きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.5.29()

 私の家の近くに、昨年だったか今年だったか、アサヒビール神奈川工場というのが出来て、初めて行ってみました。昔の職場の、当時、懇親会の幹事だった連中の集りが今でも続いていて、今夜はそこで呑もうということになったものです。家から車で5分ほど。ビール工場につきもののレストランがあって、出来たてのビールはやはりおいしかったですよ。

 でも私は、ビールならキリン党なんですね^_^; ビールはそこそこに、地元の日本酒も置いてありましたからそちらばかり呑んでいました。呑み放題でしたけど、ワリカンは4000円。意外と高いなというのが実感です。もっとも、仕事サボって先に到着していた連中の分まで払わされたから、アサヒビールだけに責任を負わせるわけにはいきませんね。

 男3人、女性2人の旧幹事で、幹事長は仕事で遅くなって二次会のみの出席だったようです。私は二次会はパス。連夜の呑み会はさすがに疲れます。どうせなら金曜日にしてくれれば良かったのに…。と、旧幹事会の中の、呑み会幹事には言えない話だなぁ。それにしても、よっぽどウマが合ったんでしょうね、もう3年も続いているという、変な会です。



  機関誌『未知と無知のあいだ』17号
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2003.6.1
東京都調布市
方向感覚出版・遠丸 立氏 発行
250円(〒共)
 

    何処へ    貞松瑩子

   溢れる太陽 踊る 褐色の乙女たち
   太古が息づく 裸の島 タヒチ
   あの ノアノアの惰熱は どこへ行った

   友との別れ 恋人との生活
(くらし)も壊れた
   孤独と 絶望のなか 何を見たのか
   ゴーギャン その震える 魂に

    我々は どこから来たか
    我々は 何者なのか
    我々は 何処へ行くのか

   画面 右端に みどり児を
   中ほど 木の実を 捩ぐ乙女
   左端 蹲る 老婆の姿
   その先に 何が あるのか

   わたしは いま
   その絵に 対
(むか)って 問い掛ける
   迷いの中に生き 迷いの中に死んでゆく
   永遠に 説き明かせない 人間の ふかい運命
(さだめ)

    クォ・ヴァディス
    クォ・ヴァディス
          何処
(いずこ)へ ?

 ゴーギャンの絵に触発されて書かれた作品です。「ゴーギャン覚え書」というエッセイの中の詩です。第3連の「我々は どこから来たか/我々は 何者なのか/我々は 何処へ行くのか」という言葉は、絵の題名のようです。この言葉は聞いたことがあり、ゴーギャンの画集も持っているので確認してみたいのですが、残念ながら実家に置いてあります。いずれ見てみようと思っています。

 「迷いの中に生き 迷いの中に死んでゆく/永遠に 説き明かせない 人間の ふかい運命」と書く詩人の心境に思いを馳せています。まさにその通りですね。「我々は どこから来たか…」というゴーギャンの言葉とともに人生の深さを考えさせられる作品だと思いました。



  詩とエッセイ誌『千年樹』14号
  sennenju_14    
 
 
 
 
2003.5.22
長崎県諌早市
岡 耕秋氏 発行
500円
 

    二日酔いの朝は    鶴若寿夫

   二日酔いの朝は
   目を覚ますと
   何もかもが一瞬のうちに崩れている
   崩れるニンゲンは
   内部の空白さえも崩れている
   そうして崩れる感覚さえも崩れる

   厭な幻影も崩れ
   厭な現実も崩れる
   形も音もぼくという自我だって崩れる

   二日酔いの朝は
   恐ろしい理想が透明に世界を支配する
   ぼくは沈黙する
   そして
   切れ切れになった思いだけが埃のように浮遊するのを見る
   煙草の灰で汚れた
   頭の中で微かな陽光を浴びて美しく煌いめている

   夢の五線譜には
   直ぐに壊れてしまうブリキの宇宙船で
   沈む土星に行くことを考えるぼくがいる
   子どもの頃のように
   そしてとても深くため息をついている

   モノトーンの夢の現実の中では
   馬鹿な言説と暴力があり
   世界を破壊する火が
   半世紀も前のように
   漆喰の闇の中に冷たく燃えながら
   総天然色に破壊された瞳がぼくを見ている

   二日酔いの世界に世界が酔うとき
   崩れるように目覚めの
   朝がやってくる

 最近はほとんど二日酔いをしなくなりましたが、この感覚は判りますね。まさに「崩れるニンゲンは/内部の空白さえも崩れている」状態です。「切れ切れになった思いだけが埃のように浮遊するのを見る」というフレーズでは、もうちょっと若かったころの自分を思い出してしまいました。

 そんな、個人的なことが書かれている作品かと思って拝見していて、最後から2連目で思わずうなってしまいました。歴史もきちんと見て、それを個人の世界とダブらせて効果をあげていると思います。この連が無ければ、非常に小さな世界で終ってしまう作品をちゃんと昇華させています。この手法は私にとって納得できるものですし、むしろ好きな書き方です。勉強させてもらいました。




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