きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.4.15()

 NHKの番組で「プロジェクトX」というのがあるのはご存知だと思います。私はTVはあまり観ないのですが、これだけは欠かさず観ています。技術屋ですからね、教わることは多いのです。
 今夜は東大教授の坂村健さんが出るというので、当然、観ました。坂村さんは日本ペンクラブの電子メディア委員会のメンバーで、いわば私も同僚という立場です。坂村さんが開発したTRON≠ヘ知る人ぞ知るOSで、A-TRONの時代から私も名前だけは知っていました。パソコンがまだマイコンと言われていた時代の人なら常識ですからね。現在はB-TRONで、坂村さんから勧められたときは買おうと思ったほどです。結局、一つのパソコンの中にWINDOWSとTRONの二つのOSを持たなければならないことが判り、パソコンとしての信頼性に疑問を持ったので買いませんでしたけど…。

 WINDOWSに政治的に負けたことは知っていましたが、家電や携帯に組み込まれるようになったとは、今夜の番組で初めて知りました。良いところで使えてもらえて良かったな、というのが正直な感想です。番組の中で坂村さんは「OSは人類の共有財産。そこに儲ける≠ニいう考え方を入れる気はまったく無い」と言っていましたが、同じことを電子メディア委員会の中でも発言しています。日本人の総てが儲けることだけを考えているわけではないよ、とも言っていましたけど、よくぞ言ってくれたと思いましたね。

 坂村さんが次に考えているのはユビキタスなどの組込み型コンピュータだろうと思います。便利になるのは目に見えていますけど、プライバシーの保護も合せて考えて考えてほしいですね。当然考えているとは思いますが…。



  西本梛枝氏著湖の風回廊 近江の文学風景
  umi no kaze kairo    
 
 
 
 
2003.4.10
大阪市天王寺区
東方出版刊
2000円+税
 

 日本ペンクラブ、日本詩人クラブの会員でもある著者よりいただきました。このHPでも何度か紹介しました、滋賀銀行発行のPR誌『湖』に連載した「近江の文学風景」の1997年から2002年までの25篇をまとめたものです。全頁カラー写真入りの美しい本、美しいばかりでなく著者の意図がはっきりと現れている本です。その意図を著者は「まえがき」で次のように述べています。

    この本は「文学散歩」の本ではない。「文学の風景」を感じる本である、と独断的に思ってい
   る。些か尻理屈めくけれど私の中で「文学散歩」と「文学風景」は違う。文学散歩は文学の舞台
   になった土地をなぞり、歩いてくればいい。
    「文学風景」は、まず風景がある。その風景から作家が何か触発されて書き上げたものが、一
   つの作品である、と考えれば、作品の舞台をなぞる、という受け身の行動だけではなく、作品
   をきっかけにしてその土地の風景や風を自分の肌で感じ、作品と風景を検証し、作家のおも
   い、そして土地のおもいにまで踏み込んでいく。「文学の風景」である。そのように思いなが
   ら、作品を携え、近江を歩くと作品と風景の必然性、作家の土地へのおもい……等々にまでお
   もいがひろがっていく。土地のもついろんな呼吸を作家の感性をもお借りレながら、感じとっ
   ていける。

 一味違った本であることが想像できると思います。採りあげられている作家と作品は、五木寛之『蓮如』、井上靖『星と祭』、井伏鱒二『安土セミナリオ』、澤田ふじ子『比良の水底』、泉鏡花『瓔珞品』、永井路子『一豊の妻』、杉木苑子『埋み火』、水上勉『湖笛』、川端康成『虹いくたび』、立原正秋『雪の朝』、城山三郎『一歩の距離』、海音寺潮五郎『蒲生氏郷』、宮尾登美子『序の舞』、小泉八雲『興義和尚のはなし』『鮫人の恩返し』、水上勉『櫻守』、森鴎外『小倉日記』、井上靖『夜の声』、永井路子『雲と風と』、松木徹『源氏供養』、池波正太郎『真田太平記』、白洲正子『近江山河抄』、花登筐『ぼてじゃこ物語』、大佛次郎『宗方姉妹』、岡本かの子『金魚僚乱』、吉屋信子『安宅家の人々』の25篇。近江の風景と作家の息吹きを感じることができます。滋賀に行ってみたくなり、紹介された本を読んでみたくなりますよ。なお、添えられた手紙には関西方面だけでなく横浜の有隣堂でも発売、とありました。



