きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.5.16()

 関連会社との定例会が東京本社であり、午後から出かけてきました。その会社は技術力もあり、担当者も信頼できる人物ばかりですので、実は密かに楽しみにしている定例会なのです。会議はちょっと長引いて、3時間の予定が4時間になってしまいましたが、そんな気持ちが働いているせいか、まったく苦になりませんでしたね。予定されていた議題に次々と結論が出てくると、何やら、仕事をしたなという気になってきます^_^; いつもそういう会議ばかりだとストレスもなくて良いんですけどね。



  齋藤氏著『生理的抒情試論』
  seiriteki jyohyoshiron    
 
 
 
[新]詩論・エッセー文庫2
2003.5.15
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
1400円
 

 1990年〜1996年を中心に、講演したものを加筆修正したり、雑誌に発表したものを再録した詩論集です。時間の観念の再構築、生物としての人間・詩人の見方などが新しいと思いました。中でも1996年に日野市百草図書館で講演なさった、本著のタイトルともなった「生理的抒情試論」は斬新です。その中の「量的時間と質的時間」は頁数こそ少ないものの、示唆するものは大きいと言えましょう。

 「量的時間」は通常私たちが考えている時間時間ですから、すぐに理解できると思いますが、問題は「質的時間」という概念です。子供の頃の1年と大人になってからの1年はなぜ違うか。それを次のように説明しています。

---------------------------------------------------------------------

 これに対して[質的時間]とは何であるか。これは子供の頃の一年間と、大人に成ってからの一年間を比較すると良く分かることである。子供の頃は正月が来て、節分が来て、新学期になり、桜が咲いてと、新しい経験や、新しい人生の発見に溢れている。一年は限りなく長く、やらねばならないことに溢れている。これに対して、大人に成ると、一年が、一年ごとに短くなってくる。生活に追われ、仕事に追われていると、それこそ「アッ」という間に年をとってしまう。この現象は子供時代には新しい発見や経験が多く、大人に成ると、毎日が同じ事の繰り返しで、新しい発見や経験が乏しくなるからで、同じ六十年を生きても、新しい発見や経験が多い人ほど、振り返ってみたときの一生は長くなるわけである。このことは「質的時間」の本質が「記憶」であるということの証拠でもある。

---------------------------------------------------------------------

 「経験」とそれにつながる「記憶」が一生の長さを決めていると解釈しても良さそうです。この感覚は納得できますね。だから無駄に時間を使えない、というところに結びつくのかもしれません。
 そういうおもしろい話が詰まった詩論(著者は試論としています)≠ナす。これから詩を書いてみようと思っている人はもちろん、長く詩を書いてきた人も一度立ち止まって読んで見る価値のある本です。お薦めします。



  そのあいか氏詩集なにげにちやあるすとん
  nanigeni    
 
 
 
 
2003.5.5
栃木県宇都宮市
橋の会 発行
2000円
 

    わかる

   いろんな事がわかってくると
   ひとは
   言葉をはじき出して
   寡黙になる

   いろんな事がわかってくると
   ステップは
   ぜい肉を落として
   透明になる

   僧々しい
   頭でっかちが
   ただのひとになる

 著者はタップダンスもやっている方のようです。それが詩集のタイトルにも、紹介した作品の「ステップ」という言葉にも表れています。「なにげに」という今風の言葉がタイトルにも「つゆくさ」という作品にも使われていて、浮ついた感じを与えていますが、そうでないことをこの作品からも感じとってもらえると思います。「ただのひとになる」ためには「いろんな事がわかってくる」必要があるとうたっているわけで、ここに至るまでの経緯は詩集全体を読んで初めて判ります。

 詩集全体は紹介しきれませんから、この「わかる」に限定しますけど、なかなか含蓄のある詩だと思います。「寡黙になる」こと、「透明になる」こと、「ただのひとになる」ことの重要性を改めて感じています。魂の深いところを揺さぶられ、そんな詩集でした。



  個人詩誌『犯』24号
  han 24    
 
 
 
