きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
】
|
|
|
|
|
「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.4.16(水)
会社で、あるプロジェクトチームが結成されたのが半年前。二つの分科会に分かれて検討を重ねてきました。どうやら二つとも結論が見えたというので、今日は合同の会議を持ちました。まだ机上の計算ですが、4年後の姿がはっきりとしました。総勢10名ほどの小さなチームですけど、今日をキックオフとしてがんばろう、ということで会議後は懇親会^_^;
懇親会には担当役員も見えて激励してくれました。その方はワイン好きで、私もそれを知っていましたから、ガンガンと注文しました。担当役員のお好きな、ちょっと高級な赤ワインです。明日も仕事ですので際限もなく呑むわけにはいきませんでしたけど、それでも10本ぐらいは頼んだかな? 私はおそらく1、2本で済んだはずです。変なワインは悪酔いしますけど、これは大丈夫。それにしてもワインの名前って覚えられませんね。味は覚えていますけど、今回もやはり名前を忘れてしまいました。今度はちゃんとメモっておこう、、、といつも思うのですが、呑むほうに忙しくてそんな暇はない^_^;
|
|
|
|
|
|
|
|
2003.3.20 |
東京都豊島区 |
中島 登氏 発行 |
500円 |
|
春・四角い空 中島 登
春一番が吹いている
公園通りの電話ボックスの上で
一羽の烏が跳ねている朝
ぼくは車の窓から四角い空を見上げる
ベランダで
白水仙がさわさわっと揺れている
目覚めの遅いきみは
ストッキングをはこうとしているところだ
もう孤独でいることはない
なにも怖れるものはない
マニケアを洗いおとし
サングラスを引き出しにおさめ
携帯電話を頸にぶらさげて
窓から飛び降りて街にでればいい
きみはいま燃えて絡まる電波の渦のなかにいる
ながれるしょっぱい歌のなかにいる
誰かの声が貝殻の
きみの耳たぶをくすぐっているだろう
車の窓から見上げる
ぼくの四角い空
「四角い空」という見方もおもしろいのですが、「誰かの声が貝殻の」というフレーズも「携帯電話」を掛けている状態が貝殻を耳に当てているように想像できて、こちらもおもしろいと思いました。「きみ」は「ストッキングをはこうとしている」「マニケアを洗いおとし」というのですから女性と考えて良いでしょうね。女性に対する視線のやさしさを感じた作品です。
|
|
|
|
|
|
|
|
2003.4.10 |
栃木県宇都宮市 |
ATORI詩社・高橋昭行氏
発行 |
非売品 |
|
うらぎり 神山暁美
咲いたままで散りたいのか
散ってからも咲きたいのか
雪道にほとりと泣いて
滴りおちる血のいろ
はなびらは
金糸の束をだいたまま
うつむきもせず空を視ている
潔い命の始末とひとは言う
古稀をすぎた男がひとり
くるりと返した掌から
こぼれて凍ることばひと群
真実をにぎりつぶした拳を
獣の皮のコートに潜めた
白いつばきの実の子は
紅にしか育たぬという
匂いたつ迷いももたず
鮮やかに親をうらぎる
香りなくとも椿の花は
花として春の支度に彩りそえる
かさね着の季節またひとつ終え
たしかな明日をまだ掴もうと
こころ捨てた男の指には
人としての温みすら もうない
「椿」と「男」を重ね合せた見事な作品だと思います。1連目から刺激的な言葉ですね。「咲いたままで散りたいのか/散ってからも咲きたいのか」。長く社長・会長を勤めて、今だに後進に道を譲らない某社の某会長に捧げたいフレーズです。もっとも、まだ「散って」いませんけど。「散ってからも咲きたい」んだろうなぁ。
第4連もいいですね。ここからタイトルを持ってきていますが、そこが巧いと思います。「鮮やかに親をうらぎ」ってきたかな? 子には裏切ってもらいたいものです。それが成長ですからね。
実在のモデルがいるかどうか知りませんが、鋭い観察眼と昇華させた言葉が美しい作品と言えましょう。
|
|
|
|
|
|
|
|
2003.4.8 |
東京都武蔵野市 |
きょうは詩人の会・鈴木ユリイカ氏
発行 |
500円 |
|
たいしたもの 福間明子
よその家へ招かれた時は
たいしたものは持っていかない
印象を深く残さないようにと
気配りは大事なことだけれども
たいした心がけは大切
まだ若い頃
たいしたものだと言われ
自分を見失っていった
余計なうぬぼれがくっついて
あげくに
まわりの人を失望させた
最近では
たいした事はない
手術で終わった病気
ここ数日の心労を思うと
たいした救われようで
破れかぶれにならなくて済んだが
時として
たいしたものが欲しくなる
虎の子をはたいても買えないもの
たいした出世
たいした美人
たいした夢でもいい
たいそうなことばかり考えて
救われない一日が終わる
「たいしたもの」のニュアンスがおもしろい作品です。特に第1連の「たいしたものは持っていかない」、第2連の「たいしたものだと言われ/自分を見失っていった」というフレーズがいいですね。続く「余計なうぬぼれがくっついて/あげくに/まわりの人を失望させた」というフレーズは身につまされます。「人を失望させた」数々をついつい思い出してしまいます。
最終連の最後の2行もアイロニーがあって良いと思います。そうなんです、「たいそうなことばかり考えて」いるんですが、結果はいつも「救われない一日が終わる」だけなんです。人生なんてそんなものさ、と思わず言ってみたくなりますね。
|
|
|
|
|
|
|
|
2003.2.28 |
群馬県前橋市 |
裳の会・曽根ヨシ氏 発行 |
450円 |
|
十二月の庭師 房内はるみ
落ち葉を焚くにおいに
バラの香が まざっている
だれもいない 十二月のバラ園に
風はピアニッシモになって ながれこむ
チャールストン、コレッタ、メアリー・ローズ、エリザベス
花の名をこぼしながら歩いた
なつかしい小径を めぐりながら
わたしはもとめる
幻のテチーヌ
燃えるような赤色につつまれた
希望にかがやいていた時代を
ひらく風
とじる風
みだれる風
風が うなじをしめつける
けれども わたしはもとめる
幻のゴールド・マリー
やわらかな黄色のなかの
信頼ということばでつながれていた日々のことを
咲きほこる時間からはなれていく一枚の花びらが
終(つい)のすがたとなって
そのくぼみに 夕ぐれをためている
死とは
美しく完成された生のすがたなのかもしれない
予約されていたのだ
すでに 春の日から
満たされた時間は
いつか かならず 消えていく
ひとは 生と死のあいだに
このような時の谷間を いくつかもつ
「十二月の庭師」とは「風」ことだと読み取りましたが、冷静な視線の中に美しさのあふれる作品だと思いました。「死とは/美しく完成された生のすがたなのかもしれない」、「ひとは 生と死のあいだに/このような時の谷間を いくつかもつ」などのフレーズは特にいいですね。生きていくということはそういうことなんだろうな、と思うと何やら少しは希望が持てそうです。
第2連の「花の名をこぼしながら歩いた」も魅力的なフレーズです。そうやって私も「なつかしい小径を めぐ」ってみたい。作者のしなやかな感性を感じる作品です。
(4月の部屋へ戻る)