きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.5.7()

 来週に控えている品質検討会の下打合せをしました。大きな問題点はなく、何とか乗り越えられそうです。でも、実はそれが問題。現状の段階では問題がないということだけですからね。それは守りの態勢です。こういう安定している時期にこそ攻めの発想を求められました。のんびりしているな、という訳です。かくて仕事に終りはなく、いつまで経っても減らないという図式が成立つことになります^_^;



  詩誌『青い階段』71号
  aoi kaidan 71    
 
 
 
 
2003.4.20
横浜市西区
浅野章子氏 発行
500円
 

    二月    廣野弘子

   二月の薄い日射しの街を
   持久走の生徒が駈けてくる
   着膨れて
   道の端によけた私のかたわらを
   体操着からのぞく素足が
   紅潮した頬が
   白い息を切らせて過ぎてゆく

   「もう少しだ がんばろう――」
   先頭を走る教師のかけ声にあおられ
   その声が風に流れてしまっても
   追いつけず 遅れてゆく 数人の子供たち
   走るのが苦手なのだろう 涙を浮かべた姿もある
   もう少し往けば 校内が見える
   校庭を一周したら 辛さから解放される
   充足にはほど遠いゴールを想像して胸が痛い

   がんばれ――声をかけることは他易いけれど
   人はときどき
   励まされることにも疲れる
   と気付いて 私自身は
   もう少しがんばって どこへ往くのだろう
   もうだいぶ がんばって来たけれど
   私はどこへ住けばいいのだろうと
   太陽のない 二月の空を見上げている

 私も「もうだいぶ がんばって来たけれど/私はどこへ住けばいいのだろうと」思いますね。もっとゆっくりと生活しようではありませんか、と声を掛けたい気にもなります。でも、まだ現役だから許されないんだろうなぁ。早く定年を迎えたいものです。
 タイトルがそんな心境によく合っていると思いました。最終行の「
太陽のない」という言葉も生きていると思った作品です。



  隔月刊詩誌サロン・デ・ポエート243号
  salon_de_poetes_243    
 
 
 
 
2003.4.28
名古屋市名東区
滝澤和枝氏 発行
300円
 

    パントマイム    滝澤和枝

   背広姿の男
   通勤の群れに逆らって歩く
   ボストンバッグをひとつ
   うつむきかげん
   空き地に入る
   ボストンバッグを置く
   いきなり ズボンを脱ぐ
   紺のズボンをひっぱり出してはく
   背広の上着を脱ぐ
   紺の上着をひっぱり出して着る
   白い手袋を出してはめる
   黄色のへルメットを出して被る
   背広をボストンバッグに押し込み
   しゃがんでチャックを引く

   制服姿の男
   道路に大きく立ちはだかる
   黄色いへルメットと白い手袋が
   巨大なブルドーザーを招き入れる
   通勤の群れ 車 信号機も無視して

 「空き地に入」った「背広姿の男」が「いきなり ズボンを脱」いだので驚いたという作品ですが、その男に興味を覚えますね。なぜ「背広姿」なんだろう? いきなり「制服」で現場に来てもよさそうなのに…。「ボストンバッグ」を使っているから年配の男かもしれないな。職場に着くまでは背広という生活を長い間やっていたのだろうか? それとも家族には「制服」の仕事を隠しているから背広で家を出る? それにしても「通勤の群れ 車 信号機も無視して」「巨大なブルドーザーを招き入れる」とは手慣れたものだな…。

 実際はどうなのかは判りませんが、そんな想像が出来る作品だと思います。タイトルの「パントマイム」は着替えと誘導の両方に掛かっているとも思いました。



  個人詩誌COAL SACK45号
  coal_sack_45    
 
 
 
 
2003.5.5
千葉県柏市
コールサック社・鈴木比佐雄氏 発行
500円
 

    不平等    山内 龍

   百足はこの星を思う存分走り回りたかった

   人間の五十倍
   四足動物の二十五倍も足をもっているのだから
   走りくらんぼなら一等賞を取る筈なのに…
   (と ここまで考えてフと首を傾げようとしたが)
   ハテ 我等にとって傾げる首はどの部分だろうか…と迷い
   ま 生きているだけでいいじやないか…と締観するのは情けな
    い やはり
   生きている眼りは繰り返し「平等の原則のスタート地点」に立
    つベきだ
   というもののなぜ俺はこんなに遅いんだ?
   と
   どこだか分らない首を傾げた

   それから夜行列車の隅っこに無賃乗
(ただのり)して
   謎を解くベくこの国の首都とやらに出てきたが
   おやおやおや予想を遥かに上回る人間達が
   我等の何万倍かの速さで交差している

   今に見てろ
   と 百足は思った
   神々の
78%は善を宗旨としている…と言われているから
   仲間と結集して今年中に〈足の歩数単位平等の原則〉を制定さ
    せてみせる
   と力んでみたけど丁度そのとき
   隣りを歩いていた同族の若者が人間の分厚い靴底に踏まれて憤
    死したのを見てつい
この野郎!と怒鳴ったが
   人間達の耳に届いたのかどうかどこ吹く風で後から後から列は
    尽きることなく
   とうとう走り出たおれも靴底の一つに踏まれて憤死したかどう
    かは
   それっきり記憶がとぎれたままなので定かでない

