きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.6.3(火)

 工場の生産管理部門と打合せを持ちました。私の担当する業務委託会社との提携のし方に疑問があって、専門家の意見を聞きたいと思って開いたものです。疑問はほぼ解消されて、最後に専門家としての一般的な意見はないかと聞いたところ、下請け法の存在を知らされました。私には担当会社を下請けと思ったことはなく、ちょっと意外だったのですが、客観的に見ると下請けを使っているということになるんですね。思わず身を乗り出して聞いてしまいました。

 一番気をつけなければいけないのは、生産計画の変更だそうです。基本的には一度決めた計画を変えてはいけないのだそうです。それはマズイなと瞬間的に思いました。計画通りにいかないのが生産というもので、その対応で私もかなりの時間を取られているのですから、それを変えてはいけないと言われると立ち行かなくなりそうです。相手の合意があって、親会社として誠実に対応すれば良いという抜け道もあるようですが、本当は私も生産計画の変更などしたくないのです。ただ、反省すべきは私の計画の詰めの甘さに起因する変更もあるということ。これは個人的な努力で何とかなりそうです。そんな法も考慮しながら仕事をしなければいけないんですね。考えされられた打合せでした。



  隔月刊詩誌『鰐組』198号
  wanigumi 198    
 
 
 
 
2003.6.1
茨城県龍ヶ崎市
ワニ・プロダクション 仲山 清氏 発行
400円+税
 

    暗がりの獣身    福原恒雄

   また
   ま昼。

   ニュースの風に抑えられていく小路。樹々の葉は揺れをこらえる。
   じっとりとさんざめきを綴じて傾く、葉裏の、あまい暗がりにひそ
   む小粒の虫たちを、はねのけ。風の暗がりに透ける国是を負った、
   居丈高な号令そっくりの獣。牙の反りに咆哮を矯めて。こぼれる臭
   気。ま昼を旗じるしにまぶしい狩りの眼。

   卓に肘ついて持つ煙草のけむりにのせて、秋には花は実ると、とぼ
   けたい視線を、蹴とばされ。憂い起床から夜まで、しゃかりきに葉
   脈も葉柄も擦って、忠誠を吐きつづけるまばゆい偽装を、容赦なく
   しゃぶる、獣の、夢。今。樹々は総毛立ち復習のみどりをつける。

   震えながらも樹々は正直だともて囃す演説に、ぬくとい陥奔を縫い
   上げて、街。幻視かと惑う、かつて焼かれた花という花の、隙間か
   ら伸びた樹々の、暗がりに沈んだ肉体は消えない。逃れる場のない
   ニュース。さんざめく鈍い手、揺れ。揺れる、晴れやかなぼろぼろ
   でも、また樹の名まえで歩かなければならない。
   ま昼。

 「ま昼」と「かつて焼かれた花という花」という言葉から広島の原爆を思い浮かべます。それから連想して「風の暗がりに透ける国是を負った、居丈高な号令そっくりの獣」という言葉からはイラク戦争を思うのは的外れかもしれません。しかし、そのように読んでも違和感のない作品だとも思うのです。「ま昼」という明るい風景の、その裏の闇には「暗がりの獣身」が身を潜めている、そんな光景も浮かんできました。

 「また樹の名まえで歩かなければならない」というのは魅力的な言葉なのですが、私にはうまく解釈できません。解釈の必要はなく、そのまま感じ取ればいいのでしょうが、何とか自分の感覚に引き摺り込む言葉にしたいものだと考えています。ま、無理でしょうが、そんなふうに刺激を受ける作品だと思います。



  隔月刊詩誌『叢生』126号
     
 
 
 
 
2003.6.1
大阪府豊中市
叢生詩社・島田陽子氏 発行
400円
 

    始まる    島田陽子

   始まった
   とうとう始まってしまった
   始まるまで無力だった
   始まってもやめさせられなかった

    ヌカ味噌がくさる歌
    唯我独尊の屁理屈
    はた迷惑な暴走

   始まるのは
   物ごとが新しく起こるのは
   よろこばしさだけが香るのではない

   始めるのは
   新しくことを起こすのは
   未来を探るあかるさがあるだけではない

   始まって終ったいま
   こちらを見ているのはいつもあの眼
   壊され 奪われ 見捨てられ
   生きるすべを失った虚ろな眼
   時空をこえて迫ってくるこどもの

   始まっている
   とうに始めている

    判断力欠除の大人づくり
    人の情け無用の官僚づくり
    基本的ミス続出のプロづくり

   始まったのにボヤくばかり
   始まっていたのに気がつかない
   こんな人間になったの いつから?

 イラク戦争への反戦詩は多く見てきましたが、この作品では新しい観点を教えられました。最後から2連目の「判断力欠除の大人づくり/人の情け無用の官僚づくり/基本的ミス続出のプロづくり」が結局は戦争も止められない、あるいは戦争に何の違和感もない指導者層を作り出したという観点は重要だと思います。それは日本のみならず米国の事情でもあるのかもしれません。

 第4連目と第5連目の「よろこばしさだけが香るのではない」「未来を探るあかるさがあるだけではない」という指摘も重要でしょう。ついつい高度成長期の夢に戻りたがる私たちには新しいものは良いものだ≠ニいう潜在意識があるように思います。そこを戒めている連だと思います。それにしても「こんな人間になったの いつから?」なんでしょうかネ。



  機関誌『雲雀』3号
  hibari 3    
 
 
 
 
2003.6.1
広島市佐伯区
広島花幻忌の会・海老根 勲氏 発行
500円
 

    私の胸のふくらみに −劣化ウランU−    御庄博実

   わたしのふくらみはじめた心は花のよう
   わたしの髪に飾られたサフランの
   薄紫の匂いが好き
   わたしは小さな橋をわたり
   ムハマド先生の学校に行く

   わたしの胸うちの
   やわらかいふくらみの
   わたしの小さな希望
   わたしは今日
   隣のダーちゃんとあや取りをする

   わたしの胸の
   やわらかいふくらみに
   いつの頃からか冷たい頗が入り
   ひびは日ごとに深くなり
   ひびは日ごとに固くなり
   やわらかなこころが声をあげ

   胸の芯に切り込まれた冷たい頗が
   わたしの心にとげを刺す
   わたしは朝 山羊の乳しぼりをし
   ダーちゃんと二人
   小さな橋をわたって学校へ行く
   おはよう わたしの友達 わたしの先生

   日ごとに深くなり
   日ごとに冷たくなり
   日ごとに固くなる
   わたしの胸のいたみ
   ある日「がん」だといわれたの
   その言葉が何であるかを
   わたしは知らない
   わたしはいつか死ぬのだと
   かあさんが泣く
   山羊のシロの乳が
   こんなにもおいしい朝なのに

 この雑誌は原爆詩「水ヲクダサイ」で有名な原民喜の文学を愛する人たち「
広島花幻忌の会」の機関誌です。表紙の写真は1917年頃撮影の原家の3兄弟で、右端が民喜と写真説明にはありました。

 紹介した作品はイラク戦争に材を求めたもので、作者はお医者さんです。医師の目から見た「劣化ウラン」は前頁にも「劣化ウランT」として掲載されていて、その続編と見てよいでしょう。湾岸戦争、イラク戦争と使われた劣化ウランはα放射線の半減期が45億年だそうです。現在生きている人間には決して責任のとれない遺物を遺してしまいました。何より、この作品に登場した少女には何も手立てを伸べられません。子もなさず死んでいくであろう少女を思うと、その罪深さに何とも言いようのないものを感じます。人類はいずれ滅亡せざるを得ないのかもしれません。




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