きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.4.30()

 4月も今日で終りですね、、、と5月26日に書いてます^_^; なかなか実際の日付に追いつけませんが、とりあえず1ヵ月以内に書いてますから、まあ、いいかぁ。
 4月最後の5冊を紹介しましょう。



  個人詩誌『愚羊・詩通信』6号
  guyo shitsushin 6    
 
 
 
 
2003.5.1
東京都葛飾区
森 徳治氏 発行
非売品
 

    ヒマラヤ2

   自転する地球の
   先端
   ヒマラヤの嶺の 岩塊よ
   屹立する孤独な山巓よ

   君は耐える
   びょうびょうと吹く雪嵐を
   岩を噛む
   その猛り狂った風
   鋭い雪の針を

   君は耐える
   凍りついた闇を
   みなぎる沈黙
   そのしじまを破る
   千切れた雲の叫びを

   君は耐える
   天空に反射する 氷河を
   山岳の斜面を埋める
   その苛酷な圧力
   凝固する白い喀血の重みを

   君は耐える
   巨岩の表に筋引く黒線を
   風に彫られた疵跡
   その折れて曲がる
   岩層の痛みを

   人間の小さな影が一つ
   巨大な岩塊の先端めざし
   少しづつ動いている
   微動だにしない
   天地の中

 今号は『詩集 登攀』というタイトルが付けられていました。紹介した作品は「ヒマラヤ1」という詩と対になるものです。最初の2行がイメージ鮮やかで惹きつけられました。「君は耐える」という繰返しも「ヒマラヤ」をそれぞれに表現していて、映像的だなと思いました。そんな過酷な「ヒマラヤ」に挑む「人間の小さな影が一つ」。最終連も見事だと思います。



  佐伯多美子氏詩集『果て』
  hate    
 
 
 
 
2003.4.10
東京都新宿区
思潮社刊
2200円+税
 

    果て

    ――――――まず、郵便局に行って全財産を下ろします。
          窓口で渡されると わたくしは帯封を切って一枚一枚数えはじめました。
          見かねた局員さんが 奥の空いている机でどうぞと言ってくれます。
          間違えてはいけない 落ちついて 一枚二枚三枚…八枚…十一枚…八十二枚…
          机いっぱいに並べます。

   *

   旅にでます。(宇宙に操られるように)
   果てまで 行きます。

     三島由紀夫に会ったのは文学座の稽古場でした。エンジのバックスキンの
     シャツを纏っていました。胸元のクロスさせている紐の内から肉体が垣間
     見えます。わたくしは身震いしました。三島由紀夫も己の美に溺れ死んだ
     のです。

   三島に行こう。伊豆の。(関連妄想がはじまっています)
   わたくしは 曼陀羅を捜していました。
   曼陀羅は 宇宙の 物体の 人間の 魂の 不思議さにあると思っていました。
   (絶対の)美で もあります。
   三島由紀夫の 死の次元で これもそうだと思っていました。
   人間の意志では 届かないもの。
   すでに わたくしも もう意志では動けませんでした。

   *

   操られるように 三島の町を歩きます。
   制服の少女の後をついて行くと古書店に辿り着きます。
   別の少女からは葬列の花輪の列の間を歩くことになります。
   (わたくしは少女らを知らないが 少女らはわたくしの深層まで知っている)
   通り過ぎる車からも信号は送られてきます。
   車のナンバー3341 ミミヨイ(耳よい)気づいていました。割れるような
    大気の音まで聞こえてくるのです。
   4419 シシイク(獅子行く)ジャガーではなくすでに獅子になっているの
   を知ります。
   さあ行け

   歩くうちに町を外れていきます。
   その日はバンガローに泊まったのです。
   風呂に入ると 呪文だか読経だかが沸き上がって建物を包み込みます。
   わたくしは楽しんでいました。もうその手には乗らない。
   注視の目が常にあって 行く先々に待ち受けている。
   孤独感は消え むしろ 有頂天です。

   *

   もう ずいぶん歩いた気がします。夜を三回越した気がします。
   夕べは夜を徹して峠を越えた。
   (うさぎの死骸を見た気がする。紙だったかもしれない。
   白いもの。)

   海です。
   二月の未明の海です。

   海岸に下りて 手袋を片方砂浜に埋めます。

 詩集のタイトルポエムです。「わたくし」は文学上の一人称として扱います。「わたくし」は他の作品によれば、この他にも様々な体験・行動をして、当時の精神衛生法により精神病院に措置入院させられることになります。7年弱をそこで過して退院したようです。

 辛い詩集でした。私自身も措置入院こそされなかったものの、家族に通院を勧められ2年ほど通った経験があります。当時は、詩らしきものを書いているんだから何でも経験してやろうと思って、むしろ積極的に通いましたが、今にして思うと、やはり異常な事態だったなと回想しています。直接の原因は仕事の重圧でしたが、弱いところがあったんでしょうね。

