きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.5.15(木)
競合他社品の性能を調べるように指示を出し、その結果が出てきました。思った通り、同じような性能を謳いながらも弊社品の方が優れていました。
まあ、それはそれで一安心なんですが、つい、競合会社の技術者のことを考えてしまいました。向うも同じように弊社品を調べて、勝ったの負けたのってやっているんだろうな。世の中には名前を出さない者同士が同じような商品を前にして相手を思い描く、そんな構図がフッと浮かんで可笑しくなりましたね。
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2003.4.25 |
東京都世田谷区 |
飛天詩社刊 |
2000円 |
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どういう経緯で
迎えにゆくと
嬉しそうに出迎えた母は
二つ泊まるのねと
大きなボストンバックとお米のビニール袋を一つ持ってきた
どこかおかしいけれど見た目は普通
まあいいか
ロビーで飲むジュウスもおいしそうで
部屋にはいると細々とお茶を入れてくれる
おぼつかない足許を気遣いながら
大浴場に連れてゆくと
こんなに大きなお風呂は久しぶり
また連れてきてね とかわいい
湯上りに着替えをと
母の荷物を開けると
ぎっしりとパンツが十六枚
どうしたんだろうと二人で笑いこけて
夜 幾度か起きていたが知らぬふりして
朝 おはようと声をかけると
きちんと布団の上に正座して
母は言った
どういう経緯で
あなた様と一晩ご一緒させていただくことになったのでしょうか
著者、7年ぶりの第2詩集です。前詩集『地球と平行なのが好きだ』は瑞々しい感覚の詩集という記憶がありましたが、今詩集ではその感覚に加えて肉親の変化などを捉えた、いわば地に足が着いたとでも云いましょうか、人間として避けることができない問題に真正面から向っているという印象を受けました。
紹介した作品はその典型のように思います。痴呆が始まった母上に接したときの驚きが、何気なく軽く書かれているように見えますけれど、内心には恐怖のようなものがあったろうと想像できます。事実を淡々と述べているだけに、読者には余計にその哀しみが伝わってきます。
第1詩集からの7年間で、いかに多くのものを得たか、それを感じ取れる詩集だと思いました。
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2003.5.15 |
大阪府堺市 |
横田英子氏 発行 |
500円 |
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不思議・織りなす 鈴木民子
あきらめてはいけない あきらめが肝心である
忘れてはならない 忘却は救いである
話し合おう 話し合ってもどうにもならないこともある
言葉は神である 沈黙も神である
科学は便利な暮しをもたらした 便利な暮しは
豊かな自然と豊かな心を後退させた
医学は長生きをもたらした 長生きが幸わせとは限らない
原始から現代へ 人類は進歩していると思っていた が ユートピアは
もしかして 原始の方へあるのかも?
貧乏すれば心が渇き 金持ちになれば心が腐る
天使の中に悪魔が住み 悪魔の側に天使は宿る
天国のようだった 地獄のようだった
不思議 織りなす人生
考えてみれば、この作品が指摘するように反語に満ちた世界ですね。渡る世間に鬼はなし−他人(ひと)を見たら泥棒と思え≠ニいうのが子供の頃から感じていた私の処世訓です。もっとも渡る世間は鬼ばかり≠ニいうTVドラマもあったようですから、これは反故かもしれません。
「不思議・織りなす」を読んでいて、結局はバランスなのかなと思いました。現象は良くも悪くも取ることができるけど、その両方ともたぶん真実だろうし、その中でどうやってバランスをとるか、そんなことが問われているのだろうなと思います。それは中庸・中道とはちょっと違う。ある面では非常に偏っていて良くて、別のある面では逆の方に偏っていて、それで一個の人間としては何となくバランスがとれている、そんなふうになりたいものだと思いました。本当に生きるということは「不思議 織りなす人生」なんでしょうね。
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2003.6.1 |
奈良県奈良市 |
鬼仙洞盧山・中村光行氏 発行 |
年会費8000円 |
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おしるこに塩
おしるこなどの甘いものを作るときは、ほ
んの少しの塩をいれます。すると甘みが強く
なると申しますが、これは感覚上の対比現象
です。二つの違った刺激があると、一方が弱
い場合、強い方をより強く感じます。ただ、
塩の量は、ほんの少しでないと失敗してしま
い、ちょっとの刺激が甘みを強く感じさせる
のです。サシミのツマに淡泊なものが用いら
れるのも、この対比現象を利用しています。
連載「鬼のしきたり(60)」の中の一文です。「おしるこに塩」は知っていましたが「対比現象」だとは知りませんでした。言われてみるとなるほどと納得できる話です。応用例として「サシミのツマ」があげられていますが、もっとたくさんありそうです。何気ない生活の知恵にはちゃんとした裏付けがあるという好例でしょうか、勉強になりました。
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2003.5.15 |
千葉県香取郡東庄町 |
「吠」の会・山口惣司氏 発行 |
700円 |
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路傍の立木 秋田高敏
昨晩はあまり眠っていないのだろう
右腕に食い込むほどの重さで
頭部が肩がもたれかかっている
隣席に座るとき
本を読んでいた私は
その女性を見向きもしなかった
気にかけることでもなかったのだ
今になっていやに気にかかる
二十歳前後なのでは
右側を向こうとすると
髪の毛が頬にくっつく
身体を涙ると女性の体全体が
胸元に落ち込んできそうで
否応なく窮屈な姿勢で
読書を続けるしかない
幾つかの駅を通りすぎ
幾つかの町並みを窓外に映し
前席の客は幾人かずつ代わった
この女性は夢を見るのも忘れ
ただひたすら
安心しきって眠っているようだ
大衆の目を味方に
信用できない他人のしかも男の体でも
路傍の立木にもたれ掛かるように
深く深く眠っていられるのだ
私は路傍の立木にされてしまった
後何分(なんぷん)か経ったら
用事のある町に降り立つのだが
これは誰もが経験することかもしれません。最近では下手をするとセクハラであらぬ疑いでもかけられかねないので、若い女性の側には立たぬようにしていますけど、座って来られたのでは避けようもありませんね。
「大衆の目を味方に」「路傍の立木にもたれ掛かるように」という視点がおもしろいと思いました。その女性がどんなふうに考えていたのかは判りませんが、そういう意識だったろうという作者の思いには納得できるものがあります。何気ない車内風景ですが、一枚皮をめくると時代が潜んでいる、そんな作品だと思いました。
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