きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.6.1(日)

 今日は電波の日です。お前とどういう関係があるんだぁ?とお思いの皆さん、それがあるんですね。今はほとんど知られていないと思いますが、実は私、アマチュア無線技士という資格を持っています。私が免許を取った頃は国家試験で、当時の郵政大臣の認可が必要だったんですけど、今は都道府県知事だったかな?の許可に済んでいるようです。昔はかなり難しかったんですよ。
 数年前だったと思いますが、船舶などで使われていた電信が廃止になっています。単音と長音、実際は音ではなく信号ですけどね、その組合せだけで言葉を組立てていくということに驚きを持ったものです。和文は無理ですけど、英文ならまだ打てるかな? 電信キーだけはまだ持っています。
 まあ、そんな他愛ない思い出の日でもあります。



  季刊詩誌『詩と創造』43号
  shi to sozo 43    
 
 
 
 
2003.5.20
東京都東村山市
書肆青樹社・丸地 守氏発行
750円
 

    帰路    橋本征子

   地下鉄の外へ出ると吹雪は止んでいた 月の光が凍てつ
   いた道路をぎらっと照らしている 枝に積っていた雪が
   突然の風にまいあがり雪煙となって 私を銀色の投網の
   中に閉じこめてゆく 空を見上げると 月は一層冴え冴
   え 輝き 街全体は深い水底に沈んでゆくようだった

   バスが来る 帰宅方向を確めて乗ったはずなのに逆方向
   へ突進してゆく 山裾に沿ってあたり一面雪原だ 運転
   手に行く先をたずねても義手でハンドルを堅く握ったま
   ま何も答えない 他の乗客はどこで下車してしまったの
   だろう 乗っているのは赤いヤッケを着た髪の毛の長い
   双子の少女と私だけだ 眼が合う 見覚えのある少女た
   ちだ 遠い昔 私はどこか分らないが ここではない違
   う所へよく帰りたくなった。そんな時 羨望と嫉妬に満
   ちた視線で私をじっと見つめ さっと姿を消してしまっ
   たあの少女たちだ

   私の両脇に座った少女たちは手を握りしめてくる 水の
   澄明さだけをすくってきた薄桃色のやわらかな手 私が
   生れたという科で生れ得なかった少女たち 私の命がひ
   とつの意志の決定の瞬間闇のなかに葬り去られた少女た
   ち  今  姿を現したのは 明る過ぎる月の光が剥離し
   たからなのだろうか 体を寄せあい ひとつに 溶けてゆ
   く 少女の長い髪が私の首をやさしくゆるやかに締めて
   ゆく 薄れてゆく意識のなかで 私はどこかなつかしい
   家路をゆっくりと辿ってゆくのだった

 この感覚は理解できるように思います。「私が生れたという科で生れ得なかった少女たち」というのは具体的な話としてでなく、生きるもの全てに負わされている科≠ニ受け止めてよいでしょう。それでもあえて具体性を考えるなら、それは個々の科≠ニ考えるべきでしょう。そういうものを負いながら生きてきた、これからも生きざるを得ない、そういうことをうたっている作品だと思います。
 最終連の「少女の長い髪が私の首をやさしくゆるやかに締めてゆく 薄れてゆく意識のなかで 私はどこかなつかしい家路をゆっくりと辿ってゆくのだった」というフレーズは救いなのかもしれません。生きることの厳粛さを改めて感じさせてくれた作品です。




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