 「不平等」とは何かと考えさせられる作品だと思います。足が100本あることと2本であることの差異を認めずに平等を論じることはできない、言っているのでしょうか。差異は差異として認めて、さあ、そこから平等とは何かを考えよう、ということなんでしょうが、なかなか難しいですね。「夜行列車の隅っこに」乗って田舎から出てきた少年が、すぐに都会の少年と同じ平等になれるか? その論の裏には都会に合わせることがすなわち平等だという意識があるわけで、そこから考えないとおかしなことになると思います。

 都会の繁栄が進歩であり、田舎の自然は遅れたものだとする発想がある限り、その土俵での平等なんかあり得ない。田舎の自然は人間の住む理想であり、都会のコンクリートの部屋は監獄と同じであるとすると、それは単純な裏返しの発想でしかない。作品からは違う次元での考え方が求められているように思います。



  鈴木比佐雄氏編『鳴海英吉追悼詩文集』
  narumi_eikichi    
 
 
 
 
2003.4.5
千葉県柏市
鳴海英吉全詩集刊行会事務局・鈴木比佐雄氏 発行
500円
 

    草深(そうふけ)    鈴木比佐雄

   入院中の敬愛する詩人を見舞うために
   週末には、国道16号線を左折し国道464号線を車で走る
   草深
(そうふけ)という地名の交差点を過ぎる
   きっとどこよりも草深い場所だったろう
   奇妙なのは国道がひたすら直線であること
   脇には巨大な運河のような河底が掘り下げられている
   しかも草でおおわれた底の一部に電車が走っている
   それは千葉の北総台地を切り裂き
   東京と成田を結ぶために はば数百メートル
   深さ数十メートルで十数キロにわたる土が掘り出され
   東京湾の埋め立てに使われたのは この場所だったのか
   草深い沿線は千葉ニュータウンと名付けられた
   あまたのトラックが海へ土を運んだのだろう
   台地を削りとり、電車を走らせ、未来の街を出現させた
   そして三十年が過ぎ 二十一世紀目前のいま
   三十四万人が住むはずの街は七万七千人しか住んでいない
   沿線は草の中に団地が点在している淋しい光景だ
   目をしばたたかすと いつ草が団地を呑み込むかも知れぬ
   草深を過ぎると竜腹寺という地名の交差点がある
   昔、日照りの時に竜が天に昇って雨乞いをした けれど
   雷に引き裂かれ地上に落ちた竜の腹に因んだ寺だという
   国道464号線は宗吾街道につながり
   詩人が暮らしている酒々井町に辿り着く 直訴処刑された
   宗吾を紀った神社近く詩人の家は主が不在で困惑している
   玄関先にはハーブや野草の花々に囲まれ
   入り口には大きな縄文土器があり、
   あまたの歴史書と詩集が家中にあふれた家だ
   それらの中で数えきれないほど酒杯を傾け
   詩や詩人の貴重な話を聞き、そして語りあった
   入院中の詩人は、かつて憲兵から拷問を受け
   中国戦線に送られ、敗戦後シベリヤに抑留された
   戦後は、中国やシベリヤで死んだ戦友、生き残った戦友
   他国の兵士や民衆の人間の本当の姿を詩に書いた
   また江戸時代に弾圧された日蓮宗不受不施派の研究もした
   日本のピューリタンと言われる不受不施派の純粋な信仰
   拷問刑にも屈っせず草のように生きた人々を掘り起こした
   詩人はニュータウンが開発される頃から
   バイクにまたがり旧家が捨て焚き付けにされる直前の古文書や
   仏像がわりの経文が書かれている掛け軸を探し回った
   歴史認識を研ぎ澄ませ 一労働者として詩を書き続けた人
   私の個人詩誌の創刊号から36号まで欠かさず寄稿してくれた
   誰よりも支援者であり同土であり豊かな詩の魂を教えてくれた
   鳴海英吉さん あなたは言葉が喋れなくなっても
   あなたの存在自体が沈黙の言葉となって私に語りかけてくる
   今も草深い町の病院のベッドからあなたの眼差しが光っている
               (「詩と思想」二○○○年八月号)

 今年の4月5日に開催された「『鳴海英吉全詩集』刊行を祝う会」で配布された本です。私も誘われていたのですが、日本詩人クラブの現代詩研究会と重なっていて行けませんでした。会の様子は前出COAL SACK45号にも詳しく載っていましたし、本書によりだいたいの様子を覗い知ることができました。

 本書は、紹介した作品のように過去に発表された鳴海英吉さんへの追悼詩、追悼文などをまとめたものです。祝う会の参考書としては最適なものになっただろうと想像しています。改めて鳴海英吉さんのご冥福をお祈りいたします。





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