きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.4.25()

 2003年度が始まって、部下の女性の一人と面接をしました。彼女は期間従業員という立場で、入社5年後は自動的に退職ということになっています。その退職の日が2ヵ月後に迫っているという状態での面接でしたから、実のところ私の方がちょっと弱気になっていました。

 私が今の職場に異動して7ヵ月。前任者の仕事とともに二人の女性も引継ぎました。そのうちの一人が彼女だったわけです。9ヵ月しか一緒に仕事をしないということは最初から判っていたことですが、その日が近付くと忸怩たるものがありますね。結局、この不況下、正社員の雇用調節弁として期間従業員・パート社員・派遣社員などの制度があるわけですから、私には複雑な思いがあるわけです。でも、それは一社員たる私としてはどうしようもないことです。出来ることといえば円満に退職してもらうことしかありません。残り2ヵ月をどうやって充実した仕事をしてもらえるか、本人にも納得できる退職のし方をしてもらえるか、話はそれに終始しました。

 結論としては、彼女も大人ですし、最初からの契約ですから納得してもらえたと思っています。でも辛いなア。仕事の上ではいろいろな欠点も見えますけど、基本的には前向きな人ですので、惜しい、という気持があります。でもでも、末端の管理者としてはどうしようもありません。次の就職の世話もできないし、陰ながら応援するしかありません。
 ちょっと気落ちした一日でした。



  個人詩誌『コトコト』41号
  kotokoto 41    
 
 
 
 
2003.4
名古屋市中川区
風致林舎・長谷賢一氏 発行
非売品
 

    鳥    長谷賢一

   いっしょうけんめいとんで
   とんで とんで
   羽根の筋肉プルプルしながら
   まぶたも乾ききって とんで
   耳も開きっぱなしで とんで

   ついに自分のとまり木を
   みつけられず
   おっこちて

   そこが舗装道路なら つぶれて
   そこが川なら おぼれて
   そこが土なら うめられて

   でもそこが あなたの手だったのなら
   冷たく固まった羽毛をやさしく温めてくれると
   僕たちは永遠に信じているのであって

 「いっしょうけんめい」働いて働いて、でも「おっこちて」。何やら私たちの生活そのものをうたっているように思います。そして「冷たく固まった羽毛をやさしく温めてくれると/僕たちは永遠に信じているのであ」りますけど、本当にそんなことなんてあるんだろうか? いやいや「あなた」は何人もいたはずです。それに気付かずに過してきただけなのかもしれませんね。できれば今度は私自身が「あなた」になる必要があるのかも…。そんなことを考えさせられた作品です。



  米川征氏詩集『降水確率』
  kosui kakuritsu    
 
 
 
 
2003.4.1
横浜市磯子区
矢立出版刊
1800円+税
 

    降水確率

   五○パーセントは
   半々ということ

   雨さ
   と一方は言っていた

   晴れるわ
   ともう一方は言っていた

   明日の花束が
   二人の横に並んでいた

   楽しみが悲しみに変わって
   役に立たなくなった花束を

   しょんぼり片づけていく
   人々の姿を

   たまらない気持ちで
   見たことがある

   晴れるわ
   と言う傍らで

   降水確率
   五○パーセント

   恐さのために一方は
   こともなげに言っていた

   雨さ

 詩集のタイトルポエムです。「恐さのために」「雨さ」と「こともなげに言」う心境は判りますね。そこには悪い方にとっておけば、という心構えがあるように感じます。一昔前なら何をやってもうまくいくという心理が日本人全体にあったのでしょうが、今はそんなふうに考えている人は少ないでしょう。不況のドン底の
2003年という時代が産み落とした作品と言ったら的を外しているでしょうか…。

 降水確率という人工的な、数学的な言葉の裏に著者の思想が滲んでいる作品とも言えましょう。詩集全体にもそれを感じます。スパッ、スパッと切り捨てていくのではなく、小さな現象も丹念に見ていく、そういう視線を持った詩集だと思いました。



