きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.5.20()

 3月にキリンビール横浜工場で「手づくりビール体験教室」というのが開かれましたが、そのときに造ったビールが2、3日前に会社に届けられました。今日はその試飲会です。弊社から派遣されてビール造りに参加した社員とキリンビールのセールスマン、私のグループの女性2人も誘って、8名ほどが集りました。

 問題はどこで試飲するか、だっのです。普通のお店ではビールの持込みなんて歓迎されるわけがありませんから、生協が運営する会社のクラブに頼み込みました。すんなりとOKが出たようで、つまみは作ってもらえて、持込みビールもOKというのですから、さすがは生協、と感心しましたね。

 自分たちで造ったビールはおいしかったですよ。もっとも、酒税法の関係で私たちがやれたのはホップの添加まで。その先のアルコールになる工程は、酒造免許のあるキリンビール側でやりましたけど、手づくりビールには違いありません。最初は義理で来ていた女性陣も、これはおいしい!を連発して、次々とお替りをしていました。キリンビールのセールスマンも気を良くしたみたいで、お土産のビールやサワーの缶をどっさりいただいちゃいました。いつもこういう仕事なら最高なんですけどね^_^;



  個人詩誌『息のダンス』4号
  iki no dance 4    
 
 
 
 
2003.5.31
滋賀県大津市
山本純子氏 発行
非売品
 

    バス停    山本純子

   バス停で朝、
   ときどき出会う男の子がいて
   小学校二年生
   胸の名札にそう書いてある
   何度か会ううち
   自然に目が合うようになり
   そうすると
   向こうも何か
   言いたげな目の色で
   私も
   おはよう、とか何とか
   言いそうになろんだけど
   言わない

   おとなに一度挨拶したら
   次からも
   その人には挨拶しなくちゃ
   なんて
   思わせたら悪いから
   次からも挨拶しなくちゃ
   なんて
   つい考えるこどもだった私は
   バス停で男の子と目が合うと
   いちおう頬笑み、それから
   視線をよそへ漂わせる
   ことにしている

   私たちの乗るバスは
   10番と22番の
   どちらでもよく
   当たり前のことだけど
   早くやってきた方に乗る

   今朝はそれが
   珍しく二台同時にやってきて
   バスを待って
   車道へすこし身を乗り出している
   私の背中へ、例の男の子
   「どっちに乗る?」
   と不意に声を掛けてきた

   どっちでも
   きみの乗る方に

 「ときどき出会う小学校二年生」との交歓、実にすがすがしい作品ですね。作者の「次からも挨拶しなくちゃ/なんて/つい考えるこどもだった私」というのもおもしろいけど、「何か/言いたげな目の色」の「男の子」の気持も感じ取れる感性が残っているというのも素晴らしいです。こういう作品に出会うとホッとしますね。

 私の住んでいる地域の小学生・中学生も素直で、全員ではないけど、道で出会うと3人に2人までは挨拶してくれます。中には高校生になって、ハデなバイクですれ違うようになっても、大きなヘルメットをペコッと下げて挨拶してくれる子もいて、笑っちゃいますけど、うれしいものです。

 でも、私の子供のころはどうだったんだろう? 「
次からも挨拶しなくちゃ/なんて」考えていなかったように思います。今の子供はどうなんでしょうかね? 子供の感覚がいつまでも判るようでいたいものです。



  個人詩誌『伏流水通信』7号
  fukuryusui _tsushin_7    
 
 
 
 
2003.5.20
横浜市磯子区
うめだけんさく氏 発行
非売品
 

    人間の空白    長島三芳

   人はそれぞれの五月の若葉の中で
   過ぎ去った日の遠い夢を追いかける。

   寒い冬の空を鰹節のように削り
   春がきたと思ったら
   いつか目の前の桜の花も散り
   夏の匂いと風鈴の音が恋いしくなった。
   真夏の電話でもう八十五歳も過ぎたのかと言われ
   あたりを見回すと
   身近にいた古い詩人も
   すっかりいなくなってしまい
   ひとり夕暮れの風の中にとりのこされ
   豆腐屋の笛につられて
   野菜篭を抱えて歩く姿は
   まるで十字架を背負った惚けた老人だ。

   山崎方代とホースネックで酒を飲んだのも
   もう遠い昔のことだ
     汚れたるヴィヨンの詩集をふところに
     夜の浮浪の群れに入りゆく。

     青ぐらい野毛横浜の坂道の
     修羅を下る流転者方代。

   一人酒を飲みながら
   方代の短歌を口遊んでいると
   山崎方代はまだどこか遠い修羅で生きていて
   私に声をかける
   サンポウはまだ生きていたのか

              ─サンポウは私の呼名

 長島さんの作品は〈特別寄稿〉だそうです。もう
85歳におなりになったんですね。私が初めて遠くから拝顔したころは60そこそこではなかったろうかと思います。神奈川の重鎮のお元気な作品に触れて、何より、とまず思いました。
 タイトルの「人間の空白」とは、「
山崎方代とホースネックで酒を飲んだ」あとの、現在までの時間のことだと思います。それは「ひとり夕暮れの風の中にとりのこされ」た空白なのかもしれません。いずれ私にもその感覚が判るときが来るでしょう。そのときの心構えを教えられた作品です。




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