きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.5.28()

 関連職場の先輩が2回目(!)の退職を迎え、送別会をやりました。60歳定年で一度退職となり、次の日から嘱託として勤務して、62歳になる今週、2度目の退職となった次第です。重要な人でしたからね、会社も易々とは退職させてくれなかった、ということです。

  030628

 右から二人目がご本人。今の60代って、本当に若いと思いますね。今日で3回目か4回目の送別会だそうで、まだまだ体力は余っていそうです。
 場所は小田原の「月天」という居酒屋。お酒もおいしいのが揃っていました。私は一番左。ほとんど酩酊状態だったのが、しっかり現れていますね^_^;



  詩誌『はちょう』画号(終刊号)
  hacho_kaku    
 
 
 
 
2003.4.30
埼玉県川越市
はちょうの会・吉田多雅子氏 発行
500円
 

    分陰    海埜今日子

   ほとりをつむぐことで、夜にわけいろうと。ていねいな隙間がくず
   され、乱雑さがはじまっていた。つかまないことで断ち切られ、べ
   つの時間が、とあなたはいいさし、しまうようにほうりこむ。かれ
   は声をあらげない。めくれあがった記述をつげるにははやすぎた。
   それは夕暮れにこそ近しいものなのかもしれなかった。ちらばった
   ひびきが風によりそう。うつむく首が先端だった。少女よりもちい
   さな髪に傷がなびく。
   つつむように背後をうかがう。一足飛びにさらされてはなじんでゆ
   く、女は明るさについて、皮膚よりもめぐるものとして、とりとめ
   もなくおぼえたかった。安堵のなさにひきのばされ、きれぎれにな
   った声をみつめている、かれのなかでやぶること。うたえない羅列
   がねむっていた、ひざしがつもっていたのかもしれなかった。うけ
   いれては煩雑で、こぼれてゆくことが夜更けだった。おわりゆく岸
   辺にあなたは生ずる。花の香りが耳につく。
   あるいはひろげられすぎた腕、だったから。切れ目のいくつかはう
   かびあがり、明けがたについて、連綿について、しずむことで約束
   する。おびえについて、やすらぎについて、かれが叫ばなかったと
   どうしていえよう? ちかづきすぎたのでのまれる気配。星のとど
   かぬ街だった、女はとてもにげだしそうだ。べつべつの、ひとつの
   夢が風にうなずく。薄目ごしによばわることで、ただしくひきずら
   れた朝がある。
   かたむくことでまみれている、ふれすぎていたのかもしれなかった。
   うなじが少女をよびよせる、のではなかったのだ。かの女はたちつ
   くしながらさぐっている。およぎきらない溝だった。やぶかれては、
   やぶくことにつかれた声、未分明にとざされ、ひらかれては、ほか
   のことばがむすばれる。香りがたちきえたあたりから、再開された
   ページを踏む。あつめられては風にくるまる、ゆきずりのようにち
   いさなもの。あなたのきれぎれがおりてゆく。夜陰にだかれた隙間
   には、朝がはいることはない。

 『はちょう』は今号で終刊だそうです。3年前に「プルトニウム合成計画」と分割した号を出して終刊、と決めてあったと「あーとがき」にありました。私には経験がありませんが、終刊を決めて出版するというのは、それはそれで高い見識と申せましょう。

 紹介した海埜さんの作品は、そんな現代詩人の面目躍如たるものを感じます。ちなみに「分陰」とは寸陰。少しの時間=A「分明」は区別がはっきりしていること。明白なこと≠ニ辞書にありました。そんな観点から鑑賞するのが良いようです。「明けがたについて、連綿について」「おびえについて、やすらぎについて」と畳掛けるフレーズは朗読してみたくなる欲求に駆られました。最終行の「夜陰にだかれた隙間/には、朝がはいることはない。」というフレーズも魅力的です。言葉のひとつひとつが自立している作品だと思います。



  詩誌hotel第2章8号
  hotel_8    
 
 
 
 
2003.5.10
千葉市稲毛区
hotelの会・根本 明氏 発行
500円
 

    無に帰する    かわじまさよ

   日が暮れる 暗くなる
   夜になる 夜が明ける
   誰かに会いたいが
   誰とも話したくはない
   誰かと話したいが
   誰とも会いたくはない
   石を役げたり(役げられたり)
   札ビラを切ったり(切られたり)
   さいころを振ってみたり
   選挙運動をしてみたり
   教師にもなったし
   コマーシャルにもでた
   だが 私はいつも猫なで声だった
   どうにかならないか
   いや どうにもならない

 ひとつの本質を言い得ている作品だと思います。「日が暮れる 暗くなる/夜になる 夜が明ける」だけの一日。「選挙運動をしてみたり/教師にもなったし/コマーシャルにもでた」生活。しかしそれらは「いつも猫なで声」の欺瞞の生活。「どうにかならないか」と思うのだが「どうにもならない」と判っている現実。いずれは「無に帰する」しかない人間を描いています。

 そのことを真剣に考えるというのは、実は大変なことなのではないかと私は思っています。そこをきちんと考えないと詩は出てこない、と利いた風な口で説教するつもりはありませんけど…。口幅ったく言えば、この詩人は肝心なところを押えたのだな、とも思いますね。この詩の上にどんな花を咲かせてくれるか、楽しみな詩人の作品に出会いました。



  森 三紗氏詩集『カシオペアの雫』
  cassiopea no shizuku    
 
 
 
2003.4.30
岩手県盛岡市
小杉山舎刊
1000円
 

    蛇語発信

   眠られない夜 蛇はどのようにして眠るの
   トグロを巻いて顔をつけて 目を閉じて
   春の暖かい野山で 狩をしている夢を見て眠るの
   それか羊の数を 百匹までかぞえるの
   「蛇に注意」 こんな看板があった
   そんなら「人間に注意」と 蛇語を書き 掲示しなさい
   石ころを投げられて追われ 鎌で切られ
   焼酎に潰けられ マムシ酒にされ
   籠に捕獲され 乾燥され 粉にされ
   オブラートに包まれて 胃袋の中 精力剤ですって
   理科室の フォルマリン漬の標本にされ
   蛇使いの笛の音に合わせて 始終踊らされ
   群集のおもちゃ
   発生はヒトと同じなのに
                 (二○○一・一・一)

 あとがきには同人誌に発表した作品の他に年賀状に書いてきた詩も載せたとありますから、紹介した作品は年賀状に書かれたもののようです。2001年は確か巳年でしたね。
 「人間に注意」はその通りでしょう。最も残酷な生き物は人間、それを改めて知らされた作品です。長いので引用はしませんでしたが「牧野林水路決壊」は昨年7月に東北地方を襲った台風6号を扱った作品です。勤務する高校の状況を描いたドキュメンタリーで、迫力のある作品に仕上っています。詩人の観察眼の確かさを感じました。




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