  詩誌『貝の火』14号
  kai no hi 14    
 
 
 
 
2003.3.20
神戸市須磨区
月草舎・紫野京子氏 発行
800円
 

    此の岸辺で
      ――田口義弘さんに――    
紫野京子

   初めて恵投された書簡の
   ひとつのキーワードは
   「ルージュ」だった

   滑らかに 壊れてゆく
   固形の色
   真紅は色の名のみではない

   言葉の不可思議は
   そのすべての意味を超える
   ひとつの徴
(しるし)は 断片に過ぎない

   初夏の或る日
   黒い布に覆われた
   無言の帰還

   七年前のあの日
*
   天地を揺るがした
   暁闇の一瞬

   その七日後に
   あなたと待ち合わせた書店で
   手に取った一冊の詩集の中の
   「黒いミルク」
**

   世界をも覆うそれらの黒は
   此岸と 彼岸の
   はざまを思わせた

   いのちの限り 不可知を求め
   塀際を歩きつづけた
   あなたを思う

   あなたが易々と越えていった
   その川を 私は越えることができない

   あなたが語っていたという
   「違う世界」
*** を見ることはできない

   此の岸辺に佇み 私はただ
   祈りつづけるだけだ

    * 一九九五年一月十七日、阪神淡路大震災の日
    ** パウル・ツェラン「死のフーガ」の中の言葉
    ***田口さんは「死ぬことは違う世界に行くことだ」と言っておられたという。

 
2000年の第33回日本詩人クラブ賞を詩集『遠日点』で受賞され、それを機に日本詩人クラブ会員になられた田口義弘さんが亡くなったのは、わずか2年後の2002年6月1日だったそうです。京都大学名誉教授だった田口さんが、学会出席のため訪れていた東京のホテルで亡くなったことは、その日の夕方に聞いたように記憶しています。詩人クラブの研究会の席でだったでしょうか。田口さんとは授賞式の折に初めてお会いしましたが、受賞詩集『遠日点』でもお人柄が判っていましたし、その後『カロッサ詩集』や『リルケ オルフォイスへのソネット』などをいただいて親しくさせてもらっていました。亡くなったと聞いたときの驚きは今でも強く残っています。

 今号はその田口義弘さんの追悼特集です。
160頁余の3分の2近くを使って、多くの人が追悼文・追悼詩を寄せています。紹介した作品はその中の一篇です。「死ぬことは違う世界に行くことだ」という田口さんの言葉を軸に、作者の無念な気持が表現されている作品だと思います。田口詩の広さ深さは言うに及ばず、京大教授という肩書を感じさせないお人柄を懐かしく思い出しています。私も無念です。ご冥福を改めてお祈りいたします。



  鬼の会会報『鬼』370号
  oni_370    
 
 
 
 
2003.5.1
奈良県奈良市
鬼仙洞盧山・中村光行氏 発行
年会費8000円
 

    日本へ来た最初のワイン

    初めて来たワインは、ポルトガルのワイン
   です。一五四九年に、鹿児島に上陸した宣教
   師のフランシスコ・ザビエル。山口の城主大
   内義隆に会って、珍しい品々を献上いたしま
   すが、なかにワインがありました。宣教師に
   とってキリストの象徴であるワインは、最も
   必要かつ大切な飲物です。当時ポルトガルに
   は、すでに甘口と甘くないワインがありまし
   たが、どちらを賞味したかは分かりません。

 連載「鬼のしきたり
(59)」の中の一文です。1549(以後よく)伝わるキリスト教、と覚えたザビエルの訪日の陰にワインもあったんですね。さすがに中学校ではそこまで習いませんでした。ワインは私も大好きですが、今にして思うと、長い船旅の飲料水代りも務めたのかなと想像します。ワインなら腐りませんからね。もっとも、以前キャンピングカーを持っていたときに経験したことなのですが、動いている水は腐りません。船も常に揺られていますから腐らなかったかもしれませんね。とすると、やはり「キリストの象徴であるワインは、最も必要かつ大切な飲物」とだけ考えるべきでしょうか。




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