きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.5.23()

 私の勤務する工場で恒例になっている駅伝大会が開かれました。4人一組のチームが200組も出走するという、ちょっとした規模の駅伝です。昔は私も参加していましたが、最近では見物すらしていません。それが今日は最後まで見物することになっちゃいました。私のグループの女性が参加すると言うのです。それを聞いたからには応援しないわけにはいきませんからね。

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 写真左は出走前の彼女、右はゴール直前の様子です。日頃から走りこんでいる人ですから、いい走りをしていました。そのパワーが仕事にも活かされていて、私としては助かっています。

 ところで、余談。私も昔は出走していたと書きましたけど、最高の順位は2位でした。私が多少は速かったこともありますけど、他の3人が大学時代のマラソン選手だったり、現役の社会人駅伝の選手だったことによります。その一角に私もどういうわけか加わって、下馬評は私が2、3人に抜かれて3位か4位。でも、期待に反して抜かれることはなく2位で終始しました。こんなことって、意外に記憶に残っているんですね、もう20年近くも前のことなのに…。過去の栄光に縋る、立派なオジンになったようです^_^;



  月刊詩誌『柵』198号
  saku 198    
 
 
 
 
2003.5.20
大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏 発行
600円
 

    ピッ・ポゥンとピン・ピン・ピン    中原道夫

   駅の自動改札口は
   切符であろうと
   カードであろうと
   定期券であろうと
   ピッ・ポゥン

   かつて姉の定期券で改札口を通ったら
   鋭い目つきの駅員にこっぴどくしぼられた
   ――あなたが女性であるはずがない

   親父が通る
   息子が通る
   恋人が通る
   改札口はだれが通っても
   ピッ・ポゥン

   これはスキー場でも同じこと
   鋏を持ったほっペたの紅いお兄さんの姿はいまはなく
   リフトもロープウエイもすべてICカードで

   ホーレンソウ ¥一五○ ダイコン¥一八○ マグロ¥七五○
   ワカメ ¥三二○ タマゴ ¥一三○ モメントウフ¥一一○

   これはスーパーのレジ
   手慣れた手つきで叩くキイが
   ピン・ピン・ピンと鳴りつづける

   ああこの音と
   ピッ・ポゥンも同じではないか
   お金を払ってものがレジを通過していくのだから

   ――あなたは人ではなく運賃なのです

   ぼくは、今日も駅の改札口を通り過ぎる
   ほらっ、また鳴った
   ピッ・ポゥン

 「あなたは人ではなく運賃なのです」というフレーズにギクリとしました。眼から鱗が落ちたような気分です。当り前なんですけど、電車に乗るということは人として乗るわけですけど、経営者としては最終的に「運賃」なんですね。私の仕事も医療に役立ったり、電子産業分野に喜ばれたりしていますけど、結局は運賃≠得ることに他なりません。それがいいとか悪いとかいう問題ではなくて、その基本が端的に現れたのが「ピッ・ポゥン」だったというわけなんですね。

 ところで、「
ピッ・ポゥン」という擬音語もすごいですね。普通ならピン・ポーン≠ノ近いのでしょうが、「ピッ・ポゥン」と書かれると、なるほどそんな音だと納得してしまいます。作者の観察力に脱帽です。



  個人誌Moderato19号
  moderato 19    
 
 
 
 
2003.5.25
和歌山県和歌山市
出発社・岡崎 葉氏 発行
年間購読料1000円
 

    営為(二十一)    上田 清

   十才と八才の女の子が学園よりやってきた
   春休みの数日間をすごす
   冬休みに続いてのホームステイ
   大きなかばんに着替えやお菓子を入れ
   家への路地を早足に歩く
   弾むような身振りに歩幅を合わせ
   「学校の成績どうだった」と聞く
   「できるばっかりでがんばろうはなかった」と
   自慢そうに話す

   パソコンの前に座るわたしに
   「これ何、どうするの、なぜ」と
   Aが質問をくりかえす
   年長のMはテレビゲーム夢中になっている

   「すばる望遠鏡が最も遠い銀河を発見した」というニュースが流れた
   「一二八億光年のかなたにあり、宇宙誕生からわずか十億年あまり後に
   誕生した天体だと考えられる」という

   もくれんの咲く道をとおり
   海のそばのリゾート地にでかける
   バニラと抹茶のアイスクリームを買い
   遠いなぎさに浮かぶセールをながめる
   Aのまるい頬に
   春のひかりがはね
   いのちをつなぐ未来のひとときが
   わたしたちをつつむ

 「冬休みに続いて」「春休みの数日間」も「ホームステイ」を受け入れたのですね。「女の子」たちの「弾むような身振りに」喜びようが伝わってきます。私にはとてもできないことをやっている方だと敬服しました。
 「一二八億光年のかなたにあ」る「銀河」の話も、その子たちにつながる「未来のひととき」の一齣として鑑賞でき、スケールの大きさと愛情の深さが感じられる作品だと思います。心が洗われるような思いをしました。




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