きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.5.8()

 関連会社との定例会のため都内に出張しました。その会社との定例会も5回ほどになって、最初は山ほどあった議題が半分ほどに減りました。私の担当する分野も10件を下るようになり、やれやれです。会議というものは新たな仕事を作り出してしまうものなんですが、ここに来てそれも無くなって、少しは落ち着いた議論が出来るようになりました。今後はお互いの会社が共に利益を増やすこと、その上でお客さんに喜んでもらえる商品をどう開発していくか、そんな議題になりそうです。守りではなく、攻めの仕事をしたいものだと思いますね。



  詩誌『南方手帖』73号
  nanpou_techo_73    
 
 
 
 
2003.5.10
高知県吾川郡伊野町
南方荘・坂本 稔氏 発行
800円
 

    水門    平井廣惠

   春の夕暮れは 香しい喪失感が匂う

   手で開くだろうか この水門
   流れは澱んで 風にも波立たない
   この水では死ねない
   堤防の向こうには
   夕日を背にした巨人のような ガソリンスタンドのセルフの看板
   今時知らない誰かとネットで集まって死ぬ人達がいるけれど
   いのちはセルフ
   でもタイマー付じゃない

   ぺっしゃんこの子宮
   がらくただらけの地球
   とぎれがちな呼吸
   そしてみんな消えて行く そのほんの少し前のいま

   川ベりの木の上ではゴイサギが羽を閉じ
   足元のオオイヌノフグリは今日の分だけの夢を萎め
   静かに星を待つ

   ここで死んではいけませんという看板は だから要らない

 「ここで死んではいけませんという看板は」必要ないほどの「水門」なんでしょう。でもいずれ「みんな消えて行く」。今は「そのほんの少し前」であるという認識は、例えば「今時知らない誰かとネットで集まって死ぬ人達がいる」ことで作者は感じているのかもしれません。少し前にインターネットでレイプ仲間を集めた事件があり、驚いたり、そんなことに使うなと嘆いたりしましたが、今は集団自殺の道具にまでなってしまったんですね。
 そんな思いを第1連でも第3連でも感じます。現代を冷静に見ている作者を感じた作品でした。



  詩誌『地平線』33号
  chiheisen_33    
 
 
 
 
2002.12.1
東京都足立区
銀嶺舎・丸山勝久氏 発行
600円
 

    最期の場所    飯島幸子

   青木ヶ原のバス停近くで
   うつむき加減に行ったり来たりしていた男性は
   最終バスに乗らなかった
   保護された その男は
   青木ヶ原へ向かったが
   樹海をさ迷った挙句
   道路に戻って来たのだ
    あそこは 地獄です
   野大が群がり
   遺品や衣服の切れ端が散乱している様を見て
   覚倍してきた死に場所が 余りにも悲惨なので
   恐れを抱いたのだろう
   連絡を受けた家族が迎えに来た
    もう一度 死んだつもりで頑張ります

   芥川龍之介 太宰 冶 藤村 操 透谷が 死んで
   一面的にみて 自殺を美化してしまうのは
   中学生の頃だった
   歳を重ねるごとに 現実のさまざのな死を見せつけられる

   人は 死ぬ時間と場所は選ベない
   生まれたときも 死ぬときも 人の手で扱われる
   亡骸になるとはいえ
   息を引き取るのは
   せめて風と光がある 乾いた場所がいい

 「人は 死ぬ時間と場所は選ベない」というのはその通りだなと思います。たとえ自殺だとしても、思った通りになるかどうか…。「保護された その男」などはまさにその例だと言えましょう。「生まれたときも 死ぬときも 人の手で扱われる」しかない命ですから、なるべく他人の手を煩わせずに生きてみたいものです。「息を引き取るのは/せめて風と光がある 乾いた場所がいい」という思いも同感ですね。今は畳の上で死ぬことすら難しい時代ですが、病院でいいからせめて窓際の燦燦と陽の当る場所で、というのが私にとっても「最期の場所」への希望です。



  詩と散文誌『多島海』3号
  tatoukai 3    
 
 
 
2003.4.30
神戸市北区
江口 節氏 発行
非売品
 

    俵津    森原直子

   墨絵のような
   春の日だった

   〈振り返る〉という行為は
   〈なに〉を発見させたか

   抉られたリアス式海岸線を
   深く西へたどる

   のたうつ大魚の尻尾辺り
   峠道を上りつめると
   満開の桜越しに
   眼下の集落は
   押しつぶされたモザイク画
   家並は
   いびつに霞む

   男は言った
   (父が生まれた村です)

   愛した男である

   海からつりあげる日々の糧は
   二の腕になり
   張り詰めた胸筋になった

   漁夫にはならなかった男である

   入り江から吹き上がる風は
   ひと刷毛ごとに
   夕闇を濃くし
   道は
   曲がるたびに
   闇を吐いた

   背後に絡まる海の気配
   花びらの擦れあう音
   異界まではとおい

   トンネルを抜け〈振り返る〉
   痛みが走る
   切り落とした
   しっぽのあたり
   私の

 「私の」「切り落とした/しっぽのあたり」に「痛みが走る」のは、過去形の「愛した男である」に繋がっていると思います。もちろん事実かどうかは関係ありません。作品しての読みです。そんな男の「父が生まれた村」の描写が素晴らしいですね。私の記憶では作者は絵画にも造詣が深かったと思います。そんなことも関係しているのかもしれませんが、例えば第9連の「入り江から吹き上がる風は/ひと刷毛ごとに/夕闇を濃くし/道は/曲がるたびに/闇を吐いた」などはとうてい私には書けないものです。

 「俵津」という地名、「異界まではとおい」などのフレーズ、隙のない言葉の選び方の中に「愛した男」への哀切を感じさせる好作品だと思いました。



  保高一夫氏詩集『じゃんけんぽん』
  jyankenpon    
 
 
 
現代日本詩人新書
2003.5.30
東京都文京区
近代文芸社刊
1500円
 

    ビー玉

   ビー玉が転がる
   ビー玉とビー玉が弾ける
   気分爽快 ヤッター

   チョークで始点と境界線を定め
   境界線の手前に島を描きます
   島にはいくつかのビー玉を拠出し
   それぞれ工夫を凝らした自分のビー玉で
   島のビー玉を外に弾き飛ばし
   勝負を争います

   敵の親玉を殺すこともできますが
   勢い余って境界線を越すと
   その場でゲームに参加できなくなります
   そのかねあいがなかなか難しい
   勢いがないと敵に殺されるところに転がってしまうし
   島にあるビー玉を弾き飛ばすこともできない

   強い奴がいるもので
   バケツ一杯ビー玉をせしめて
   得意そうににたにた笑っている
   どうやったら奴を倒せるか
   何度も夢にまでみたが
   その後何度も奴に挑戦したが勝つことはなかった

   ビー玉が一つ
   今も机の中にある

 私たちが子供の頃の遊びがいっぱい詰まった詩集です。全部で22の遊びが載っていました。懐かしかったですね。「空気銃」も含めて、私も全てやった記憶があります。いわきの田舎にいた頃は母艦水雷≠ニいうとんでもない遊びがありましたけど、それは載っていませんでした。田舎と都会の遊びの差なのかもしれません。

 紹介した作品は冒頭のものです。最終連に著者の現在が現れているように思えて、ほほえましくなりました。遊びをせんとや生れけむ、です。でも注意して見ると「その後何度も奴に挑戦したが勝つことはなかった」というフレーズもあります。そうやって私たちは勝ち目のない人生を過してきたのかもしれません。ちょっと考えさせられた詩集でした。





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