 ですから、「旅にでます。(宇宙に操られるように)/果てまで 行きます。」という最初のフレーズと「海岸に下りて 手袋を片方砂浜に埋めます。」という最後のフレーズが見事に頭の中でつながります。途中の連はいろいろ書いていますが、「わたくし」自身も最初と最後の連しか頭になかったのではないかと想像しています。途中の連は自分自身を納得させるためのものでしかない、と読むのは乱暴すぎるでしょうか…。

 詩集全体を通して、詩の怖さ、美の怖さを感じますけど、結局、それが救いでもあるし、そこを離れては生きていく価値のない人間になっているのだと思います、「わたくし」も私も。詩集を拝読して丸一日、他の本を読む気力も無くなって、
24時間後にもう一度読み返してみての、私なりの結論です。



  田川紀久雄氏詩集『音を聞きに出かける』
     
 
 
 
 
2003.5.20
東京都足立区
漉林書房刊
1500円+税
 

    

   馨の響きは何処からくるのだろうか
   河原に出かけて行き
   川の流れる音を聴く
   小鳥の囀りも聞こえてくる
   小犬をつれた子供たちの聲もしてくる
   胡桃の木の葉の揺れる
   さわさわとした音も聞える
   私もこれらの音に合わせて聲を発してみる
   そうこれらの音は
   母の体内でも聴いたこともあるような気がしてくる
   ドッッッド、 、、  ドッッッ、 ・・ツツーッ
   ググッッッグ 、 、 ・・・ 、  、
   、  ドッ  、   、、グッッ
   別に意味もない音のようだけれども
   生命にとって最も大切な
   音の   響き  でもある
   二月二十日
   その日に私は生まれた
   雪が降っていたかもしれない
   なにしろ雪国なのだから
   雪の音は
   その時 母は聴いていたのだろうか
   どのような気持ちで……
   戦争が雪の結晶の中にも
   混じり込んでいたのかもしれない
   母の下の弟が
   戦地に赴いたのはつい数日まえだった
   生まれた私はとても小さく
   一寸法師のようだねと言われた
   そんな私は
   体が弱く小学校まで生きてはいられないだろう
   と、
   心臓の壊れる音が
   いつも耳元で聞こえていた
   そのためにか
   いくつになっても言葉をうまく話すことが出来なかった
   瞽女さんが三味線を抱いて玄関に佇んでいる
   どれもこれも同じ旋律で歌い続けている
   三味線の強い撥の音が
   静寂な空間を突き破っていく
   ばあやが奥から米を持ってきて
   それを一人の女に手渡してやる
   お辞儀をして
    、 消えていく
   そんな記憶はとうの昔に忘れ去っていた
   それがある日夢の中で
   撥を叩く音がした
   脅えてはいけない
   さあ お前さんも
   わしらと一緒に旅をしなさんや
   あれは私が四十半ばを過ぎた時であった
   町の古道具やで三味線を見つけ
   弾けもしないのに
   ベベベベーン ベベ ・・・、  ン。
   と叩きながら自作詩を語ってみた
   初めて声を発した時のような気持ちであった
   あの日から私は音を探して旅にでた
   札幌で また盛岡や 仙台 そして名古屋、 弘前・・。
   河原から音が続いている
   風の音に誘われて・・・どこまでも

 「
音を聞きに出かける」という総タイトルにもとに1〜10の詩編が収められていました。そのうちの「1」を紹介してみました。ご存知の方も多いと思いますが、著者はくずれ三味線≠ニ称して三味線片手に朗読をしています。私はナマで聴いたことはないのですが、CDで聴いて、いい雰囲気だなと思ったものです。
 なぜ三味線なのかがこの作品から判ったような気がしました。実際に「瞽女さん」と接していたんですね。なぜ音に拘るのかも少し理解できた気でいます。「心臓の壊れる音が/いつも耳元で聞こえていた」からと受けとってよさそうです。

 著者はこの詩集の中でもいいかげんな朗読を嫌悪しています。私もいいかげんな朗読に走る方ですので辛いのですが、著者の真剣さは理解できます。自分のことはさて置いて、聴いていて恥かしくなる朗読≠ェ多いですからね。そんなこともこの詩集では述べられていますから、朗読を多少でもやってみようと思っている人には必見です。



  隔月刊詩と評論誌『漉林』113号
  rokurin 113    
 
 
 
