのやさしさが覗えて、いつもホッとしたものを感じています。とてもとても「いじけて小粒/おれそっくり」とは思えない器量を感じるのですが、そうやって己を小さく表現するところにこの詩人の魅力があるのだろうとも思っています。見習いたい生き方です。



  詩誌『ステム』25号
  stem_25    
 
 
 
 
2003.3.25
東京都大田区
すてむの会・甲田四郎氏 発行
500円
 

    おお神よ    閤田真太郎

   無神論と打とうとしたら
   ワープロが
   なんど打っても
   無心に
   無心論と応じてくる.
   止むを得ず
   無心論の心を神に変換しようとすると
   上・紙・髪・加美・香美・噛みと咬みついて
   えらく神様を出し借しみする
   どうやら神様は
   遠出をなさって
   いたらしい

   いつかは
   ホームセンターに
   現れたことがある
   嘘ではない
   大売出しのちらしに
   洗剤やローソクや燐寸と並んで
   一千五百円から一万九千八百円までの
   「神様」がずらりと
   勢揃いなさっておられた
   あの時ばかりは
   わが無神論も
   ぐらりと
   揺れた

   看護婦さんが
   母に
   「おばあちゃん‥‥しんどいかね」
   と訊ねると
   「まだ‥‥死んどらん!」
   と応じたそうな
   おお
   何処にか
   おはします神よ
   この母の怒りが
   いつ迄も
   続きまさんことを

 神は「ホームセンターに/現れた」。そんなものかもしれませんね。それにしても「母」の対応がおもしろい。神は「母の怒り」の中にいるのではないか、そんな風にも感じた作品です。
 今号では甲田四郎氏「遅れた花見」、長嶋南子氏「とりあえず」にも魅力を覚えました。佳作の多い詩誌です。





   back(3月の部屋へ戻る)

   
home