  寺田弘氏編『独楽詩集X』2003
  koma shisyu 2003    
 
 
 
 
2003.4.22
千葉県船橋市
独楽の会・寺田弘氏 発行
2500円
 

    交信不能    寺田 弘

   随分遠くまで行ってしまったのだろう
   夢にさえ現われなくなった
   電話のべルが鳴っても
   いつもの声は甦ってこない
   留守電のなかにも
   「やあ」という彼の声がない。

   気力を失ったまま時だけが消えた
   ペンを持っても文字が現われてこない
   九○に近い抜け殻が
   冬籠りの地球にへばりついて寝込んでいる。

   自分を支えてくれた友が
   それも続けて三人もの仲間が
   音も立てずに天へ昇った
   失われた時の混沌
   遠い昔のようでもあり
   昨日のことのようでもあり。

   宇宙の塵となり
   星座のなかを浮遊しているだろう君等
   お互いの詩の交信はできているのか
   老衰の男が
   呼びかけようと必死にペンを構えても
   悼む憶いは
   文字にさえならない。

   交信不能
   だから詩が書けないのだ。

 
1998年9月に84歳で亡くなった大滝清雄さん、2001年1月に94歳で亡くなった相澤等さん、そして同じ2001年の9月に87歳で亡くなった上林猷夫さんの追悼詩集です。現在の日本の詩界を代表するような詩人たち55名が追悼文と追悼詩を寄せています。

 紹介した作品は3人の同人を一度に亡くした寺田さんのお気持がよく現れていると思いました。「
随分遠くまで行ってしまったのだろう」という最初の一行から胸を打たれました。亡くなったお三人は詩壇の重鎮でしたので、私などは遠くからお姿を拝見するだけでしたが、それでもお元気だったころの様子が今でも眼に浮かびます。改めてお三人のご冥福をお祈りいたします。



  詩誌1/213号
  1-2 13    
 
2003.5.1
東京都中央区
近野十志夫氏 発行
非売品
 

    英会話入門    近野十志夫

   
”GAME is OVER”
   大統領の言葉から戦争は始まった。
   
”THIS is the WAR”
   「どんな犠牲も私たちには、そして遺族にはつらいことだが
    犠牲は軽い」と、
   テレビスタジオで長官が語る。
   
”NO PROBLEM”
   「もし下に人がいたとしてもそれは悪いやつらだ」と、
   FA18戦闘攻撃機のパイロットは答える。
   もう一つ知っている。
   
”OH MY GOD!”

 今号は「イラク反戦詩抄」を急遽組んだ、とあとがきにありました。紹介した作品はその中の一篇です。英文はいずれも今回の戦争でキーになった言葉ですが、その解釈≠ヘ怖いものを感じますね。特に「犠牲は軽い」「それは悪いやつらだ」という発言には戦慄を覚えます。
 作品としてはタイトルが巧くいっていると思います。
21世紀の新しい「英会話」が戦争に直結していることが今世紀の特徴になるのかもしれません。



  詩誌『交野が原』54号
  katanogahara 54    
 
 
 
 
2003.5.1
大阪府交野市
金堀則夫氏 発行
非売品
 

    若いヤツらが    辻元佳史

   若いヤツらが ちゃらちゃらした格好しやがって
   という声を小耳に挟んだ そんなもんかなそういうもんかな
   玉砂利を踏む ちゃりちゃりと どこから持ち出してきたのか
   軍靴にゲートル 八十過ぎの老日本兵 襟の階級は軍曹らしく
   後ろには兵長とか伍長とか上等兵とかがレプリ力歩兵銃を抱えて
   しかしさすがに往年のようにはいかずもたもたしている
   あちこちに大礼服姿とか 陸軍防暑帽 海軍二種戦闘帽姿とかの群れ
   ウエワクの陣地にあったという八センチ高角砲や
   沖縄から持ってきた十五センチ榴弾砲のあたりにたむろして
   武装は解かじ夢にだも 社殿を拝した後は
   型通りに宮城を遥拝している
   そして三十代ぐらいの九八式偽軍刀をつった偽将校を軽蔑のまなざしで
   見送っている。そうさ 妙に将校姿のヤツは若いのに多い