 
2003.6.1
東京都足立区
漉林書房・田川紀久雄氏 発行
800円+税
 

    儀装帆船の夜    池山吉彬

   いらだちや疲れをコートにくるんで
   狭い階段を幾度も駆け降りた
   うす暗い酒場
   その紫紅色の壁に掛けられていた
   一枚の帆船の絵

   冬の林の細い小枝に
   さかさにぶらさがって震えていた
   一羽のエナガ

   急がなければならない
   急いで 記録しなければならない
   果てのない旅へと 船が出航する前に
   小鳥が夜の寒さに 凍りつく前に

   夜明けの夢の
   おぼろの闇に浮かんでは消える
   なベての 微かなものを
   石に刻まねばならない

   扉はいつも前触れもなく叩かれ
   世界はいつもこなごなに砕かれる

   急いで
   なにかが叫びながら墜ちてくる前に

 この緊迫感は何だろうな、と思いました。「なにかが叫びながら墜ちてくる前に」と云っているのですから、大きくは「世界」体制の崩壊、小さくは個人の崩壊の喩なのかもしれません。鍵はタイトルにあるのかもしれません。「儀装帆船」とは、儀式用に展帆した帆船のことではないかと思います。何のための儀式か? しかもそれは「一枚の帆船の絵」である。

 作者の意図を正確に掴むのは難しいのですが、読者は読者として楽しめば良いと思っています。「世界はいつもこなごなに砕かれる」と作品では描かれていますが、私は矮小化して己の崩壊を念頭に置いて鑑賞しました。



  詩誌『掌』126号
  te 126    
 
 
 
 
2003.5.1
横浜市青葉区
掌詩人グループ・志崎 純氏 発行
非売品
 

    萌える期に    福原恒雄

    
衝動

   出札口の近くで拾った切符が有効当日限りであったばっか
   りに、葬儀用の足が30度傾いて、ひと混みをくぐり階段
   を不揃いに刻んで郊外地へ走る発車間際の電車に飛び乗っ
   てしまう。
   荒い息ではそれ以止の動機は浮かばない。

   沿線のマンション群をこする吊り革の軋みに、傾いている
   しごとを傾いていない思い込みで、ほんとは壊れていたし
   ごとから、さいごまで片手が離さなかった鞄の中の書類が
   風になったとか。

   開かないつくりの窓に、レールがいくつカーブを描いて揺
   すろうと、五十代男性の十万人当たり67・4の自殺率(二
   
000)は飛び込んではこないが、座席の顔たちに縺れる光
   彩を涙じりながら記憶を拾って眩しく痛む座骨が萌える。

   ことばがいない明るさに充ちて。

   かりっと揺らいだとは思いたくない。林檎の甘酸っぱい水
   分をのみこんでいた部屋で、――またも中年男性が……と
   新聞の小さな見出しで見たあいつが、友であったから、季
   節がわからなくなっていたあいつの理由を、窓外でそよそ
   よと揺らいでいるにちがいない風の色に、耳がわがままに
   逃げる。

   何回裏返しても後退りする記憶に昼の車も道も会社の服装
   も、陳列標本にならない。拾った切符に見つめられる。吊
   り革が熱く。喉でころした呻きが舌の先に溶けて。

    
眺望

   身の置き所が背伸びすると乗客が急速に消える路線だ。襟
   元がやっとやわらかくなってきて、下車する。両方向式一
   本のプラットホームの中央に小屋に似た駅舎。時計は夕刻
   だ。日差しにまだ黄味がある。

   一度は取り出した小銭入れの蓋を鳴らして閉めた。制服の
   駅員はうごかない。誰彼なく声をかけたくて。

   ひとの影が広がる畑にぽつん。ぼんやりの声がふるいやし
   き森にことんと隠れる。空に吸い込まれても、暮らしが潰
   れていても、深刻を隠して洩れてくるなつかしいロックン
   ロールは薄いが、記憶が追いかける部屋の、壁に打ちつけ
   撥ねてのたうち傷口開いた叫びの熱狂は、構えていたよう
   な隠れていたようなジェット機の飛来が攫う間のいい風景
   でしかないが。

   遠い時間に飽いてプラットホームの敷石の隙間のたくまし
   いアメリカタンポポをポイントに、拾った当日限りをさり
   げない指先で落とす。
   在籍不明の、ひらり。そしてのんびりを装って待合室へ。

   時刻表はもっとのんびりと時刻を並べて。やがて鈍いカー
   ブを描く軌道の到着が、壊れた記憶を踏みつけて、萌える
   視界をじゃまする礼装の木を追い立てる。

 福原恒雄詩の世界としては比較的判り易い作品ではないかと思います。ちょっと長かったので「衝動」か「眺望」のどちらかの紹介にしようとおもったのですが、さすがにそれは無理でした。「
萌える期に」という総タイトルのもとに二つを並べないと作品になりませんね。

 鍵は「衝動」の第2連だと思います。ここからこの詩が開始されていると考えて良いでしょう。「傾いているしごとを傾いていない思い込みで、ほんとは壊れていたしごとから、さいごまで片手が離さなかった」男の光景と採ってよいのではないでしょうか。福原恒雄という詩人が今、何を考えているか、それが手にとるように判る、と云ったら言い過ぎでしょうか。
 今回は細かい解説≠ヘ加えません。HPをご覧の皆さんがどのように鑑賞するか楽しみです。




   back(4月の部屋へ戻る)

   
home