きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.4.10()

 会社で私の所属する部は200名ほど在籍しているんですが、そのうちの半分以上が集って、部長から2003年度の方針を聞く会がありました。弊社全体の利益は横這いから下降傾向ですが、なぜか私の部は好調です。弊社の利益を引っ張ってきた部が二つありますけど、とうとうそれを抜いて全社1位になったことが報告されました。喜ばしい限りです。

 でもね、自分の仕事を振り返ってみると、そう喜んでばかりはいられません。私の部が製造している商品は年間数百億の売上げがありますけど、私の担当している商品は数億にすぎません。20分の1とか30分の1というレベルなんですね。ま、市場が小さいということもありますけど、それにしても稼いでいません。どうやって儲けるか。そんなことも視野に入れながら仕事をしていくつもりです。



  阿賀猥氏詩集『ナルココ姫』
  narukoko hime    
 
 
 
 
2003.4.20
東京都新宿区
思潮社刊
1800円+税
 

    私たち皆、ごく普通に落ち着いて「死」についても話して笑ったりしていまし
   た。その本人も声を立てて笑っていたのです。

        
トン コロリ

        「このたびはあなたもトン コロリと死ぬことになって」
        「ママ、まだお父さんは死んではいないわ」
        「そうだよ。俺はまだ生きてる」
        「オオスジ言ってるわけよ」

        
大事なこと

        生きることより大事なことがあった。死ぬことなどどうでもいいこ
        とだった。会社に行くこととか、妻に愛されることとか、他人を笑
        わせることとか、……大事な事は沢山あった。

    夫は、延命には無関心でした。それからは家族のためだけを考えて動いたの
   です。あちこちの病院に連れて参りましたが、もの凄い病態であるのにかかわ
   らず、信じられないほどに楽しそうでした。ひどく嬉しそうで、まるで小踊り
   せんばかりのご機嫌でした。
    夫は病状を知り、積年の誤解を解き、ようやくすべてを納得したのです。嘘
   のように狂気を解き、かってのように冷静沈着、そして陽気にユーモラスにさ
   えなりました。本当に長い長い迷走でした。夫は、久方ぶりに自身を取り戻し、
   静穏の日を、幸福な日を得たのです。

 詩集タイトルの「ナルココ」とは飼われている犬の名でした。ダックスフントの牝犬、だから「姫」。その姫が出産をします。難産でした。そこからこの物語≠ヘ始められます。「大事件といえば、猫のお産とか、犬の病気とか。不幸もそういう範囲でした」と著者は語ります。しかし、ご主人が癌に犯されているという事実が発覚します。一時は家族全員が半狂乱になっていく様子が描かれ、最終的には死を受け入れるようになったのが紹介した部分の描写です。その1ヵ月後にご主人は亡くなったようです。

 著者はあとがきで「登場する人物名は、皆実名を使用したが、特に事実に近づけようとしたものではない」と書いています。そういう姿勢でこの本を読むことが必要でしょう。暴露本でも自分史でもなく、文学作品としての眼を読者に要求しています。また、本著にはどこにも詩集≠ニいう名称は書かれていません。形式も詩と散文が繰返されるものになっています。しかしその根底にあるのは、著者の詩人としての観察であり感覚です。このHPではあえて詩集≠ニ銘打たせていただきました。遺されて家族の心をなぐさめ、ご主人への鎮魂の詩集と考える次第です。



  前田巌氏詩集青葉に光が満ちていた
  aoba ni hikari ga michiteita    
 
 
 
 
2003.5.1
名古屋市中川区
私家版
1500円
 

    人たちの位置から

   〈終点までまだ遠いのに
    このままだと疲れるだけだ〉
   となりの人のカバンが
   この位置を規制している以上
   体をまげるように
   揺れるたび
   つり革のほうへ動かなくてはならない
   ふりむくと
   背の高い人が
   私を見下ろしている
   〈ほんとうにいやな位置だ〉
   〈足が痛くなってきた〉
   〈いまどのあたりだろう〉
   人たちの肩口からみえる
   小さな風景に
   目をやりながら
   体を立て直そうとする
   さかんにメガネを気にしていた
   厚手のコートを着た人が
   こちらをみる
   〈なんてキザな奴だ〉
   そのきれいな手は
   多分デスクサイドの仕事をしているのだろう
   そして電車が
   速度を落としはじめたとき
   私は
   この位直から動けると思った

 あとがきによると、著者は
1980年に第一詩集を出して今回が2冊目だそうですから、何と23年ぶりの詩集ということになるんですね。詩集は出せばいいというわけではありませんから、20年ぶりだろうが30年ぶりだろうが大きなお世話なんでしょうけど、第一詩集のような感激を再び味わっていらっしゃるのではないかと想像しています。

 紹介した作品は、詩集の中ではちょっと毛色が変っています。この作品のように直接的ではなく、身の回りの現象を一度解釈しなおして再構築するというのが著者の作品の特徴ではないかと思います。ですから、使われている言葉は平易ですが、よく考えると難しい内容です。私の能力ではちょっと紹介しきれないと思います。そこで見つけたのが紹介した作品だったというわけです。これなら何とか読み解けそうです。
 一読して、非常に繊細な方なんだなと思いました。「〈ほんとうにいやな位置だ〉」「人たちの肩口からみえる/小さな風景」などのフレーズにそれを感じます。私などそんな敏感さを持ち合せてなくて、ボーっとしているのが多いですね。もっとも、普段はクルマ通勤で満員電車なんか滅多に乗りませんけど…。

 繊細さという面では詩集の総ての作品をあげることができますけど、その中でも「やがて移ろうべき」「青葉に光が満ちていた」「去りゆく日まで」などは心に染みるいい作品だと思いました。




   back(4月の部屋へ戻る)

   
home