 
2003.5
埼玉県さいたま市
山岡 遊氏 発行
300円
 

    ソウル・マップ

    ニーチェよ、ぼくは夢のなかでも誠実じぁなかった。残飯の
   如き霊魂は、ボーイング707機くらいの巨大なシ瓶で、この
   街にアンモニア・ナイトを撒き散らす、絶望率八○%、嫌悪率
   九二%のハイエナに呑みこまれ、手と足が同時に出てしまう大
   人気ないスキップの連続だ。
    四月二○日は、ヒットラー生誕日。翌日、モスクワのサッカ
   ー・スタジアムでは、スキンへッドのネオ・ナチがヒットラー
   の脳液で乾杯し、警察仕込みの白兵戦もどきで一五○名が逮捕
   された。ぼくの唯一のスキンへッドのともだちタナカさんは、
   精神病院を出てから憑かれたように安物の日本刀を売りさばい
   ている。買ってくださいよう、買ってくださいよう。って、し
   つこく電話をかけてくる。
    濡れなかった雨はおろか、濡れた雨さえ思い出せないあやふ
   やな歴史感覚は、五分の一が頑丈な合成金属の容器、五分の一
   が獣の舌、五分の一が奴隷の逢い引き、五分の一は集合的無意
   識の水、残りは不明の岩山が聳え立っている。その中腹で言語
   の紅い眼は、ムササビのように空から飛んでくる青い猿『マッ
   プ』を待っている。
    血を分けなかったどうでも良いきょうだいたちとの語るにお
   ちてゆく会話という会話。そんな時、ぼくは、ぼくというジグ
   ソー・パズルを並ベては、その数の足りなさにびっくり仰天。
   やがて人生は、なにも解決しないまま、ほんのささやかな流血
   をみちびき、ほんのささやかな流血をあたえ、ゆっくり閉店。
   だが問題は、もうすぐ五十男の恋の進化論。ひたむきな女のふ
   しだらな巨乳へのまさぐりである。頼む、である。
    中高年者死滅大歓迎の上り旗があがる経斉学のトイレ。だが
   憎悪より好奇心の衝突が原因で発生する殺人の星座は消え、永
   遠の質問としての殺人星が点滅し始める。みんな喜びとも苦し
   みともつかない奇声をあげ、階層的憎悪を撃ち合うよ。撃て、
   撃て、撃て、殺人者はみんな教育者。
    噴き出す断絶の思いは、言葉を置き去りにして巨大なヒマラ
   ヤ・シーダーを越え、光速平泳ぎで大気圏を突き抜け、宇宙ヘ
   の片思いに変換する。ところがどうだ、金星は熱すぎ火星は冷
   たすぎて、海水浴場もありゃしない。おまけに月は、その誕生
   時に地球に弾き飛ばされて以来、夜空をうろつく哀れなストー
   カー衛星、ときた。
    氷の微惑屋のうえで、眠っている煙草を揺り起こし、生命の
   胞子で火をつける。おお、はるか彼方を行くのは五年前、鍵専
   門学校を卒業したまま行方不明になった木村君じゃないか、い
   つ銀河系の扉を開けたんだ?。宇宙の香りは心臓の香り。目覚
   めよ、青い猿!。
    振り向けばノイズ。塵のノイズに、まだ太陽系だということ
   を思い知らされる。よろしい、話は終りだ。うるさい木魚のよ
   うな地球の朝の割れ目よ、黙れ。

 最初にルビが使えないことをお詫びします。第5段落目の「中高年者死滅大歓迎の上り旗」の「上り」にはのぼ≠閧ニいうルビがありました。無理にルビを入れて原作の雰囲気を壊すよりは、と思って割愛してあります。

 「ソウル・マップ」とは魂の地図≠ニでも訳して良いのでしょうか、時間的には朝の一瞬をイメージしました。作品の中での時間の経緯はかなり長いと思われるのですが、それらが一瞬に朝の目覚めに襲ってくる、そんなイメージです。違うかもしれません。
 それにしても自由奔放で精力溢れる作品です。でもやっぱり最後は「ノイズ」なんですね。そこがこの詩人の原点のようにも思います。久しぶりに大きな声を出して読みたくなるような詩に出会いました。



  詩誌『火皿』102号
  hizara_102    
 
 
 
 
2003.5.8
広島市安佐南区
火皿詩話会・福谷昭二氏 発行
500円
 

    詩の葉っぱ(3)    津田てるお

    戒名をもらう

   ナンと申しましょうか
   撫然としている 道理で
   変な朝雨が もうぜんときたもんだ

   ついに戒名らしきものをいただいた
   生前に墓をたてる
   ということがあるから 戒名もあっていい
   とはいいうものの
   なんと お役所からいただいたんで ハガキで

    にほん国民であるあなたは
    この数字で 全てです と

   5 からはじまる 11桁
   声にだして読みだしたが 舌がもつれて
   つい カカカ と笑ってしまったが さて

   これ あの世でも通用します となれば
   いただいた戒名の札を立てることにするか たとえば
   漢数字を墨書で「五九六三…」とはどう
   または「御苦労散…」もいい
   もっとならば 梵字とか絵文字に…

   ま パスポートのたぐいでしょう
   閻魔帳でも瞬時に調べあげられ
   どの地獄行きになりますか
   (おしゃべり)の罪で 舌なんぞ抜かれるんかな

   一億何千万という数字のムカデ うようよ
   その一匹が晩夏のため息 ぽろり

 「戒名」ですか、なるほど。「お役所からいただいた」ものなら大事にしなければいけませんね。私なんか大事にし過ぎて今だに封を切っていません。ですから「御苦労散…」なのか88940…(早苦死音…)≠ネのか今もって判りません。知りたくもないけど…。

 こういう「その一匹が晩夏のため息 ぽろり」とすることには意味があると思っています。小泉首相になってから、過去何十年も懸案だったものが次々と成立して驚いています。まさに聖域なき改悪≠ナす。まあ、国民の多数が指示しているから止むをえませんが。おっと「(おしゃべり)の罪で 舌なんぞ抜かれる」かもしれませんね。





   back(5月の部屋へ戻る)

   
home