きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.5.31(土)

 『詩と思想』誌の原稿締切日。ぎりぎりになりましたが先ほど送信しました。今回は珍しく詩を書けというので、「留守」という作品を送りました。8月号に載せるそうです。散文なら割と気楽に書けるのですが、詩はやっぱり緊張しますね。久しぶりに自分の詩を載せてみます。こんな詩です。

    留守    村山精二

   雪原をラッセル車が走って来る
   アノラックのフードを深く被って
   小学生の私は気づかずに
   無人の踏切をスキーで滑り抜けた
   直後にディーゼル車は急ブレーキを掛けて止ったという
   40年も前の北海道の原野でのことである

   子供の後にはいつも神様がいて
   幼児が倒れても頭をやさしく包んでくれる
   溺れた子には葦を投げかけ
   切り傷にはそっと薬を塗ってくれる
   と聞かされていた

   神はどこへ行ってしまったのだろうか
   小学生が包丁で刺され
   乳飲み子は母親に蹴られている
   その手に包まれることもなく
   神は死んだ
   と ある男が言ったときから
   去ったのかもしれない

   しばらくの留守
   ならば
   殺された子の魂は
   どこをさ迷えばよいのだろう
   帰郷まで



  季刊文芸誌『青娥』107号
  seiga 107    
 
 
 
 
2003.5.25
大分県大分市
河野俊一氏 発行
500円
 

    光の輪    多田祐子

   一人の子供に
   ひとつの光の輪
   泣いている子も
   笑っている子も
   やわらかな光の輪につつまれて

   走り廻る子供達に
   光の輪もはじけて遊ぶ

   一人座って
   ねこじゃらしを見つめている
   幼ない者のまるい姿にも
   ひとつの光の輪

   光の輪につつまれている事に
   気づかぬまま
   大人になった私達にも
   ひとつの光の輪

   見あげる空は青く遠い

 第4連が重要だと思います。私たちは「光の輪につつまれている事に/気づかぬまま/大人になった」のだという認識、それでも「ひとつの光の輪」につつまれているのだと感じることは意外に難しいことなのかもしれません。そこをうたいあげている作者の感性は並大抵ではないと思います。たった1行で置かれた最終連も、作者の品格を現していると言えるのではないでしょうか。下手をすると俗な言葉になってしまいがちですが、それを救っているのは、やはり第4連だと思います。




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