きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.3.31(月)
ようやく3月最終の日記を書くことができます。今は本当は4月29日の午前9時。一時はHPの日付と実際の間に2ヵ月近い差がありましたが、ようやく1ヵ月以内に差を縮めることができるようになりました。正直なところは1ヵ月も間が空くと、何をやっていたか忘れてしまいますね。多少のメモと写真がありますから、それで記憶をつないでいくんですが、どうも危うい。せめて一週間以内にしたいものです。5月の3連休でその願いが叶うかどうか…。がんばって読んでいきます。
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2003.3.25 |
東京都福生市 |
竜骨の会・村上泰三氏他 発行 |
600円 |
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放電 伊藤幸也
うまく言えないが
老いとは
夕焼け空に
まっ赤になって
遊び呆ける
子どもら
そっくりではないか
夕闇にも 母親のお小言にもめげず
パチパチ 弾(はじ)ける
流星群のごとき
放電をともなって
「老いとは」「放電をともな」うものだ、という見方はおもしろいと思いました。確かに人生には充電の期間がある≠ニか今は充電の時期だ≠ネどの言い方がありますから、その対極としての「放電」は理に適っていると思います。放電し切るとオシマイになるのか、と考えるとちょっと淋しい気もしますが、ここでも作者は新鮮な見方をしていると思います。「夕闇にも 母親のお小言にもめげず/パチパチ 弾ける」「子どもら/そっくりではないか」と言うんですね。これには救われました。そういう放電のし方もありますね。次に充電するための放電。「老い」の次に来る充電を考えれば良いのだ、と思い至りました。
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2003.4.10 |
東京都東村山市 |
書肆青樹社刊 |
2300円+税 |
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夜の蒼い空
----亡き父へ
その時
父の
きらきらときらめいていた
生きている時間が
冠状に
ほぐれていった
それは
ゆっくりとほつれて
闇の中で
合掌の形の光になり
ゆらゆらと揺れ統けた
由美子 元気でな
じさまは逝くよ
じさま
遠くに行っちゃだめだよ
私たちの止める声は届かず
父は
去っていった
懐かしい人たちの傍へ
星たちが輝き
流れ星がさんざめく
夜の
蒼い空ヘ
23年ぶりの第二詩集のようです。「詩を書かなくなってから、十年近くがたっていた。(略)
父が亡くなって半年後、突然、それは噴火したのだ。この詩集は、昨年9月の半ばから、4ヵ月間の洪水のように押し寄せた私の心の断章である」とあとがきには書かれています。頭で捏ね回すのではなく、身体ごとぶつかって表現した、表現したかった詩集と言えるでしょう。
紹介した作品は第1連、第2連と死に至る道を美しくうたっていると思います。第3連、第4連も素晴らしいですね。特に第4連の「じさま/遠くに行っちゃだめだよ」というフレーズには思わず胸を熱くさせられました。数年前に亡くした私の母にも言ってやりたかった言葉です。
「じさま」はここでは「父」のこと。普通はお祖父さんのことですが、方言のようです。
10年近い空白、23年ぶりの第二詩集と、詩を書く条件は厳しいはずですが、この詩集からそれはまったく感じられませんでした。確かな手応えを覚えます。
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○詩誌『』15号 |
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2003.4.1 |
埼玉県所沢市 |
書肆芳芬舎・中原道夫氏 発行 |
500円 |
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櫻 江口あけみ
石神井川を覆った
薄紅色の空間
狂気としかいいようのない
それは
燃えるような空間
老いるほど
激しく咲くという
櫻
黒々とつづく
象の足のような櫻並木
散り積もった花の下には
這いつくばった根が
限りない
根別れをくり返し
闇の中でうごめいているのだ
足裏の感触に
薄紅色の
花びらを口に含んで
火照るからだを
思ってみる
事実かどうかはしりませんが「老いるほど/激しく咲く」という言葉に魅了されます。そうなのかもしれませんね。最終連の「火照るからだを/思ってみる」というフレーズとも重ね合せて、見事に造型された作品だと思います。冒頭の「狂気としかいいようのない」というフレーズも奏効しています。桜について書かれた作品は多くありますが、一味違った詩で、しみじみと鑑賞しました。
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