   八月のヤスクニはとても楽しそうだな なんでもありゃしない
   若い衆がアニメのコスプレ つまり仮装に興ずるのとどこも違わず
   帰りにはペナントでも買って帰るさ ハトでもけっとばして
   茶店で月見そばでも食って まあ帰るさ
   俺? 俺はなんでもありゃしない悪いけど
   ただの傍観者 いつの時代にもなんにもしない駄目なヤツの一人

   【詩作メモ】以前、八月十五日に靖国神社に行ってみたことがありまして、そりゃもう
   はっきり言って冷やかしですね。不謹慎ですが。参拝するためじゃなくて、軍装コスプ
   レのひとたちが見たかっただけ。そしたらおもしろいこと。旧軍人はさすがに決まって
   いて、でもちょっと無理もあり、若い者は将校姿になりたがるが本当に単なる仮装行列
   状態。閣僚の皆様も、軍装して「コスプレしたくて来ました」って言えばいいのに。

 最初は作品の意味が判らなかったのですが
【詩作メモ】を拝見して、納得しました。ショックです。この歳になるまで「八月十五日に靖国神社」で「軍装コスプレ」をやっているなんてことは知りませんでした。靖国神社そのものにも行ったことがありませんでしたが、TVで報道している場面を見たこともないので、本当にショックです。「軍装コスプレ」の人たちの意図はやはり好戦≠ネのでしょうか。私の頭の中では靖国問題≠ェ急に現実味を帯びてきています。



  隔月刊詩誌『石の森』115号
  ishi no mori 115    
 
 
 
2003.5.1
大阪府交野市
金堀則夫氏 発行
非売品
 

    リアル操り人形    高石晴香

   朝起きてまず思うこと。
   行きたくない。
   それでもゆっくり布団を出る
   ため息を身にまとい。
   朝食を無理矢理喉に通して
   休む時の言いわけを考えたりする。
   少しだけの幸せを味わってみる
   今日の運勢をチェックして
   いい日になるように信じて家を出る
   寝ても寝ても眠気がおそう。
   電車に乗って
   このまま遠くへ行ってしまいたい。
   白衣に着がえてキャップをつけて
   ようやくがんばろうと思う。
   急患がないことを祈りながら
   病棟に入る
   女中のように扱われても
   文句はいえない。
   無理なことを当然のように言う人たち。
   自分のことしか頭にない
   机の前の二本線。
   振りまわされて
   雑用させられて
   一分、
   一時間が過ぎてゆく
   考えるのはやわらかな自分の寝床。
   定時をだいぶ過ぎて帰路につく。
   朝の占いの内容なんて忘れている。
   何してるんだろう
   止まらない自分への追求
   悲しい顔を写し電車は走る
   やっとたどりつく自分の居場所
   言葉少なくごはんを食べ
   菌を全て洗い落とすように
   風呂で体をみがく。
   投げだした布団の上
   時計を見て今まで以上に大きなため息
   あと五時間後
   私は今日と同じ日をたどる

 この作品はよく判りますね。本当に毎日「今日と同じ日をたどる」日々です。作者は看護師さんのようです。驚いたのは「菌を全て洗い落とすように/風呂で体をみがく」というフレーズです。この感覚は医療関係者には共通のものかもしれません。私も以前、医療関係ではありませんでしたが化学実験の一環として培養した細菌を扱ったことがあります。確かにそのときは「菌を全て洗い落とすように」風呂に入った覚えがあります。今はその仕事から離れていますので、久しぶりに当時の感覚を思い出してしまいました。




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